<第一章:狂夜祭> 【08】
【08】
跳ぶ。
体を動かし続ける。
四方八方から迫りくる攻撃を躱す。いいや、躱しきれていない。
マントがズタボロに斬り裂かれていった。鎧も削られ、皮膚に届く。まるでミキサーの中にいるみたいな攻撃だ。
がむしゃらに縦横無尽に動き回る。
足を止めたら最後、細切れになって死ぬことは間違いない。
そして近付けない。
俺が間合いを詰めようとすると、攻撃が激烈になる。分厚い壁、津波や瀑布と言っていい。無理に飛び込むのは自殺と同じ。そこに、万に一つも勝ちはない。
他に幾つか確信したことがある。
いまだ攻撃手段は見えないが、剣の攻撃だ。得物の刃は薄く、剣身は50センチ程度。
俺の主観になるが、まともな剣技じゃない。奇剣、暗殺術の類。
全て急所狙い。
そしてそれを振るうのは、間違いなく前で腰を降ろしている男。この男の体格と、得物を頭に浮かべれば、見えない斬撃が奴の姿と重なって浮かぶ。
さて、そろそろだな。
「どうやら、冒険者の“頼みの綱”が尽きたようだねェ」
男がニヤリと笑う。
俺の肩や胸から甘く血がしぶく。
再生点が尽きた。
鎧の防御力も限界だ。
ここからは、必死になるな。
速度を上げる。心臓を臨界まで動かす。体から血煙が上がるほどの熱。命を蒸発させて体を動かす。
研げ。
感覚を、全神経を、魂を。
見えるはずだ。見切れるはずだ。この程度できないで、神を殺せるものか。
「まだ抜かねェんですかい?」
剣は抜かない。
構えは解かない。
ただ一拍の呼吸の後、静かに身を沈めて男に近付いた。
確死の壁、その一歩手前。
台風の目に入ったかのように攻撃が止まる。
「………どうした? 静かになったな」
「………………」
こいつの攻撃は自動的だ。
設定された動きを正確に繰り返している。まるでプログラムか何か。50近く攻撃を観測したが、どれも決して“ぶつかり合わなかった”。
だから、隙間があると賭けた。俺の立っている場所がそこ、敵を防ぐ壁となる攻撃と、急所狙いの攻撃が衝突してしまう地点。
ギリギリ1人が入れる程度の隙間。身じろぎもできない。
攻撃が、俺の右耳を撫でる。
「そこは急所じゃねぇぞ」
「この手数で仕留めきれなかったのはァ、あんたで3人目だ。しかしよォ、どうすんだい? ネズミがちいせぇ穴に入ったのと同じだぜ」
彼我の距離は2メートル。
俺の間合いだ。
速さ勝負だ。
相手の攻撃は不可視かつ神速といえる。俺の技がそれを越えられるのか? 腕を斬られるかもしれない。その後、体勢を崩したら肉片だ。
横にざっくりと切られた耳からどくどくと血が流れる。鼓膜が血で塞がる。血液を伝って心臓の音がうるさく響く。
止めだ止め。
さかしい考えは止めだ。
斬ることを迷うな。
斬ったら相手は死ぬ。斬らねば俺が死ぬ。ただ、それだけのこと。ただ、それだけに命を賭けるだけのこと。
俺は目を閉じた。
わずかな沈黙が流れた。
時間にすれば一呼吸もない。なのに、無限にも思える暗闇だった。
極限まで集中力を高める。響く心音がゆっくりになるほど、時間が粘ついて動きを止めるほど、精神を研ぐ。何もかも斬り裂くほどの鋭利に。
無明の精神の中に、一筋の光を見た。
目を開く。
左手の親指で剣を弾いた。
撃ち出された剣が、拝んだ右手に吸い込まれる。この一瞬、この小手先の技ともいえる一瞬が、俺の剣技の最速を生み出す。
剣を得た片合掌から、上段の振り下ろし。
刹那に白刃が交差する。
結果は見ない。
動き出した時間が、結果を教えてくれる。
剣の峰を親指に這わせ、刃を露出させた鞘に収める。
俺の右肩から血が噴き出した。
男の胸から血を噴き上がった。その傷は、致命傷に近い。
「俺の勝ちだ」
「そうさねェ」
深手を負っても、戦意を失っていないのは見事だ。
賞賛に値する。
「国から出て行け。どのみちその傷じゃ、竜と戦うのは無理だろ」
「甘いねェ。あんた」
声は、背後からした。
振り向くと、剣を構えた男がいる。
腰を掛けた男と同じ人物。服の汚れ具合すら同じ。双子という言葉では説明が付かないレベルの瓜二つ。
「あっしのとっておき、竜を落とすための一撃だァ。手向けとしてして受け取ってくんなさい」
男の手にした剣に空気が集まる。
剣技の範疇にない破壊力を感じた。最早、魔法と言っていい。
俺の左手がロングソードの柄に触れる。
ため息交じりに一言呟く。
「これが、『神の剣』なのか?」
『ぬかしなさんな』
2人の男が同時に吐き捨てた。
暗い光が世界に走る。
俺の左手には、逆手で抜いたロングソードがあった。暗い刃だ。生きているかのように刃紋が蠢いている。その様は、水に浮いた墨汁のよう。
「こいつは参った。あっしの剣は、人しか斬れねェんだ」
その言葉を最後に、2人の男は絶命した。
剣を持った方は跡形なく消え、もう1人の方は、上半身と下半身が別れた。
頭が割れそうな頭痛が走る。
吐き気と眩暈を覚えた。
「この男、自分自身を信仰したのね。正確には自分の剣技、かな?」
赤毛の少女が、男の本を手にしていた。
「魔法の本質とは、神の物語の再現にあるの。自分を信仰できるのなら、剣を振るう己を再現できる。ま、狂信の類だけどね。ほら、見てごらん。到底人間が読める文字じゃない。もしかしたら、文字ですらないかもね。だから、『神の剣』とうそぶいた」
捲られた本のページには、血で記号のようなものが描かれている。確かに、読めたものじゃない。奇本の類になるだろう。
怒りが湧く。怒りでは足りないマグマに似た感情が沸騰する。
「………黙れ」
「お喋りしよーよ。これ中々の強敵だったんじゃない? 血が滾ってイチモツがそそり立っているんじゃない? 鎮めてあげようか?」
「黙れ!」
「あん、しまっちゃうの」
暴れるロングソードを無理やり鞘に収めた。
同時に、赤毛の少女も消える。
彼女はいない。ただの幻だ。
「………………狂信か。俺も大して変わりないか」




