7場「あなたは、夜が似合うと思っていました」*
痛そうな表現あります
なんとか足に力を取り戻した花火はそそくさと部屋の布団に潜り込む。
ヘイルはそんな彼女を見て微かに笑みをこぼすと、何も言わないで出て行った。
ヘイルは女たらしか。女たらしなのか。
だが女たらしというには無愛想だ。
それとも美しいだの可愛いだの、こちらの世界の男は簡単に言ってのけるのだろうか。
……だったら嫌だな。
彼女がフッと、溜息を吐いた。
それと同時だった。痛みが突然彼女を襲ったのは。
左足への猛烈な痛みに花火は呻き声をあげる。
まただ。
この世界に来て1週間。度々足が痛むようになってしまった。
何が原因か分からない。ジェイドに聞いてみたが呪いの種類が分からないため何が花火の身に起きているのかも分からないのだという。
ブチブチと何かが破れるような痛み。
今回はいつもよりも痛みが長い……。
花火は唸りながら左足を見た。
なんで。
スカートをめくる、そこにあるのは滑らかな肌ではなかった。
手のひら大の青黒い痣が、太ももにインクのように広がっていた。
それよりもこれはなに。
それは、鱗だった。
痣を覆うように何枚もの鱗が生えていた。
その魚のような鱗に触れてみる。
痛みはない。だが確かに、しっかりと花火に生えていた。
訳がわからない。
今まで痣なんてのも無かったのに何故急に鱗が?
早くジェイドに教えなくては。
だが男の感極まったような声が花火の脳にフラッシュバックする。
「これで完璧だ」
なにが。なにが完璧なんだ?
あの時花火は……あの男は……。
呪いとは一体……。
あの時のことが呪いに関係しているのは間違いない。
……アイツはこの世界にいるんだ……。
花火は震える息を吐く。
今はまだジェイドは仕事の片手間に呪いのことを調べている状態だ。
だが、鱗が生えるだなんて異常なことになってくるとそうも言っていられない。あの時何があったかもっと詳しく……それも魔法を使ってまで聞き出されるかもしれない。
あの時のことを話すことは彼女には出来そうになかった。
それに今はまだ、隠さなくては。
……剥がさなくては。この鱗を。
花火は爪を鱗の隙間に入れて引き剥がそうとした。
猛烈な、ビリビリとした痛みが起こる。脂汗が額に、背中に、脇に湧き出る。
だが……あの時の痛みに比べれば……。
彼女はそのまま一枚引き剥がした。
あまりの痛みに悲鳴が喉から漏れ、布団に倒れこむ。
痛い!
体育の授業中バスケをしていて爪が剥がれたことがあるがそれの比ではない。
花火は剥がした鱗を見る。薄い鱗だ。血で汚れているが、青緑色をした、魚だったら綺麗な鱗。
鱗を剥がされた足を見ると薄桃色の肉が見え血が滲んでいた。
あと何枚あるのか。
だが全部剥がさなくてはならない。一枚でも見つからないようにしなくて。
彼女は隣の鱗を剥がそうとするがピリピリと痛んだために、離れた場所を剥がし始める。
痛みは変わらずあった。
耐えられるか分からない。脂汗は止まらない。
涙が溢れ、恐怖から吐き気までしてくる。
それでも花火は剥がした。
鱗は全部で12枚あり、全てを剥がし終えた頃には、涙で顔は汚れ、汗で髪の毛がベタベタし、酷い有様だった。
いや酷いのは足だろう。ズキズキとした痛みは止まらず、まだ真新しいピンク色の肉が見え血がタラタラと流れている。
だがそれでも花火は安堵感で満たされていた。
これでもう大丈夫……何も無かった。
これで……。
彼女はボウっと天井を眺めたあと、首から下げていたポーチから捨てずにとっていたレシートを引っ張り出し肉片の付いた鱗を包んで捨てる。それから残っていたジュースを、シーツの血の汚れが隠れるようにこぼした。
ゴミを漁られることはないだろうし、シーツは汚してしまったと言えばいい。
痛む足を引きずって花火はシャワーを浴びる。
血はもう止まっており、ぬらぬらとした肉がシャワー室の光を浴びて照っていた。
大丈夫。
私は大丈夫……。
*
明くる日、花火とヘイルは並んで、陽の光が優しく差し込む廊下をゆっくりと歩いていた。
ユッカ姫に一緒にお茶でもと誘われたので、またドレスに身を包み彼女のところに向かっていたのだ。
戸惑う花火に、ヘイルが「歳が近い友達が欲しいのでしょう」と冷めた声で言う。その突き放した言い方に彼女は驚いた。
「友達居ないんですか……」
「まあ、田舎からいきなりこちらに連れて来られた訳ですから」
やはり少し突き放した言い方だ。
花火はジッとヘイルを見た。彼は視線に気が付いたようで不思議そうに彼女の顔を見つめ返した。
陽光に緑の瞳と茶色の瞳が照らされる。
「どうしました」
「いえ……。
ユッカ姫のこと苦手なんですか?」
「苦手……? いえ……?
