6場「俺たちはやっぱり間違ってた?」
方向音痴の彼女だが、祭の部屋とジェイドの研究室にだけは行けるようになっていた。
何度も行き来したのでなんとか覚えられたのだ。
「ジェイドさん?」
ノックをして扉を開けると彼は呻き声を上げながら散らかった机に突っ伏していた。赤い髪は梳かしていないのだろう、モサモサしていた。
ゾッとして花火はドアを閉めようとする。その前に気が付いたジェイドが「良いところに!」とすっ飛んできた。
怖い。
「良かった、やっぱり君がいないと始まらないよねなんたって君にかかった呪いなんだもの!
お願いがあるんだいや大丈夫何も怖くないからねただそこに寝て欲しいんだ。あ、汚な、いや大丈夫汚くないあのね」
「ジェイドさん……大分お疲れのようですね」
真っ黒い隈に縁取られた薄水色の目を爛々と輝かせ早口でまくし立てる彼に対し花火は恐怖と哀れみを覚える。
寝るべきなのはジェイドだろう。
「少し休んでください」
「あ、ああ……うん。そうだね。
君の慄いた顔を見たら少し正気に戻ったよ。
確かに少し寝るべきかも……」
「そうですよそうですよ。
さあさあ。その汚いソファに横になって」
「うん……。うわ、ホントに汚い」
ジェイドはヨロヨロと立ち上がると書類が山のように積まれたから、ゆっくりとその書類をどかし始める。花火もそれを手伝うことにした。
「ありがとうね」
書類をどかした彼はまたヨロヨロとソファに横になる。
「いえ。こちらこそ、足の呪いについて調べてくれてありがとうございます」
「それが……ごめんね。忙しくて中々進んでない……。
いま合間にやろうかと思ってたんだけど……」
「今のままで大きな問題は無いですから、ジェイドさんが暇なときに調べて貰えるだけで大丈夫です。
負担になるようなら全然……」
「いや、むしろ専門分野じゃないことを調べられる機会ってなかなか無いから俺としてはすっごく、取り組みたいところなんだよ。
なんだけど……」
「無理しないでくださいね……。
……そういえば、その、呪いって物理的な怪我を負わないといけないものなんでしょうか」
花火のイメージは藁人形に五寸釘を打ち付けるものしか無いが……。
「ううん、そんなことないよ。
呪いも魔法の一種だから物理的なことは必要無い。
……だから事件に巻き込まれたのが不思議なんだ……一体どんな事件に……」
ジェイドの瞳がとろんとしていく。
寝不足のハイが抜けて眠くなってきたようだ。
「寝不足なんですよね。
ごめんなさい、私のせいで……」
「いや違うよ!
……今、寝不足になってるのは……姉が原因でねえ」
「お姉さん?」
姉がいるとは知らなんだ。
彼は薄っすらと、諦めに似た表情を浮かべ笑った。
「そう。
姉ってなんで、エキセントリックで強引で、人の話を聞かないんだろうね」
花火は祭の顔を思い浮かべる。全くもってその通りだ。なんなんだろうか一体。
「分かりませんが腹が立ちますよね」
「ホントそうなんだよ……この間も急に」
ジェイドが青い目を伏せモニョモニョと何かを話している。相当眠いようだ。
花火は近くにあった皺くちゃのジャケットを上にかけてやる。
「あ……そういえば」
ジェイドが不意に、花火の首に下がった赤い石のペンダントに触れた。
習慣でICカードや薬の入ったケースを首から下げたままにしている。
「これ君が持ってるんだね……」
「姉から貰ったんですけど……まずかったですか?」
「そんなことないよ。誰が持ってても良いんだ。
単なる失敗作……。綺麗だって言うから祭ちゃんにあげたんだ」
「なんの失敗作なんですか?」
「研究のだよ……。ほら、あそこにいる魚を捕まえるための……。アイツが穴を作って、落ちて来た人を食べてしまうん……だと。思って……。
それで、祭ちゃんが来たから……何か知ってると思ったんだけどなあ……知らないみたい……。
俺たちはやっぱり間違ってた? でもならなんで……」
ジェイドは研究の話をしているらしいが口が回っていない。ふにゃふにゃと何か喋っている。
「今はいない……きっと、レインが捕まえたんだろうと思ったけど……違ったのかなあ。
あの日から研究が……止まったままだ……」
「レイン?」
「ヘイルのお兄さんだよ。
……可哀想なヘイル……。あの時以来ずっと、硬い顔してる……」
確かにヘイルはいつも無表情だ。時折笑顔を見せるが……普段は冷ややかな表情だ。
「前は表情豊かだったと思うんだけど……レインのこととか……姫から直々に護衛になるように言われたりさ……ストレス多いからかなあ……」
ジェイドの瞼が下がっていく。
話は気になったが寝かせてやらないと。花火は立ち上がった。
「また来ます」
「うん……」
おやすみ……とジェイドが言うのと扉が開くのはほぼ同時のことだった。
驚いて立ち尽くす花火。
扉を開けたのは美しい女性だった。
30代……40手前くらいだろうか?長い赤髪に、青い瞳。着ている服装は落ち着いているが高級であることが分かる、美しいドレスだ。
意志の強そうな眉が顰められ鋭い視線を花火に向ける。
「おや? ジェイドは?」
「今休んでて……」
「ふむ。休んでる暇など無いはずですがね」
女はそう言うと花火の背後のソファを睨め付けた。
ガツガツヒールを鳴らして歩み寄ると彼女はそのままジェイドの胸ぐらを掴んで揺さぶった。
「ギャア!? ジェイドさん!?」
「ウグ!」
「起きろ。何休んでるんだ」
花火がヨロヨロと駆け寄る。ジェイドはぽかんとした顔で女を見つめていた。
「……ら、ラズリお姉さま……」
お姉様?
