悪役令嬢な転生聖女は祖国を追放されました。これは国家壊滅ルートですが、忠告を聞き入れてくれなかったのでどうしようもありませんでした。
やってしまった、そう思った。けれど、あれでは救えるものも救えないではないか。わたしがこの国に来て早二年。現在、わたしはこの国の皇太子妃だ。しかし、わたしの心は祖国をそう簡単には見捨てることができなかった。
昨年魔物が大量発生し、祖国に多大な被害を与えた。これは、ほとんど完全にゲームと同じ結末を辿ったといえるだろう。ゲーム、というのはわたしが前世で何周もプレイした乙女ゲームのことだ。その世界と、この世界の何もかもがそっくりだった。人名しかり、国名しかりだ。
プラチナブロンドの髪に、若葉色の瞳。ちょっときつい顔に厚化粧——厚化粧はゲームの中だけだけれど——、わたしことテレーゼ・イノセンチのほとんどすべては、ゲームの悪役令嬢そのものだった。婚約者にして祖国ニダーシュ王国の第三王子ハンス・ニダーシュは俺様系のイケメン。何度も攻略したわたしにとっては、決して間違えようのない事実だ。彼との婚約は、国が必要としていた聖女の力をわたしが生まれた時から持っていたためだと聞いた。
ほとんど、というのはゲームでは処刑された悪役令嬢のテレーゼ、わたくしが処刑されなかった、といったように、いくつかの点が異なるためである。わたしは一度は牢につながれたものの、現在の夫ジルベール様が高い金を祖国に渡したため、このように無事だ。政略結婚といえば聞こえはいいが、その内実は人身売買と言っても過言ではない。
ゲームのハンスルート、ハーレムルートでは、終盤に魔物が襲って来るイベントがある。そしてその前兆現象があるのだが、その時点で作中唯一の聖女であるテレーゼは浄化を拒否。同時期にヒロインのリリー——ゲームでも、こちらの世界でも名前は同じだった——が聖女として覚醒するのだ。これが決定打となり、エンディングの婚約破棄へと話がつながる。
しかし、それまでにゲームをクリアすると、そのイベントは起こらない。この現象は覚醒イベントの発生までに攻略対象の誰かしらの好感度を最大まで高めることで発生し、ハンスルートでも例外ではない。この場合は基本グッドエンドとなる。なお、ゲーム内で行動をとれる回数が制限されるので、ハーレムエンドを発生させるには時間が足りない。そのため、この時点で悪役令嬢が断罪される場合はハーレムエンドにはならないのだ。そのため、わたしは全パターンを見るために、それこそ各ルートを何周もした。
言い換えると、どのタイミングでもエンディングを迎えればクリアなのだ。例えば、第三王子エンドを迎えれば、悪役令嬢のわたしが断罪される。わたしが処刑されたことがテキストとして流れ、そののちに幸せに過ごしましたとさ、というナレーションが続く。
現世では、つまりわたしが転生したこの世界では、ヒロインの聖女覚醒イベントより前に断罪イベントが起こった。おわかりいただけただろうか。この世界において、ヒロインは聖女の力を覚醒することができなかったのである。その結果が祖国への魔物侵攻だ。イレギュラーなこともあった。しかし、それでもわたしが祖国にいれば、このような結果にはしなかった。
そして現在。わたしは夫のジルベール様と共に祖国の王都に向かっている途中である。色素の薄い金の髪に、アイスブルーの瞳という、大変麗しい見目の人物だ。そして、わたしは彼のことも知っていた。彼はゲームの隠れ攻略対象なのだ。
「テレーゼ、君の瞳が暗い色に染まっているところなんて、見たくもなかった」
「ごめんなさい。わたし、何もできなくて」
「君は悪くないよ。あのバカハンスが悪いんだ」
「いえ、彼はわたしのことを……」
「それでも、婚約者がいるのに、他の令嬢に現を抜かすなんて、擁護のしようがないとは思わないかい?」