直々にお声がけしてもらい護衛にして頂けた上に、あなたの護衛にまでしてもらっていますし」
「直々に。凄いですね」
それだけ腕が立つということだろう。花火は感嘆の声を上げる。
「なら、お姫様には恩義があると……」
「……んー……。
最初は華やかで楽しそうだなあと思っていましたがそうでもありませんでした。得もない。
なので恩義も特に感じていません」
ヘイルはばっさりと言う。はっきりとした彼の物言いに花火は面食らった。
「面倒なことも多くて。あまり合わないというのが正直なところです。
まあでも、こうしてあなたと会えたのだから悪いことばかりではありませんよね」
彼は花火に薄く微笑みかける。彼女は顔を赤くして目を逸らした。
「そう、ですか。
あーえっと、そしたら、姫様は、寂しいんでしょうね」
必死になって話題を逸らす花火。
だが言っていることは本当に思っていることだ。
田舎から連れて来られ、友人と離れ、さらにこうやって護衛の1人からは合わないと思われている。
それなりに辛い思いをしているのではないだろうか。
「きっと面白いですからユッカ姫の話し相手になってみて下さい」
「それくらいならお安い御用です」
花火は握り拳を上げて「任せてください」と微笑んだ。
お姫様と平民の自分では身分の差が著しいが、それでももし彼女が寂しいと思っているのなら、その寂しさが紛れる手伝いくらいはしたい。
「良かった。
でも、もし嫌なら適当に言って断っても……」
「嫌じゃありませんよ!
私なんかで良ければ……それに、暇を持て余しているので」
「暇ならお城から出てもよろしいんですよ?」
「それは」
まだ勇気が出ない。
ここにいても祭と比較されるだけだと分かっていたが、だが外に出ても同じかもしれない。
外の方が人も多いだろう。不躾な視線を浴びるのは嫌だった。
不意に今自分がいる場所が使用人達に噂されていたあの廊下だと気が付く。
ここで花火は、この世界でも祭と比較され貶められることを知った……。
今日は部屋の扉は閉まっているので何も聞こえてこない。だが部屋の中で、もしかしたらまた。
「失礼」
ヘイルの手が伸び、俯く花火の髪を軽く掻き上げた。
「髪、結び忘れていましたね」
「あ……。そうでしたね。
髪まとまりにくいから結ぶべきでした」
しまったなあ、と花火は毛先を摘む。
毛が細く量の多い彼女の髪は広がりやすいのだ。
「……美しい髪ですね」
ヘイルは花火のこめかみから手を差し込みゆっくりと手で梳かす。
反射する彼女の髪を眩しそうに見つめた。
「あなたは、夜が似合うと思っていました」
「え?」
「暗い道で、灯りに照らされるあなたが綺麗だったから。
でも陽の光の下にいるあなたも綺麗で……」
また、口説くようなことを。
花火は顔を赤くしながら首を振った。
イタリア人だってこんなに口説いてこないだろう。
「や、やめてくださいよ……」
「……何をでしょう?」
「そうやって、すぐ綺麗とか言うの」
「何故」
「は、恥ずかしいから……」
「私は事実を言っているだけです」
「それが恥ずかしいんです!
