いぇーい、兄さんだよ!
悩める男を部屋に放置し、朝食のために食堂にやってきた。朝と言うには遅すぎ、昼と言うには早すぎる時間のためかほとんど人が居ない。
「おはよう、お客様。よく眠れたかい? 今日のおすすめは死火蜂の蜂蜜バターだよ。これを塗りたくったトーストは絶品さ。果物はリンゴとグレープ。飲み物はテーブルにあるから好きなのをついでな」
「いいですね。トーストを2枚とリンゴを切らないで丸ごと2個ください」
太陽みたいにニカッと笑った食堂のおばちゃんにお金をはらい、トーストとリンゴを受け取る。オレンジジュースをコップについでテーブルに座る。
食堂の前に並んでいた新聞を持ってきて読みながら食べることにする。
「どれどれ『第1王子と婚約者消えて1週間……2人だけの秘密の旅行中か!?』……はァ?!」
なんちゅう見出しだ。
「なんちゅう見出しだ」
「すごい。ボクらの記事が1面だ」
声をする方を見ると、銀髪の男が黄色い目を細め、リンゴを頬張っている。
「ちょっとちょっと無言で席を立たないで、微笑んでどっか行こうとしないで! ボクだよ」
「……花畑野郎?」
「そのまんまだと流石に騒ぎになるからね。美しいだけならともかく、金髪と緑の目は目立つから変えた。ヒーナと同じ銀髪に黄色の目にしてみたのだけれどどうだろうか。 琥珀色は難しいけど結構頑張って寄せたのさ。兄さんと読んでくれて構わないよ!!」
コイツは一体どういう思考回路で動いているのだろう。こんだけボケられるどツッコミもう追いつかない。箱に入ってるは、失恋してるわ、寝巻きだわ、秘密の旅行だわ、兄さんだわ、もうボケ渋滞だよ。何が悲しいってこれら全てがボケで済まされない、既に起こった現実の出来事だってことだ。
見てみてと言わんばかりによってくる男の顔を押し返しかえす。
「ハイハイ兄さん座って、静かにリンゴを食べましょうねー」
「ヒーナに兄さんっていう呼ばれると、なんか、こう込み上げてくるものがあるね」
「口に新聞詰められたくなかったら黙って食ってろ」
大人しくリンゴを齧る男を尻目に、新聞を詳しく読む。
……普通にみなかった事にしたい。なんだよ、人目を忍び、2人旅って。今朝、会ったばっかりだよ。私の『もう疲れました、さようなら』が曲解されて『忙し過ぎるよ。もう無理! 気晴らしに王子と旅行してくるよバイバイ!!』みたいな解釈されてるし。
記事の最後には、『2人の姿をが消えて1週間。王子の失踪はいつもの事とはいえ、タナヒルーナ嬢が抜けた執務の穴を何とかユネス伯爵が補っている。伯爵言わく「最近苦労してきたんだから存分に楽しんできなさい。お土産よろしく」との事。フォルシャータ王国1のベストカップルの道中に祝福と、願わくばその過程がイッガールノ宰相の手によって書籍化されることを願っている』と書かれていた。
「この国もうダメかもしれない。国家の重鎮が揃って消えたって言うのに、捜索する所か祝っちゃってるよ」
「ボク、仮にも未来のトップなんだけどな。今回は失踪じゃなくて誘拐だし」
食べ終えたリンゴの芯からタネをほじくり出しつつぼやく目の前の男にため息をつく。
「見出しが『タヒナルーナ嬢、ご乱心! 結婚破棄に怒り、王子誘拐か!?』じゃなかっただけマシかな」
「ヒーナに誘拐されたならどれだけ良かったか。情報が無さすぎて今どういう状態か分からない。とりあえずボクは何らかの幸運で誘拐犯の手から逃れたってことでいいんだよね?」
「そういえばアンタはなんでここに居るの?」
「アンタじゃなくて、お兄ちゃん! 人前では偽装しないと。ボクと居ることが周囲にバレたら面倒臭いよ」
それから『それぐらいわかるよね? 仕方の無い状況だからちゃんと呼ばないと? ほら、リピートアフターミー「お兄ちゃん」はい!』と明らかに巫山戯てのたまう男の鼻に細くなったりんごの芯を詰め込みたい衝動を抑えながらひと呼吸。いちいちイラつかないイラつかない。
「……に、兄さんはなぜ此処に存在していやがるのでしょうか?」
ダメだ、冷静になれない。どうしても言葉が乱れてしまう。貴族に囲まれた状況じゃないことも相まって言葉なだんだん雑になって来ている気がする。このまま城に戻ったらマナー講師に怒られそうだ。
「まるで存在することが悪であるような言い草。ボクが自分意思でここまで来たって訳じゃないのに」
「じゃぁ、なんで誰にも知られてないはずの私の居場所、しかも宿の部屋ピンポイントでアン……兄さんが届けられてるのさ?!」
幾つのミラクルが重なったらこういう状況になるのかさっぱりだ。
「ボクにも分からない。1週間前、婚約破棄が出来て、これから始まるハルシャとの日々を夢想しながらルンルンとベットに入った。勿論ハルシャも一緒に、だ」
「30回目の婚約破棄の夜ね。その時既に私は王都を出てたよ」
「そうだったんだ。だからかな。宰相が紙を持って『ヒーナが、我が娘が! 遺書を残して消えてしまった!!』って叫びながら走ってたって後から聞いた。後からというより意識を失う寸前かな」
「意識を失う寸前?」
『そう、意識を失う寸前ハルシャから』と兄さんは自分の身に起こった出来事を話し始めた。