第一章一節 長月の出会い その9
翡翠の部屋を出た二人は、階段を降りてすぐの右手に現れる扉をあけ、リビングへと足を踏み入れた。
自分で言うのもなんだが、私の家のリビングはだいぶ広く見えると思う。
物理的な面では天井を少し高めに作ってあることに加え、家具を必要最低限しか置かないことにより、入った瞬間に広々とした空間が視界に映る、という視覚からの効果も念頭に入れて空間作りを行っているのだから、当然と言えば当然だが。
右手の奥にはオープンキッチンや四人掛けのダイニングテーブルが置いてあり、ドアの正面に近い左手奥には一段高くなった畳のスペースが設けられている。
今は襖を全て取り払っているが、祖母の生前にはここが彼女の自室として使われていたため、壁に面していない二方に襖がついていたのだ。
襖がないことで、リビングはさらに広々とした空間になったが、一人で住むにはあまりにも広い。
祖母が亡くなる前には、二人でこのリビングで読書をしたり、編み物をしたりと、いろんな時間を共有していたが、今ではもうそれができない。
ふいに悲しさが込み上げてきて、翡翠がぎゅっと拳を握りしめた時、東雲の柔らかい声音が耳に届いた。
「なんと懐かしい……。翡翠さんはご存知か分かりませんが、私は何度かこの家の敷居を跨いだことがあるんですよ。」
「えっ!?そうなんですか!!?」
衝撃の事実に、翡翠は思わず大声を出してしまった。
「ええ、桜に招待されましたので」
東雲の返事を聞き、なるほど、と翡翠は心の中で頷いた。
祖母は度々人ならざるものを家に呼んでいると言っていた。
もちろん、見えない私には真実かどうか確かめようもなかったが、それでも憬れている存在が自分と同じ空間にいるのだと思うと嬉しかったことを覚えている。
「その時、私も家にいましたか?」
ほぼ確信に近い感情を持ちながら翡翠は東雲に問いかけた。
東雲がこの家に来たことがあると聞いてから思い出したのだが、今感じている東雲の存在感を、小さい頃に感じたことがある様な気がしたのだ。
少し逡巡したのち、東雲は往時を偲びながら問いに答えた。
「ええ、私は翡翠さんが生まれる前にも、そして生まれてからも、この家に来たことがあります。
あれは…………確か、翡翠さんが三歳だった頃だと記憶しています。」
「そうだったんですか……。まさか、小さい頃に憧れていた存在にこの歳になってから出会えると思っていなかったので、不思議な感じがします。」
翡翠の呟きに対して、東雲は何の言葉も返すこともせず、ただ虚空を見つめていた。
彼の紅い瞳の中に一瞬だけ、しかし確かに老女と幼子が仲睦まじく過ごしている光景が映し出されていた。