「まあ、たしかに……でも」
「でも、なんて聞きたくない。私は君があんな言いがかりで処刑されそうになったというのが許せないんだ」
車内が密室のせいだろうか。わたしの顔はこれ以上にないほどゆで上がってしまった。どうしようと思った矢先、妙案を思いついた。カタコトと揺れる馬車の中、わたしは断罪されたあの日のことを振り返ることにした。あの恐怖を思い出せば、きっと熱も冷めるだろう、と。
☆☆☆☆☆
「テレーゼ・イノセンチ! お前との婚約を破棄する!」
「殿下、なぜですか? わたしは何もしていません。それに、わたしたちの婚約は国王陛下がわたしの聖女としての力を必要としていたから結ばれたものです。魔物討伐のために、です。もしかして殿下は陛下よりも偉いというのですか?」
「そんなことは関係ない! リリーから聞いたのだ。お前の悪事は全部知っているのだぞ!」
王立学園で夏休み前の終業式が終わり、皆それぞれの実家に帰るために自室に荷物を取りに戻ろうとしていた最中に事件は起こった。そう、わたしの婚約者ハンス・ニダーシュ殿下が婚約の破棄を宣言したのだ。もちろんわたしたちの、である。
「お前がリリーにしてきた数々の蛮行、万死に値する! イノセンチ家の未来はわかっているだろう? テレーゼよ」
「ですから、リリー様に何かをした覚えはありません」
「ない、だと? ふざけるな! 彼女から全部聞いたのだ。彼女をいびったり、教科書を破ったり、階段から突き落としたり……果てには取り巻きの令嬢たちを使って彼女を虐めたとまで聞いている! 白状しろ、お前に逃げ場などない!」
いびった、というのは婚約者のいる男性にむやみに近づいてはいけません、などと貴族としての常識を教えたことだろうか。実際、ゲームをプレイしていた頃のわたしにはわからなかったが、こちらの世界ではヒロインの考え方こそがイレギュラーなのである。
ましてや、複数の攻略対象のもとに足繁く通う様子は、ふしだらな女と見られても仕方がない。冷静になってみれば前世でもそういう面はあった。それに気がついたのは転生後だったが。もちろん、前世でもリアルではそんなことはしていない。恋人もおらず、ワーカホリックな日々を過ごしていたわたしにそんな暇はなかった。だからこそ、ゲームにのめり込んだともいえる。
それはともかく、他は一切の覚えがない。教科書を破いたり階段から突き落としたりといったことをした覚えはないし、取り巻きの令嬢たちにやらせたというのは、リリー様の妄言だろう。もっとも「社交界の女性たちをうまくあしらえないのに王子妃が務まるはずがない」という意味かもしれないが、ハンス殿下に限って、そんなことはないはずだ。
ただ、正義を重んじる彼にとって——他の攻略対象者にもそういう部分はあるが——、他人にいびらせるというのは許せるたぐいのものではないのだろう。その点はわたしも一緒だが、完全に冤罪だ。
と、考え事をしている内にわたしは他の攻略対象たちによって取り囲まれていた。名前は——どうでもいい。宰相家の嫡男に、騎士団長家の嫡男、それから攻略対象の教師といったところか。あと義弟のルクスもいる。攻略対象者だから当然といえばそうなのだろう。
ゲームであれば、ヒロインの聖女としての能力が覚醒していないので、本来であればまだ全員の好感度がハーレムエンドの基準を満たすまでは至っていないはずだった。しかし、なぜかはジルベール様に嫁いだ今もわかっていないが、ヒロインは逆ハーレムを形成していたのだ。
それはさておき。それぞれのことを思い出していると、騎士団長家の息子——騎士君でいいや——がわたしの腕を軽く、しかし乱暴に掴んだ。続いて、攻略対象の教師が口を開く。
「テレーゼ嬢。君は何をしたかわかっているのかい?」