思わぬ言葉に花火は耳を疑った。
この気の強そうな女性と、へにょへにょなジェイドさんがきょうだい?
「例の件はどうなっている」
「どうもこうも、あの、レインの研究の引き継ぎとか、やらなきゃいけないことが立て込んでて」
「私の案件が一番重要だと伝えたはずだが」
「それは姉さんが決めることじゃ……イテテ! わかってるよ! やりますよ!」
耳を引っ張られたジェイドが目に涙を浮かべ姉を睨む。
「少し休ませてくれてもいいのに……」
「事態は逼迫してるんだ。
とにかく、早く調べろ。分かったな」
「はいはい……」
彼は、そらからハッとしたように花火を見た。
毛布代わりにしていたしわくちゃのジャケットを抱えて立ち上がると引きつった笑みを浮かべる。
「ご、ごめんねお騒がせしちゃって。
こちらは姉のラズリ。
姉さん、あの子は花火ちゃん。暫定聖女の祭ちゃんの妹だよ」
「ああ……。初めまして花火さん。
ご挨拶もせずに失礼しました」
ラズリは軽く微笑むと花火の手を軽く握った。
「ラズリです」
「初めまして……。
いつも弟さんにはお世話になってます。ご迷惑まで……」
「いいんですよ。研究しか能が無いんだから」
「いやいや。家事とかも得意だからね」
それはどうだろうと花火は首をかしげる。
この荒れ果てた部屋は掃除などしていないに違いない。
祭はハウスダストアレルギーが起こるからか、寄り付こうとしない。
「よく言う。お風呂ちゃんと入っているのか?
臭う」
「嘘だよ!? 毎日入ってる!」
「いや埃臭い。全身から漂ってる」
「酷い!」
「……4ヵ月前からロクに掃除してないだろう」
「そ、それはそうだけど……体は毎日洗ってるよ」
ジェイドからそんな臭いがしたことはないが、花火は特に何も言わなかった。
これを機に少し掃除をした方が健康に良いだろう。
一通りジェイドを虐めたラズリは花火を見ると軽く微笑んだ。
「ジャンジャンこき使ってくださいね」
「ま、まあ。ほどほどに……?」
ラズリの背後でジェイドが勘弁してくれとばかりに溜息をつく。その姿をラズリが睨みつけていた。
また怒られては可哀想だと、慌てて花火は質問を振る。
「ラズリさんは、研究者ではらっしゃらない?」
「ああ、知らないのですね。
私はアベリア王子の婚約者ですよ」
「……婚約者……!」
またも花火は驚かされる。
アベリア王子は知らないがユッカ姫が非常に恐れていた男だ。
そして祭と花火を保護してくれている人……。
「申し訳ありません。存じあげなくて……」
「良いんですよ、こちらに来たばかりでしょう?
