8場「何か良からぬことが動き出しています」
ユッカ姫は花火の赤い頬を不思議そうに見ていたが何も聞いては来なかった。
助かった。花火はホッと息を吐く。
「ユッカ姫は普段どんなことをされてるんですか?」
「テイオー学……? 後継者になるお勉強です。
父王はあと100年生きるんじゃないかってくらい元気ですが、何があるか分からないですからね」
そう言って彼女はカップを持ち上げる。
なんとも洗練された仕草だ。……違う、あまりにも美しいので仕草全てが輝いて見えるのだ。
花火はボーッと彼女の顔を眺めた。
なんて美しい。女の花火ですら見つめられると心臓が高鳴った。
自分もこんなに美しければ、ヘイルからの好意をうまく対処できるんじゃないだろうか……。
その時カチャンという陶器の音と、姫の小さな悲鳴が聞こえた。
慌てて意識を戻す。
ユッカがお茶をこぼしたのだ。
彼女の着ていた美しいドレスに茶色のシミが広がっていく。
「大変……!」
「どうしましょう。またヨタカに怒られるわ……。
……ヘイル、着替えを持って来てもらえる?」
「かしこまりました」
彼は一礼すると素早く部屋を出て行った。
花火は近くにあった手拭きを取り姫のシミを取ろうとした。その手をユッカに軽く握られる。
「気を付けて」
「……え?」
姫の金の髪が流れる。
彼女の唇が花火の耳に触れていた。
「周りは誰も信用できない。何か良からぬことが動き出しています。
わたくしが守る、と言いたかったのですけど、ごめんなさい。無理みたい。
自分の身は自分で。出来ることならここから逃げてください」
ユッカの囁く声は震えていた。
「……急に……なんです……」
「ごめんなさい急に。
でもあなたは、お姉さんと違って誰からも守られていない。
心配なんです」
「なぜ」
突然、窓の外からファンファーレが鳴り響いた。
場違いなほど明るい音に花火の体は震える。
ユッカは青ざめサッと窓から距離を取った。
「ひ……もう帰ってきやがった……」
花火は窓の外を見る。
豪華絢爛な大きな馬車から1人の男が現れた。
30ほどの、体格のいい男だ。
着ているものは馬車に劣らない絢爛さ。
ただならぬ男なのだろうと花火は察した。そして彼女の怯え方からして……。
「おれはまだ死にたくない……。だから、ヨタカの言うことを聞いておく。そうすりゃ守ってもらえンだ」
ユッカは窓から目を離さず体を震わせしゃがみ込む。花火は慌てて、転がるようにして近づいた。
細い肩を撫で摩る。
「あれは……アベリア王子?」
「そうだ」
彼女の目は虚ろで、体を前後に揺らしながら垂れた髪の隙間から王子を見ていた。
明らかに様子がおかしい。喋り方も先ほどの洗練された喋り方ではなく泥臭いものになっている。
彼女は田舎からここに来たと言っていた。本来のユッカはこういう話し方をするのだろう。
口調に気を回せるほどの余裕がないほど怯えているのだ……。
「……何故そんなにも怯えているのですか?」
「おれのアニキの、し、死体を、あん人が見つけたんだ。
あん人がアニキを殺したって皆言うんだ。
もしかしたら……そうかもしれない。あん人はおれたちを怨んでるんだ」
「アニキ?
お兄様はアベリア王子だけじゃ……」
「違う。アベリア王子は腹違いだ。おれには母ちゃんも一緒のアニキがいたんだよ。
だけど5ヶ月前に死んで、おれが呼ばれた」
そう言ってユッカはぎゅっと拳を握った。花火は拳の上に手のひらを重ねる。
「母ちゃんが第二夫人になって、長子だし、アニキは城に行ったんだ。
おれは病気の叔母さんの手伝いのために家に残った。それ以来離れ離れだ。
そんな会わねえけど、でも大事だった……。
なのにアベリア王子はアニキを死に追いやった」
「まさか」
「おれのこと、殺したいはずだ。おれたちのこと憎んでる。そりゃそうだろうけどよお……。
おれだって何もなきゃこんなところ来たくなかったのに……。死にたくない……」
泣き声交じりにユッカが囁いた瞬間、花火の左足が痛み出した。
またあの皮膚を突き破るような痛み。
「いっ、た……」
花火がユッカの方へ倒れこむと、彼女はハッとした表情に変わる。
花火の異変に正気を取り戻したのだ。
「どうしたんだ、ですか!?」
「わかりません、足が……痛くて……」
「た、大変。
いま人を」
「だ、大丈夫です!」
また鱗が生えてきているのだ。
あれだけ苦労して剥がしたというのに。
だがあれを人に見られるわけにはいかない……話せない。
花火は人を呼ばせないようユッカの体に縋り付く。
彼女はそれを相当な痛みからだと勘違いしたようで、必死になって花火の体を抱きしめ返した。
「おれ、わたくし、あまり魔法は使えなくて。
冷やすのと温めるのどっちが良いンだ?」
「す、少しすれば……治ります……」
ユッカが花火の額に浮いた脂汗を優しく拭う。
その感触に少しだけ痛みが和らいだ。
「……失礼します」
冷えた声がした。ヘイルだ。
着替えを取りに行っていた彼だが、ユッカに抱き着く花火を見た瞬間、着替えを床に投げて飛んで来た。
「花火さん!?」
「わ!? ブルーストームさん……!」
「どうされたんですか!?」
「え、あ、足が痛いそうです……。
そういえばブルーストームさんは魔法が使えますよね……」
ヘイルはユッカの言葉を無視して、花火の脇の下に手を入れるとそのまま自分の方へ引き寄せた。
「抱き着くなら私に」
真面目な顔でそう言うヘイルに、花火はしまったと顔を青くする。
慌てていたとはいえ一国の姫に抱き着くなんて相当な無礼だ。
「も、もうしわけ、ないです。
姫様に、抱き着くだなんて」
「そんなこといいんですよ。そんなことより気にすることあるような」
「無いですよ。
さ、花火さん。こちらに」
ヘイルは慣れた手つきで花火の体を己の胸に収めてしまう。
だが花火の足の痛みは徐々に引いていた。彼女はヘイルから距離を取ろうとする。
「すみません、もう大丈夫です」
「顔色がまだよくありませんから」
花火の頬を一撫でしたヘイルは彼女を無理矢理抱える。そして掛けてあった杖を取るとユッカにお辞儀をした。
「そろそろお暇いたします」
「ブルーストームさん?
