<第二章:降竜祭> 【13】
【13】
「あら~王様ですの? チンケな姿になりましたわねぇ」
「場所を変えるぞ。寄生虫がうるさくてかなわん」
ランシールが近衛兵を押し退け、蛇を見下す。
殺意のある視線だ。子が親に向ける顔ではない。
「場所を変えるわよ」
「私は放置ですのー?」
牢を後に、城の一室に移動。
近衛兵を外に待機させたランシールは、俺の肩にいる蛇を両手で掴む。
「本当に、父上で?」
「う、うぐ、誠じゃ」
「その姿は何? 今までどこで何を? 今更何の用よ!?」
「こやつが英雄として崇められたせいで、余の神格が増し、常人にも見えるようになったのじゃ。他に理由はない」
「ワタシの兄上と弟を殺し、邪竜と組んでレムリアを混沌に陥れようとした父上が何を言うの?」
身内殺しかよ。
やっぱこいつ最悪だな。
「済んだことを許せとは言わぬ。あの時の余は………邪竜に操られていた」
「見え透いた嘘は止めなさいな。弟を謀殺したのは邪竜と接触する前、いえその前から王となるずっと前からも、あなたは血の道を歩んでいる。叔父様から全て聞きました。他人の名を奪い、名声を奪い、屍を積んで王位に座ったことを」
「悪行と偉業は紙一重なのだ。貴様も王となり人を従えた今なら理解できるはず。余の行いで死んだ者もいるが、生きた者もいる。それがこの国の今を作ってい――――――」
蛇は、ランシールに振り回された後、近くにあったテーブルに叩き付けられた。
「ふんぎゃふ!」
「生前、一発も殴らなかったことを夢で見るほど後悔していたの。ありがとう、夢を叶えてくれて」
殴るどころか叩き付けてるが?
「おい、フィロ! 助けぬか!」
「薄々勘付いていたが、やってることがやってるだけに助けたくなくなる」
ランシールは、蛇を捻じりながら伸ばす。
「おぎょぷぇぇぇええええ」
「シグレに蒲焼きにしてもらおうかしら? その後、豚の餌よ」
仕方ない。
「おい、王女。竜を殺すには蛇の力が必要だ。蒲焼きは利用した後にしろ」
「………チッ」
王女は舌打ちして、蛇を捻じるのを止めた。
「で、何よ? さっさと策を言いなさい」
「言え」
「貴様ら、少しくらい余を敬ってもいいだろうが。国を守り、聖女を助け、目障りな竜を抑える妙案なのだぞ?」
『言え』
俺とランシールの声が揃う。
「やれやれ、いいか――――――」
蛇が妙案とやらを言う。
それを聞いたランシールは、俺に疑いの目を向けた。
「飛竜を倒した件、ライガンを倒した件、海運商会長の“護衛”を倒した件、このド畜生が裏にいたとしても、フィロちゃんの実力があってのことでしょう。………だとしても、信じられないわ。大体あなた、鉄鱗公に力を奪われたのでしょ? 勝ち目はあるの?」
「………………」
勝ち目と言われると、閉口してしまう。
それでもやることに迷いはない。戦うか、戦って死ぬか、それだけだ。
「問題ない。余は、勝ち目のない戦いはしないのだ」
蛇は自信満々でそう言った。
疲れた顔で、ランシールは俺の肩に手を置く。
「フィロちゃん。この男の頭の中には、奸計と悪行と自己利益しかないの。絶対に信じちゃ駄目。ワタシも人の子の親になったから改めてわかる。子を殺す親はモンスターよ。それが、肉体であれ魂であれ、人が理解できない所業」
「よくわかっている」
「本当に? 熟考したの? 場合によっては、富も名声も女も、全部奪われるかもしれないのよ?」
「今の余にそこまではできん。見よ、この情けない姿を」
「だからこそよ。狡猾な者ほど弱い姿に化ける」
「おおっ、余の娘らしい学びのある言葉じゃ」
「誰が娘よ!」