そりゃヘイルさんは口説き慣れてるかもしれませんけど、私は慣れてないんですよ……」
そう言ってそっぽを向く花火。だがその彼女の顎をヘイルが優しく持ち上げる。
「おふざけで言っているわけないでしょう。
今だって必死です」
「でっ、でも、こんな、顎クイとかしちゃって……!」
「顎クイ?」
「顎を持ち上げること……」
「こんな動作にも名前を付けているのですか」
面白いですね、と彼は囁く。
「……なんで、こんな。普通こんなことしません……」
「言いましたよね、必死だって」
「ええ、でも、何で」
「分かりませんか?」
分かる気がする。いやだがそんなわけはない。
花火は鎖骨まで赤くしてヘイルを伺う。
こんなにかっこいい人が……そんなわけ。
何か別の理由だ。
祭に近付きたいとか……そうだ、きっとそれだろう。
「私は、姉との橋渡し役なんて出来ませんから」
「姉……? なぜ急に」
「だって、そうでしょう。お姉ちゃんに近付きたいから……私を利用したいから、こんな、こと」
「そう思われていたとは心外です。
私が欲しいのはあなたですよ」
ヘイルの顔が近付く。唇は触れる寸前だ。
彼の熱い息がかかる。花火が苦しくなって息をしようと口を僅かに開く、その動きだけで微かに触れ合った。
「意味は分かりますか?
つまりね、このまま唇を付けてしまいたい……あなたと愛し合いたいという意味です」
彼が喋るたび唇が掠める。それだけでビリビリと電気のようなものが走った。
これではもうキスしているようなものだ。
「愛し……って……。
そんな、どうして私なんか……」
「初めてあなたを見たとき震えが走りました。
それからずっとあなたが欲しくて堪らない」
何かを堪えるような震えた声に、唇の感触に、熱い息に、花火はクラクラした。
目の前が霞んでいく。ヘイルのギラギラと光る瞳を見ていられなくて花火は目を瞑った。
「いきなり、なんで……」
「いきなり? これでも我慢したんですよ。
あなたがこちらに来た時、あのまま攫ってしまいたかった。
……ああ……あなたは本当に無防備ですね。
目を瞑ったら、これから何されるか分かりませんよ」
ギョッとなって花火は目を開ける。
美しいヘイルの顔が眼前にあるままだ。
「そう、ちゃんと目を開いて俺を見てなきゃ」
彼はニヤリと笑うと、花火に口付けをした。
熱い、柔らかい感触。
ヘイルに散々溶かされた頭では抵抗できない。
緑の瞳を見つめながらただ熱に呑まれていく。
ヘイルの口づけは執拗だった。
唇を舌で擽られ、優しく噛まれ、何度も吸い付かれ。
その間彼の手は花火の顎の下を撫でたり首筋をなぞったりと忙しない。
長い間溶かされ、やっと唇が離れた時には花火の息は絶え絶えだった。
「……縋り付いちゃって。ハ、可愛いですね」
ヘイルの腕に縋り付きギュッと握っていた、そのことを指摘され花火は首を振る。
「あ……いえ、これ……違うんです。
捕まってないと、もう……」
「立てない?」
「……はい。足に力が、入らなくて」
「なるほど」
彼はクスクス笑いながら花火の体を抱きかかえた。
「自分は今逃げられません、なんて言わない方が良いですよ……」
ヘイルの指が彼女の太ももを撫でた。
「そ、そんなつもりじゃ!」
「分かってますよ。
……足の力抜けやすいですよね」
「違うんです、私、そんな」
「いえ、責めたわけでも揶揄ったわけでもありませんよ。
少し心配になっただけです」
動かない足のことを言われているのだと気が付いて花火は顔を赤くする。
「足は、大丈夫です」
「こっちに来てから悪化したとかありますか?」
鱗のことが脳をよぎったが彼女は「無いです」と答える。
「なら良かった。
少し休んだら、ユッカ姫の所へ行きましょうか」
「……はい」
「あなたが私の物になるのかは後で聞きます」
そう、囁いたヘイルの言葉に花火は益々顔を赤くした。
いきなり、どうしろというのだ。