「わたしには覚えがありません。唯一あるといえば彼女に貴族としてのあり方を教えたのがいびりと感じられたのかもしれませんが……」
「いじめはいじめられた側がいじめと感じたらいじめなんだよ。公爵家のご令嬢だというのに、そんなこともわからないのかい?」
「多人数でわたしひとりに絡んでいる今の状況はいじめではないのですか?」
攻略対象の教師がわたしを諭す。まさかその言葉をこの世界で聞くとは思わなかったが、日本の乙女ゲームだからそんなものかと納得した。しかし、一対一の場合はいじめではなく、嫌がらせと呼ぶのがふさわしいのではないか。取り巻きを使ったということだろうか。そんなことは彼らにとってはどうでもいいのだろう。そんなことを考えていると、宰相の息子が口を挟んできた。
「こ、これは正当な裁きだ! 裁判において罪人の周囲に裁判官がふ、複数いるのは当然のことだ」
「裁判官は中立であるべきではなくて?」
気弱な彼はわたしの言葉に少しひるむ。しかし、その様子を見て義弟のルクスがわたしを責め立てる。
「姉上はそうやって公爵令嬢としての、聖女としての権力を自分のために使うから、このような事態を招いてしまったんだ。まあいいよ。姉上以外、うちはみんな王子側についているから、うちは安泰だよ。でも、身内から罪人が出たら裁かなければならない。そうだよね?」
彼は暗黒の微笑みを浮かべている。これだから腹黒キャラは苦手なのだ。ちなみに監禁エンドまで用意されている。怖い。それはそれとして、先ほどの殿下の言葉だと我が家は取り潰しとなるのではないか。
無口な騎士君以外が一通りしゃべったところで、気づいた時にはハンス殿下がリリー様を伴ってこちらにやって来ていた。黒髪に金の瞳というのは、夜闇に紛れていたら恐ろしいものだろう。知らないけれど。二人に目をやれば、ヒロインのリリー様は口を開いた。
「ハンス様……この方、本っ当に怖い方で……一生私の前に現れてほしくないです」
「そうか。リリーがそう言うのなら、処刑しよう。貴族籍の剝奪や国外追放ぐらいではばったりどこで再会してしまうとも限らない。数日後に裁判を開いて、それからまた数日後に王子妃に対する嫌がらせをしたというのが理由だ。少しの間待っていてもらうことになるが……すまない」
「ハンス様が謝る必要なんてないんですっ……悪いのはテレーゼ様だから」
「お前は優しいな、リリー。そしてテレーゼよ、お前は裁判にかけられ、処刑される運命なのだ。運命からは決して逃れられないぞ。そろそろ騒ぎを聞きつけた学園の兵たちがこちらに向かって来る頃だろう」
そう言うと、彼らはわたしから興味をなくしたようで、二人で談笑し始めた。かわって、ルクスがわたしに話しかける。
「本当姉上は昔からマナーと伝統と格式の話ばかりで五月蠅かったんですよ。これでせいせいします。でも、あなたはそう簡単に死ぬだけで救われるものではない。そうでしょ? 自覚していますよね、姉上」
「は?」
「は? とは? 淑女の風上にも置けませんね。そんな姉上には、ボロボロの服を着せられてその綺麗な髪を切り落とされ、広場を興奮した牛馬に引きずり回された後で色々されて、公開処刑されるという無惨な散り方がふさわしいと思います。リリー様や僕を苛めるだけの役立たずの姉上も、庶民のみんなを喜ばせて役に立てるのですから、いいですよね? そう殿下にお願いしておきますね」
わたしの「は?」に淑女らしさがないという弟は、今日も今日とてグロテスクなことを考えているようだ。この作品で一番関わってはいけない危険人物は間違いなく彼だ。そしてわたしの意見が一切聞き入れられないことを理解した上での発言だろう。これはハンス殿下の正義感に期待して穏便な方法で済ませてもらえるように願うしかなかった。しかし、今の彼はリリー様のことに限っては暴走列車もいいところだろう。願うだけ無駄かもしれない。
