よくある婚約破棄
「タナヒルーナ・イッガールノ。ごめん。ボクは今度こそ真実の愛を貫きたいんだ。彼女以外との結婚は考えられないし、考えたくもない。今回も、この婚約破棄は君から提案したことにしてくれない? ハルシャのことを表に出したくないんだ」
「何ふかしてやがるんだコノヤロウ」
場所は王城。数ある豪華絢爛な一室でことは起こっている。目の前にいる男は至って真剣な顔で私の手を握り、懇願しているこの状況。
生まれてこの方貴族としての立ち振る舞いを貫いてきた私の口から聞くに絶えない暴言が飛び出そうとするのを必死でこらえる。
「オイオイ、巫山戯けないでくれます?え?真実の愛?頭大丈夫?ミートパイにぶち込んだら正気に戻る?」
「誤解しないでくれ、君はいい奴だ。頼むよ。一生のお願い!」
「一生のお願い何回目だよ……」
「失恋する度に私の心は死んでいるから実質1回目だ」
呆れ果てて声も出ないとはこのこと。
私は何回この男の恋に振り回され無ければ行けないのだろう。
「せめて一生のお願いを毎回婚約破棄に使わないでよ。私何回婚約解消されんだよ。もうやりすぎてお父様の『第1王子と我が娘の婚約破棄騒動記録』のシリーズが10巻を超えそうだよ」
ちなみにこのシリーズは王国で一番人気の本である。王子の色恋沙汰は宰相であるお父様の情報収集能力と即文章化能力により、ほぼリアルタイムで国民中に知れ渡る。なんて国だ。
「今回はガチな感じだから」
「前回はマジな感じって言ってたけど別れたよね?」
「……頼む」
この目の前で懇願している男。0歳からの私の婚約相手、カイレオール・フォルシャータは我がフォルシャータ王国の第1王子である。
彼は国民が想像する理想の王子様をそのまんま実体化したような人間だ。ペンを持たせれば国家予算を増税なしで例年の倍にし、剣を持たせれば護衛騎士団長を逆に龍から守る。
また、花を持たせればあまねく老若男女を振り向かせ、笑顔ひとつでも見た者は彼に何かいい物を献上しなければいけないような衝動覚え始める。
才徳兼備、一騎当千、好評嘖嘖。あらゆる言葉で褒めた称えられる人物である。
『恋多き男』というひとつの欠点を除いては。
『恋多き男』と言うより、ただの恋愛バカである。毎回本気で恋に落ちているのが、タチが悪い。
神は完璧な人間を作りそこねた。ここまでやったんだったら最後まで完璧にしろよと、私は毎夜天に向かって呪いを向けている。
「6歳の時から始まってついに30回目。ついに30の大台に入っちゃったよ。世界中どころか全ての歴史から探しても30回も同じ人から婚約破棄される女がいるよ?!アァ?」
「どうどう。そんな卑屈にならないで。29回も第1王子と再婚出来る、魅力溢れた女性だと考えるのはどうだろう」
「鼻から脳みそ掻き出すぞ、この花畑王子」
「その罵倒、9回目の婚約破棄の時にも言ったね」
目の前にあるワイングラスをぶん投げないよう、震える手を抑えるのにとても苦労した。
「兎に角、またお願い!今度こそこの真実の愛を貫いてみせるよ」
金髪碧眼の整った顔でのウィンク。その美貌に心からの笑顔乗せ、足取りは軽やかに部屋を出ていく王子。
その頭を近くにあるワインボトルで殴ろうかと真剣に考える。
「お嬢様……」
物騒な思考をすみに追いやり、声をかけてきた侍女のカャルナに目を向ける。ずっと静かに私の後ろに立っていた彼女の顔は「またですねぇー」と言わんばかりの微笑だ。
「お父様にまた婚約破棄の公約を正式に出してもらうよう伝えてきてちょうだい」
「かしこまりました」
カャルナは一礼し、扉から出ていく。
『婚約破棄ですって?!』『お嬢様どうしましょう!?』『まずは原因追求よ』『どうやら事実のようです』『何処の馬の骨!?連れてきなさい!』といったやり取りをしていた頃が懐かしい。
「あのころはまだ若かった」
そしてウブで純粋だった。
いつからこうなったのだろう。幾度となく繰り返された『婚約の解消は君から言ってくれないかな』問答は慣れたとはいえ、やはり辛いものがある。
あの男が相手の女性と想いを交わし合い、幸せの絶頂の中婚約破棄するまさにその時、私は王子から捨てられた女という最大の不幸を感じている。逆に再婚約で私が安心している時、カイレオール王子は失恋の絶望に身を落としている。どちらか一方が幸せな時が、その一方の幸福なのだ。
「なんか、もう疲れたな」
こんなアホらしいこと繰り返すのも嫌になってきた。
あとから考えればこの時何かが私の中で終わったのだと思う。この時、幾度も繰り返される再婚約に付き合ってやっているのか、私の心の広さと優しさはついに消費し切った。
「よし、失踪しよ」
言葉に出してみれば簡単な事だ。あの男だって、恋に落ちる度にその女と駆け落ちして失踪扱いになっている。国の王子が失踪するんだ、王子に捨てられた女が失踪しても不思議はない。
「そうだ、失踪。なんかいい感じの森の中でなんかいい感じのお茶とか飲んで、日光浴びて水浴びとかなんか、こう、スローライフ的な生活をしよう」
こんだけ振られても、1度も寝返ることなく一途に第1王子に尽くしてきたのだ。30の大台になる婚約破棄の傷を癒すべき時が来た。
「今回恋に落ちた娘はラッキーなことに伯爵の未亡人だし、今やってる仕事はその人に任せよう。後釜も決まってることだし、あとぐされなく失踪できる!」
これは、ある男に振り回されることに疲れた少女がついに逃げ出し、新たな地で自由を謳歌しようとする話である。