それに王子は貴女達のことを殆ど放っておいてますから……外交中で城にいないとはいえ、失礼な話ですよね」
彼女は顎に手を当て首を傾げた。赤の髪が揺れる。
「……何かあったらジェイドか、私に頼るんですよ」
「ありがとうございます」
花火は深々とお辞儀をした。未来の女王様だ。粗相があってはいけない。
それからチラッとジェイドを盗み見る。
何故アベリア王子の預かりである祭達を、一介の研究者であるジェイドが面倒見ているの不思議だったのだが……。
思えば彼はアベリア王子側の人間だと言っていた。あれは立場が王子側というわけでは無く、王子と親族になるからということだったのか。
「ジェイドさんって凄いんですね……。
すみません……姉が……ジェイドさんを振り回したりして……」
「いやいやいや! 謝らなくて良いんだよ! 謝って欲しいのは花火ちゃんじゃないし……」
「でも、王族な訳ですよね……」
「うーん……そうなるはずだけど……」
彼は姉の顔を見る。ラズリはジェイドを見返した。
「何か」
「いや。
まあ元々親はそういうつもりだったと思うからねえ」
「と言いますと?」
「王族とのパイプを持ちたくて、ありとあらゆるコネを使って王お抱えの魔法使いに俺たちを弟子入りさせたんだ」
「ああ、ヨタカさん、ですか?」
「そうそう。話したっけ?」
花火はユッカ姫に少し、と答える。
ちらりとヨタカがこの国一番の魔法使いであり、その弟子であるジェイドとラズリも凄い……というようなことを言っていた。
「そっか。姫に会ったんだっけ」
「……ヨタカには会いましたか?」
ラズリの質問に花火は首を振る。
ヘイルが近づくなと言ったのを思い出す。
あれって結局なんでなんだろう……。
「まあ私たちの師は厄介な人ですからね。会わない方がいいでしょう」
「そんな! 先生は少し……今は元気が無いだけで……」
「そんな人に会いたいかって話だよ。
花火さんはしばらくしたら帰るのでしょう。絡まれずに帰れるならそれに越したことはないですよ」
話を聞いていると、どうもヨタカという人物は厄介なように思える。
だがそれに違和感を覚えた。
……あの、美しい少年が……?
そもそも2人の師というのなら40以上でなくてはおかしいだろう……。どういうことなのだろうか。
花火はそれを聞こうとしたが、ラズリは「もう行かないと。ジェイドも来なさい」と言って彼を引き摺ってしまった。
目の周りは隈で真っ黒で、苦しげに呻くジェイド。その姿はゾンビのようだ。
助けてやりたかったが足の悪い花火は「お気を付けて」というのが精一杯だった。
決してラズリが怖いからとジェイドを見捨てたわけではない。
*
ここに用は無くなった。花火は部屋へ戻ることにする。
廊下を出た時大きな声で名前を呼ばれた。
声のした方を見ると、ヘイルが慌てた様子で駆け寄ってくる。
「何を……どこに行っていたのです!」
「ジェイドの所に……」
「何故なにも言わない!?」
責めるような彼の口調に花火は驚く。
そんなに怒られるようなことだろうか……。
「ご、ごめんなさい」
彼女が身を縮めて謝るとヘイルはハッとした顔になった。
眉を寄せ苦しそうにしながらこちらに視線を合わせてくる。
「……ああ……。違うんです。大きな声を出してすみません。
心配だったので」
「……何故? 城内なら平気でしょう……?」
「そんなことはないのですよ」
彼は目を細めると廊下の先を見つめた。誰かいるのだろうかとそちらを見るが誰もいない。
「……ヘイルさん?」
「……部屋に戻りますか?」
花火を見る目は柔らかくなっている。
彼女はヘイルの怒りが収まったのだと感じ少しホッとする。
「はい……。
勝手に出てすみませんでした」
「いえ。私がきちんと言わなかったのがいけなかったです。申し訳ない……。少し余裕が無くなっていました」
気まずそうに自分の額に手を当てている。ヘイルがああやって大きな感情を露わにするところは初めてだった。
花火は申し訳ない気持ちになる。
「次からはちゃんと言います」
「ありがとう……。
城内も安全とは言えませんが、私が守りますから。
……行きましょうか」
ヘイルは自然な動きで花火の腰を押す。そのまま腰に腕が添えられたままになった。
その仕草にドギマギした花火はどうでもいいことをつらつらと語り出す。
ジェイドさんの目の周りの隈が凄くて、可哀想なくらいでした。休んでないみたいで、私に何故か横になるように言っていましたけど逆にソファで寝てもらって……。
不意に腰を強く掴まれる。驚いて彼の顔を見ると、どこか拗ねたような顔をしていた。
……まだ怒っていたらしい。
「仲が良いのですね」
「そ、そうですか?
まあ、お世話になってますから……」
「……彼のことを語る時、随分と可愛い顔をされる」
ヘイルが彼女の腰を撫でる。
花火の顔は真っ赤になった。何を言って、何をしているのだこの人は。
「か、かわ……」
「私といるときはいつも萎縮しているのに。
私は怖いですか?」
「それは……」
「さっき大きな声を出したから?」
「そんなことないです……」
「ならあの可愛いらしい顔を見せてください」
ヘイルがするりと頬に触れた。
途端に花火の体に電流が流れる。
指はすっと離れていったが彼女の頬、触られたところがどうしようもなく熱い。
まだ撫でられてるかのように、何度も感触が蘇る。
花火はギュッと杖を握った。
……そういうことをするから緊張しちゃうって分からないのかな……。
「……確かにこういう表情も可愛いけどね……」
彼はふっと息を吐いて、真っ赤になって動けないでいる花火の背中を押す。
「……あの……」
「はい?」
「足に力が入らない……」
「……なるほど……」