そう思考を巡らせているうちに、わたしは兵士たちに囲まれ、取り押さえられた。そのまま猿ぐつわをかまされ、後ろ手に縛られて城の地下牢に放り込まれた。正直、じめじめしてかび臭く、苦しかった。灯りひとつない場所で時間間隔が狂っていった。しかし、そんな時間はそれほど長くは続かなかった。おそらく、一日となかったのではないか。
「立て!」
ひとりの兵士が鉄格子の扉を開ける。わたしは促されるまま、彼について行く。連れて行かれた先は、城の中の一室であった。どうやら今は昼前らしい。
「ここで待っていろ」
罪人を連れて行く先としては、あまりに小奇麗というか、豪奢ではなかろうか。淑女らしからぬ、くしゃくしゃになった制服のスカートの裾を強く握った。やっと恐怖から解放されたのだ。仕方のないことだと自分に言い聞かせた。
どれくらい待っただろうか。部屋の扉が叩かれた。
「失礼するよ」
入室してきたのは、ジルベール様とその従者たちだった。わたしは即座に彼が乙女ゲームの隠れ攻略対象だと理解し、彼の立場を思い出して淑女の礼をとった。
「へえ……私がだれかわかっているみたいだね。面白い子だ」
「お褒めいただき恐悦至極に存じます」
「いいよ。顔を上げて……そう、いい子だね。私はジルベール・チェーザル。君は?」
「テレーゼ・イノセンチと申します。もう貴族籍は剝奪されているかもしれませんが……」
「剝奪? そんなことは些細な問題だ」
ジルベール様のお歳はわたしより二つほど上だったはずだ。ただ、表面上は当時十七歳だったわたしより年上なのだが、実際には前世を合わせるとわたしの方が年上だ。なのに、そうは思えないほどスマートだった。これは彼が乙女ゲームの攻略対象ゆえだと思っていた。
このようにして出会ったわたしたちだが、わたしはこの後すぐに彼の馬車に乗って王都を離れることになった。そのまま皇都に連れて行かれたわけだが、お金でわたしを王国から亡命させることになったと聞かされたのはこの時だ。リリー様のお願いを曲解した殿下がおかしな方向に走りかけていたが、やはりお金の力にはかなわないのだろう。その額は祖国の国家予算の十年分程度だとジルベール様から聞いた。
そして、わたしたちは一年の婚約期間を設けてその後結婚することになった。理由は、対外的にはわたしがハンス殿下の子を宿していないという証明をした上で結婚することになったと喧伝されている。しかし、実際は違う。
わたしがジルベール様に連れられてやって来た帝国にも、魔物の大量発生する前兆が観測されていたのだという。そして、ジルベール様はそれを抑えられる「聖女」を欲していたそうだ。それがわたしだ。
わたしはその一年間、ジルベール様と共に帝国内を馬車で駆け回った。各地の魔物を浄化していく中で、わたしは隣の小国の貴族という烙印を無に帰していった。そうした中、ニダーシュ王国にも魔物が現れはじめたという情報も入ったのだ。しかし、当時わたしは王国とは反対側の魔物たちを対処していた。というのも、ジルベール様の計らいにより、はじめの頃は王国沿いの地域を浄化していた。それまではよかった。そう、乙女ゲームで魔物が発生したのはいずれも、帝国近辺の地域だったからだ。
しかし、王国内のうち帝国近辺には魔物が発生しなくなった一方、帝国とは反対側で魔物が発生し始めたのだという。これは乙女ゲーム内ではなかったことだ。そのため、わたしも動揺した。しかし、助けに行こうにも、時間がかかりすぎる上、その時わたしたちがいた地域はひどく魔物が多かったため、長らくの間、かかりきりになってしまったのだ。
☆☆☆☆☆
そうして、帝国領内の魔物が事実上完全に沈静化した今、祖国の国王陛下に手紙を書いて、聖女としての力があった方がよいという理由で一時帰国することになったのだ。もちろん、ジルベール様と一緒に、だ。