蛇は壁に投げ付けられる。
俺は、それをキャッチした。
「任せるってことで良いか?」
時間が残されていない。
左わき腹の傷に触れる。包帯越しに湿った感触が伝わる。ただ立っているだけで、傷から緩やかに血が流れていた。
「最初から任せているわよ。死にたきゃ勝手にしなさい」
「なら、ハティはあのままにしろ。勝手に地下に持って行くなよ」
「あなたが死ぬまでならね」
「死なん」
「笑えるわ。異邦人ってみんなそうなの?」
「知るか。俺は俺なだけだ」
「その“俺”って、本当にあなた自身? その蛇が言っているんじゃないの?」
「冗談は止めろ」
蛇を肩に載せる。
どこに俺が俺でない理由がある? 俺の復讐が俺のものでないなら、誰が神の悪戯を罰するというのだ。
「魔法使い共がよく言うのよね。『神の御業はいつも皮肉に満ちている』って」
「そうか。俺は神なんか信じたことはない。ただの一度もな」
城を後に街を歩く。
チラホラと復旧作業を行っている人間を見かけた。
目が合うと彼らは作業と止め、各々の宗教に準じた祈りの所作をする。
まるで神様か何かだ。
「気分が良いじゃろ? 竜殺しを成せば、貴様の名声はもっと上がる」
「何とも言えん」
「英雄になるのだ。待望であろう?」
「………さあな」
俺は振り返る。
傷口から漏れだした血が点々と続いていた。
「そんなことより、勝算はどのくらいだ?」
「貴様がそんなことを気にするとは、弱気になったな。女のせいか? 余の知っている異邦人は、敵を殺すためには何もかも捨てたぞ。精神を物の形にしたのなら、あれは人の形をしておらん。余が可愛く思えるモンスターじゃ」
「知らん。一緒にするな」
ちょくちょく、知らない異邦人の姿がちらつく。
誰か知らんが、名前も残ってないから大した奴じゃないのだろう。
「勝算は、10を完璧な勝利とするなら、2と言ったところじゃ」
「たったの2かよ」
犠牲に吊りあわねぇ。
「勝てば10じゃ」
「勝てばな」
負ければ何もない。
いや、奪われた剣だけは残るのか。フィロの名と共に。
「先も言ったであろう。今の貴様は英雄だと。英雄には運命が味方するものだ。余にも経験がある」
「さっきの悪行を聞かされて、お前を英雄と思えるわけないだろ。もっとマシな嘘を吐け」
「悪であろうとも、英雄と呼ばれた時代はある。世界を救ったこともな。経験則じゃ」
「戯言を」
「いいから、祈ってみよ。誰ぞが助けてくれるかもしれん。欲深い商人共もこう言っている。『祈るのはタダ』とな」
「やれやれ」
ある瓦礫の前で足を止める。
死体がまだ、下敷きになっていた。
偶然なのか、運命の悪戯なのか、彼の手が見えた。手にした槍が見えた。飛竜の尾針を巻き付けた手製の槍だった。
砂利を噛んだような音が口から出る。
体をくの字に曲げて感情を押し殺す。
首が揺れて、下げていたことも忘れていた再生点の容器が見えた。
無色だ。
青も赤もない。
ここで吐き出すな。耐えて溜め込んで、奴にぶつけるのだ。
街を出て草原に足を踏み入れると、遠くに竜を見つけた。広げた両翼を傘のように閉じて姿を隠している。
ペースを崩さず、俺は鉄鱗公に向かって歩く。
彼我の距離が50メートル近くに狭まると、翼が羽ばたいた。
竜が姿を現す。
体長15メートル、翼開長は70メートル近くだろう。
前に見た竜よりも一回り小さい。だが、巨大なことに変わりはない。
爪は刃のように鋭く、大地を踏み締める2つの脚は人の手ではどうしようもない厚さ。
金色の瞳、長い首、攻撃的な一本角、少し丸みがあるトカゲ顔に、黒鉄の鱗。
そして、歪な左の翼。