そんな堂々と助兵衛なことを……」
「……王子は別棟に戻られるそうです。
ご安心を」
「……あ……。そう……」
呆然としたユッカを花火は見つめた。
何か言おうとしたがそれよりも前にヘイルが踵を返してしまう。
「ヘイルさん、私はもう……」
「急ぎましょう。
失礼します」
「いやだから痛みはない……んだけどなあ……」
彼女の話を一切聞かないヘイルに連れられ、花火はその場を後にした。
*
自室のベッドに寝かしつけられ花火はぼんやりと天井を眺めた。
姫の尋常でない怯え方が気になった。そんなに恐ろしい人なのか。
アベリア王子。遠目で見ただけだが、確かに威圧感のある人だった。
……あの人がユッカ姫の兄を殺した……。
「ヘイルさん……。ユッカ姫から、アベリア王子の話を聞きました」
「なんという話でしょう」
側にいたヘイルがベッドの横の椅子に腰掛ける。
花火も半身を起こしてヘイルに顔を向けた。
「ユッカ姫のお兄さんを殺したと」
「ああ。まあ、単なる噂ですけど」
あっさり頷くヘイルに彼女は拍子抜けした。
「そんな噂が?」
「私はフクシア王子……姫のお兄様が亡くなった時のことはよく存じ上げないのですが、犬に襲われて死んだそうです。
死体を見つけた中の1人がアベリア王子で、周りは王位継承権のあるフクシア王子を殺すために、アベリア王子が犬をけしかけたんだと噂したんですよ」
淡々とヘイルは話す。なんの感情も籠らない声。
「そんな」
「根も葉もない噂です。真に受けるのなんて純朴な田舎娘くらいかと思いましたが、結構信じてる人も多いようで。
フクシア王子よりもアベリア王子の方が優秀で王に向いています……ずっとそうやって育てられていました。
アベリア王子にとってフクシア王子はなんら脅威ではない。ユッカ姫もね」
「……殺す動機は無い」
「そうです」
それを聞いて花火はホッと息を吐いた。顔の緊張が解れる。
「そうですよね。きょうだいを殺すだなんて……そんな恐ろしいこと」
「……花火さんは聖女様と仲が良いのですか?」
「え?」
そう聞かれ、彼女は戸惑った。
祭と花火は仲が良いのだろうか。
いや、悪くはない。だが良くもない……家族だから一緒に過ごしているだけだ。
きっと血の繋がりがなければ話すことも無かっただろう。
そう思うと血が繋がっていて良かったような気がするから不思議なものだ。
仲は良くも悪くもない。でも嫌いじゃないし、情がある。
「仲は悪くないでしょうけど……。タイプが違うので」
「……なるほどね」
「そういえばヘイルさんもお兄さんと妹さんがいるんですよね?」
「ええ。
でも同じです。タイプが違う」
そう言って彼はもう一度「違う」と呟いた。
「どんな感じなんですか?」
「妹たちはうるさいですね。2人でずっと喧嘩したり……えっと、喧嘩したり……喧嘩してます」
彼は微かに困った顔になる。
姉妹とはそういうものだろう、花火は苦笑した。
「お兄さんは?」
「……どうでしょう。兄とは本当に……合わなかった」
ヘイルの目はどこか遠くを見ている。
「合わなかった」その過去形に花火は引っかかった。
それが顔に出ていたのだろう、ヘイルがああと頷いた。
「4ヶ月前に死にました」
突然の言葉に花火は固まった。
しばしの間ののち、やっとの思いで言葉を絞り出す。
「すみませんこんなこと聞いて……。……ご愁傷様です」
「いえ。
兄はジェイドさんと同じ魔法の研究をしていたのですが……彼もさぞ無念でしょうね」
淡々と話す彼は、フクシア王子の噂を話す時以上に感情が無かった。
花火はジェイドの研究室で聞いた話を思い出す。
兄の名前は確かレイン。
あの時以来ヘイルが笑わなくなったとジェイドは言っていたが、兄が死んだショックだろうか。
その割に彼からは悲壮感や鬱々としたものは見られない。ただ、あるがままを話している。
「悲しい、ですよね」
「……悲しいというより憐れみでしょうか」
そう言うと彼は立ち上がった。この話はもう終わりのようだ。
話したくないことを聞いたかもしれない、花火は内心反省する。
「ユッカ姫の元へまた行く気があるならそうお伝えします。きっと喜びますよ」
「もちろん。是非また……」
笑顔で答える花火。
彼女と話したいことや聞きたいことが山のようにあるし、兄に怯えきったあの様子も心配だ。
不意にヘイルの顔が近付いた。
「その時は内緒話は無しですよ」
「え?」
「あまり余計なことを吹き込まれないように」
緑の目が花火を捉えている。
彼女の背中からじんわりと脂汗が浮かんだ。
彼はユッカの囁きを聞こえていた。聞いていた。
ユッカの言葉を思い出す。
—周りは誰も信用できない。