王都に着くと、以前より活気がないことに気づいた。もちろん、行きかう人々の声は聞こえてくるのだが、街全体がどこか暗い雰囲気を帯びているのだ。貴族街は被害が著しかった。ほとんどの邸がどこかしら損傷しているのだ。
わたしにはその理由がわかった。魔物たちは魔力を求めて、強力な魔力のある場所に集まってくる。地方だと、われわれ人間という魔力を持つ存在がたくさんいる街に集まって来る。それは王都でも例外ではない。貴族はわりと魔力が高く、さらに魔力を持つ石、魔石を装飾に使ったりするなど、貴族街の魔力濃度は高いことが容易に推定できる。わたしたちの馬車はそんな街を進んで行った。
そして、王宮はその比ではなかった。王宮内の様々な箇所が壊されていたのだ。廃墟同然かと思いきや、一部の建物は被害がほとんどなかった。そのため、そこに人が集まっているようだった。
そして、馬車を降りたわたしたちは、陛下のおわす玉座の間に通される。すぐに陛下は現れたが、最後にお会いした時に比べ、その顔は心なしか少しやつれていた。わたしは今回帰ってきた理由を改めて陛下に伝えていたのだが。そこに現れたのはハンス殿下だった。しかし、彼は陛下よりも目に見えて衰えていた。
「テレーゼ! 貴様、よくもそんな顔でのこのこと帰って来れたな! リリーがお前と顔を合わせたくないという話を聞いていなかったのか⁉ それに、お前が国を去ったことでこちらは魔物の被害が甚大なんだぞ!」
ハアハアと、彼は息絶え絶えにこちらに怒りを向けてくる。しかし、リリー様に顔を合わせず、つまりこの国におらず、この国の魔物を浄化しろという意味なのだろうか。両立は不可能だ。さもなくば、リリー様にこの国を出ていってもらうしかないのだが、ハンス殿下はそのようなところまで気が回らないほど忙しいのだろう。あと、お前から貴様に呼び方がパワーアップしていた。
そう思考を整理していると、陛下から怒声が飛んできた。
「このバカモノが! 一体何のためにお前をテレーゼと婚約させたのかも理解せずに、他の小娘に現を抜かすとは、何事だ! 二年前の説教ではまだ足りなかったということか」
「ですから、彼女はリリーを虐めたのです。それが私には許せませんでした。だから婚約を破棄したんです」
「何事も相談せいと私は伝えたはずなのだがな……それに、最近は事後処理もせずにあの娘と遊びまわっていると報告を受けておるぞ」
「ち、違うんです!」
そこに、リリー様がやって来た。兵士に左右を支えられている。
「ハンスさ……なっ、何でここに⁉」
「ごきげんよう、リリー様。お久しぶりですね」
「フ、フン! 今さら帰ってきて、何なんですか! 私はあなたの顔を見たくないんですけど」
「魔物の被害がこちらに広がっているとお聞きしたので、帰ってまいり」
「どうせこうなることを知ってたんでしょ! ざまぁみろって心の中では思っているんでしょ!」
「思っていません」
「嘘をつくな! 貴様の狙いがリリーの言う通りだからそう言っているんだろう!」
「思っていま」
「まあまあ。皆様、一旦落ち着きましょう」
そう言ってジルベール様が止めに入ってくれた。わたしはそのおかげで、冷静さを取り戻せた。再び入口から入ってきたお二方の様子を見る。二人ともが静かになったことを確認すると、わたしは再び国王陛下の方に向き直り、話を続ける。
「そうか。王都周辺の魔物はおおよそ腕ずくで倒したものの、地方はいまだに被害が大きいのだ。どうか力を貸してはいただけないだろうか、テレーゼ皇太子妃殿下」
「はい、喜んで。ニダーシュ王」
「貴様、頭が高……フガッ! 何をする、放せ、放せ~!」