線を引いたように、途中からの色合いが赤黒い。継ぎ接ぎだ。まるで下手な工作。
そうか。
「そこにあるのか」
俺の剣が。
「フィロ、奴の――――――」
「来るぞ。引っ込んでろ」
蛇を背に隠す。
空気が焼ける。
鉄鱗公の左翼が火を纏っていた。取り込まれている。肌で焼けるほど自分の力を感じている。
「生かしてやったのに、わざわざ死にに来たのか」
忌々しいガキの声が重たく響く。
「返せ。それは俺のものだ」
「貴様を殺さなかった理由はただ1つ。この剣が、貴様の命と繋がっている可能性があったからだ。だが今では完全に、俺様の剣だ」
剣の一振りで、いや翼の一振りで、草原が炎で舐め尽くされる。
青い旗がはためく。
咄嗟に取り出した旗で身を守らなかったら、俺は炭になっていた。
「ふん、青鱗公縁の旗か。それが何だと言うのだ」
翼がもう一度羽ばたく。
視界が炎で埋まり、広がった青い旗が――――――焼けて行く。飛竜の火や爪をものともしなかった旗が、燃えて灰となり塵になってゆく。
「蛇! やれ!」
「もう少し距離を詰めよ! ここからでは、どのみち焼かれる!」
「クソッ! 無茶な!」
「承知の上であろうが!」
旗が全て塵と消えた。
眼前で方合掌を作る。
マントをたなびかせ、左手の親指でルミル鋼の剣を弾く。
白刃が閃く。
炎が裂かれる。
斬れた。
だが、代償は大きかった。
ルミル鋼の剣が、ドロッとした赤い液体になって溶け落ちる。
道はできた。後は走――――――俺は倒れた。傷口が開いた。信じられない量の血が、自分から流れ落ちている。
立ち上がれない。
「無様な。所詮は人か。しかし、その強さは俺様が使ってやる。永遠にな」
鉄鱗公は、もう一度大きく翼を広げた。
剣を担ぐように、燃える翼を傾けた。
「言い残すことはあるか? 剣の礼に聞いてやろう」
「………笑わせるな」
「何がだ?」
俺の小さい呟きに、鉄鱗公は不快感を示した。
「人の強さっていうのはな。真の強さとは――――――」
路地裏で、差し出されたパンを思い出す。
女神に見えた赤毛の少女の姿を、俺は何度でも思い出す。
俺の世界が始まった瞬間だ。
「――――――1つしかないパンを、他人と分け合えることだ」
言葉をじっくりと飲み込んだ鉄鱗公は、首を傾げた。
「………………何を言っているのだ?」
理解できるはずがない。
半分のパンで、どれほど人が救われるかなど。ただ力を求めるだけのトカゲ野郎に、理解できてたまるか。
なぁ、フィロ。
お前の名前を継いだ俺が、こんな奴に負けるはずがない。
血を流しながら、震える足で立ち上がる。
何度でも、100万回でも数億回でも立ち上がってやる。
「もういい。消えちゃえよ」
翼が振り下ろされた。
紅蓮の炎が踊る。視界が赤い染まり、同時に白くフワフワな………毛玉?
「良くぞ言った」
炎が晴れた。
雪のように白い羽毛が舞う。
「は?」
俺の前に誰かがいた。
顔は見えないが、ハティのような女性らしいシルエット。
彼女は歌う囁く。
「本当の人の強さとは、慈愛に他ならない。例えそれが浅ましい逃げであれ、母子の慈しみであれ、侘びしさの癒しであれ、愛は愛なのだ。君はまさに、それに生かされ、それを忘れ、だが今思い出し、それを示した。祈りは完遂されたのだ。我が子よ」
シルエットが大きくなる。
人を遥かに超えた。まるで、竜のように。いや、鉄鱗公よりも大きい竜に。
それは――――――羽毛を持った竜だった。
「我が名は、【喰らう者バーンヴァーゲン】。またの名を、朽鱗公ロラン・オル・ルゥミディア。我が末よ。我が子が世話になった。少し………遊んでやる」