こうして殿下、そしてそれに続いてリリー様が退出させられていく。それを見届けた後、わたしたちはニダーシュ王と話し合い、当該地域の魔物たちの浄化に向かった。
☆☆☆☆☆
その後、浄化は無事完了した。ニダーシュ王から感謝の言葉と、わたしと引き換えに渡されていた金額のうちの数年分を受け取り、わたしたちは王都を発った。そして、国境のある森を進み、しばらくたったその時。急に馬車が止まった。
「何が起こったのかしら?」
「テレーゼは動かないで。大体どういう状況かわかったから」
そう言うと、ジルベール様は馬車を降りていく。扉が閉められたかと思えばその刹那、外からは激しい剣戟の音が聞こえてきた。わたしは思わず身を抱え込んでしまった。
しばらくすると、だんだん音が少なくなっていく。ほどなくして、ジルベール様が馬車に戻ってきた。
「さあ、私たちの家に帰ろう。このことは従者にニダーシュ王に伝えさせるから、心配しないで」
「はい。わたしは何度もジルベール様に助けられてばかりで……ありがとうございます。それでなのですが、婚約破棄されて地下牢に閉じ込められた時、どうしてあんなに早く来てくれたんですか?」
「ジル」
「はい?」
「ジルと呼んではくれないか? そうしたら教えてあげるから」
「ずるい……」
愛称呼び。たしかに私的な場においては、あの皇帝陛下さえもジルと呼んでいた気がする。それはまだわたしには厳しいと思っていた。でも、彼も妥協してくれなさそうだ。わたしはあっという間に折れてしまった。
「ジル……」
「うん。いい子だ。それで、私が君をどうして助けに行ったかという話なんだけど……それを聞いても私を嫌いにはならないではくれないか?」
「はい」
聞いた話は、こうだ。なんと彼もあの乙女ゲームについて知っていたのだ! 彼は記憶の中の予言だと言っているが、間違いない。こちらで前世のことを思い出した時には、王国や自身の名前に聞き覚えがあること、そして魔物という存在が蔓延ると予想されるという話を聞いて、王国に留学していたらしい。さりげなく探りを入れてみたところ、どうやら前世の妹が熱中していたらしい。
しかも、前世で生を終えた年齢を聞けば、わたしより年下だった。こちらでは年上とはいえ、合計年齢はわたしの方が上だった。にもかかわらず、彼は女性の扱いというものを心得ているようだ。
「私はあのゲームを見ていて、どう考えてもヒロインの方が悪いんじゃないかな、と思っていたんだけど……まったくの予想通りで吃驚したよ。君と夫婦になれてよかった。でも、君が乙女ゲームの悪役令嬢、テレーゼだったから好きになったわけじゃないんだ。君だから好きになったんだ」
「えっと? それはどういう……」
「最初は聖女が必要だと思って君を帝国に招いた。そこに恋愛感情なんてなかったんだ。だって予言者の記憶を合わせたらおじさんだというのに、うら若き乙女に恋をするか、ってね。でも、君を知るほど好きになってしまったんだ」
顔が熱くなる。彼はテレーゼに悪い印象を抱いていなかった。そして、聖女としての力を欲していた。でも、それだけだった。にもかかわらず、この二年の間にわたしのことを好いてくれたとは。これほどに恥ずかしいことはない。というのも。
「わたしも、その……ジルのことをお慕いしております」
「……嬉しいよ。テレーゼ」
最初はゲームのキャラクターだな、とか美形だな、というぐらいにしか思っていなかったわたしも、あちこちを回った二年の間にすっかり恋に落ちてしまっていたのだ。
彼は馬車の外を見て顔を赤らめている。余計にいたたまれなくなるから、やめてほしい。そう言えば、お互い様だと返されてしまった。そこで咳払いをしたジルが話題を変える。
「……そういえば結婚式、まだだったね。どうする? ウェディングドレスは一生に一度の思い出だというし……そもそも、国民にお披露目するのは必須だから、いつにする?」
「えっと、準備ができたら……ですかね」
それもそうだね、と彼は頷いた。その後は何事もなく皇都まで到着した。
☆☆☆☆☆
数ヶ月後。結婚式はつつがなく進められた。普段は私的な場で彼のことをジルと呼んでいる時ですら厳粛な顔をしている皇帝陛下。そんな彼も今日ばかりは笑みを浮かべていた。わたしは、ドレスこそ純白のものだが、かぶったティアラには彼の瞳の色であるアイスブルーの宝石がふんだんに使われていた。彼の色を身に纏っていると思うだけで、自然と背筋が伸びた。
この結婚式には王国からはお父様ひとりが招待された。わたしのために、である。わたしはお父様に伴われてヴァージンロードを歩く。そして、ジルのところまで到着すると、今度は二人で歩んでいく。
「汝ジルベール。健やかなる時も、病める時も、死が二人を分かつ時までテレーゼを愛すると誓いますか?」
「誓います」
「汝テレーゼ。健やかなる時も、病める時も、死が二人を分かつ時までジルベールを愛すると誓いますか?」
誓います。そう告げると、神父様が誓いのキスを促した。向かい合うと、ヴェールがめくられる。わたしたちがキスを交わすのは、これがはじめてのことだった。
「世界の誰よりも幸せにするよ、私のテレーゼ」
「それはわたしの台詞です、ジル」
はじめての口づけは、幸せの味がした。
☆☆☆☆☆
結婚式の後、お父様から王国のその後について聞いたのだが。ハンス殿下はわたしが帰った時点で王位継承権を剝奪されていたらしい。そして、男児のいなかったリリー様のところに婿養子として結婚していったそうだ。他の取り巻きたちは謹慎ののち、それぞれの家でしごかれているとか。もちろん、ルクスも例外ではない。
しかし、これはわたしが帰国するまでの話だ。その後の二名がひどかった。男爵家の当主がハンス様に代わってからの話であるが、違法な薬物を生産していたこと、加えて領地に重税を課していたことが判明したのだという。それで、二人は王宮で裁判にかけられていたそうだが、わたしが帰国したと聞いてハンス様が突撃してきたらしい。連れてくる兵士も兵士だと思うが。
最終的に、彼らは有罪とされ、貴族籍を剝奪されるにいたったという。しかし、これに怒ったルクスや教師、騎士君がその怒りをわたしに向けたそうだ。それが例の馬車襲撃事件に至った経緯だという。彼らも同様に貴族籍を剝奪されたのは、自己責任というものだろう。
☆☆☆☆☆
その夜、わたしは寝間着を着たまま、ジルのベッドの中で一緒に寝ていた。本来、貴族としての責務を果たさなければならないのだから、他の誰かがこの様子を見たらきっと変に思うだろう。これは、義務を果たそうとしたもののわたしが身体をこわばらせたことに気づいたジルが「また今度にしよう」と言ってくれたからだ。しかし。
「愛してる」
「わたしもです。愛してます」
「いや、私の方が君を愛してるよ」
「えっと、わたしの方がジルを愛してますっ……」
お互い、自分の方が相手のことを愛しているという「愛している対決」が始まってしまったのだ。とても気恥ずかしくて、やめたいのだが、やめ時がわからない。顔もすでにものすごい熱を持っていて。本当にやめ時がわからないのだ。
この日はものすごく夜更かしをしてしまった。きっと悪い子や悪役だなんてかわいい言葉では収まらないくらいだろう。でも、ひとつだけ確実に言えることがある。
わたしたちは世界一幸せな夫婦だ。
お読みいただきありがとうございました。
感想、ブクマ、評価等入れていただけましたら幸いです。
また現在なろう内にて「孤児院育ちの侯爵令嬢ですが、王太子殿下から求婚されています。 ~お相手は初恋の君でした~」を連載中です。第一章の本編は最後まで投稿済みです。よろしければ、こちらも読んでいただけましたら嬉しいです。