5場「姉が主役で、私は姉の引き立て役……」
「聖女様の妹だってよ」
ふと聞こえてきた声に体が硬くなった。
声の主は先の使用人用の控え室にいるらしい。扉が開いているせいで廊下まで声が聞こえていた。
……噂されている。
「杖ついてたけど足が悪いのか?」
「それ治しに来たらしいな。
にしても……冴えない女」
「聖女様の妹って言うから期待しちゃったよ。
あの人は華がある美人。
話してても楽しいしよ」
「妹の方は暗いしブス。着飾ってたけどそそられる体じゃねえし」
「まあ正直、姉が美人だと比べられて暗くなるかもな……。可哀想に」
「確かに姉妹間で差があると可哀想だな。
俺は良かったよ。兄貴と大差ない顔面で」
「ハッ。よく言うよ。兄貴の方がモテてんだろ?」
ゲラゲラと下品な笑い声が聞こえる。
隣で歩くヘイルの表情を見たくなくて花火は顔を上げることが出来なかった。
杖をギュッと握る。
この男たちの言っていることは本当だ。
いつもそう。
花火は祭と比較される。
頼んでもいないのに彼等は品評会を開いては勝手に彼女のランクを付ける。
見た目も学力も体力もコミュニケーション能力もセンスも、花火は祭に劣っていた。
勝てるところなんかひとつも無い。そもそも勝負しようとも思わない。
今まで好きになった人はみんな祭を好きになった。
姉が目的で花火に近付いた人もいた。
祭は比較されていることを気にも留めていないようだ。いや、そもそも比較されていることに気付いていないのかもしれない。
彼女は花火より全てにおいて優っているのに、更にメンタル面まで強いらしい。
……ここに来てまで比べられるのか。
花火の気持ちが沈んでいく。
比べられて、そして花火のいたい場所に祭を据え置かれる。
……あの日もそうだった。
花火が手に入れたあの場所を……。
「花火さん」
ヘイルの声にハッとした。
きっと居心地の悪い思いをしているはずだ。
花火は咄嗟に笑顔を作る。
「いつものことなので。
姉が主役で、私は姉の引き立て役……。
そういうものなのでしょう。
気にしてないので気にしないでください」
「気にしてないのなら良かった。
ああやって人を勝手に評価する奴ほど声が大きくてね」
「ああ、確かに」
笑い声はまだ続いている。
部屋はもうすぐそこだ。
花火は俯いて部屋の中を見ないようにした。
「俗物が」
低い声でヘイルはそう呟くと、開いていた扉を叩きつけるようにして閉めた。
バンと大きな音がする。
彼は全くの無表情で扉を見た後「失礼、風で勝手に閉まったようです」とのたまっている。
「……気にしないでいいのに」
「申し訳ない。
私はあなたほど立派な考えを持っていませんので、割り切って考えられなくて」
「割り切っているわけじゃないです。
ただ、どうしようもないこともありますから」
彼女はそう言って杖をギュッと握る。
「勝手な奴はどうしても出てくるということですか」
「人が、何かを思うのは自由です。
私がその……根暗だの不細工だの言われてしまうのは、そう思わせる私自身の問題で……それはどうしようもないことです。
外見を変えるのは整形だとかもありますけど、内面は中々変われません」
花火は声が震えないように必死だった。
比べられるのは慣れている。だが惨めな気持ちには中々慣れそうもない。
……「可哀想に」もう何度言われただろうか。
ここで気にするそぶりを見せたら更に自分は可哀想になる。
だから花火は、ヘイルの前で平然とした振る舞いをする。
「思考は自由だとしても」
彼は静かな声で話し始めた。
「言葉は武器になります……。それを不用意に振り回すのはどうなんでしょうね」
自身の唇に触れる。
……この人は武器を向けたことがあるのだろう……。
「……花火さん。私はあなたのことを美しいと思ってますよ」
ヘイルはまっすぐこちらを見つめていた。真剣な顔だ。緑の目がキラリと光る。
思わぬ発言に花火の声が上ずる。
「え!? あ、へ!?
ありがとうこざいます……?」
「軽口じゃありません。本当に思っています。
初めて会った時から」
そ、そうだったの?
初めて会った時のことを思い出し花火は首を傾げる。
遠慮なく身柄を確保していたような。
「……押されたりしてましたけど」
「……ああ。あの時……。
あれは本当に……本当に申し訳ない。
慌てていたので力が入ってしまい……」
「お、怒ってないです。
……あの、ドレス着た時もですけど、美しいって言ってくれてありがとうこざいます。嬉しかったです」
ヘイルはその言葉に僅かに頬を染めてはにかんだ。
「なら良かった」
柔らかく揺れる緑の瞳に花火は何故か……泣きたくなった。
*
その後も二人、他愛のない話をしていると急にヘイルが口を閉ざした。
「ヘイルさん?」
彼はハッとしたように目を見開きこちらを向く。
「……すみません……」
「お疲れですか?」
「そういう訳では……。
ああ」
彼が廊下の先にいる人物を見ているのだとやっと花火は気が付いた。
あれは……こちらの世界に来た時に見かけた白い髪の少年だ。
「花火さん、申し訳ないのですが」
「はい?」
「少し失礼しますね」
彼はいきなり杖を取り上げると花火の体を持ち上げた。
ギョッとする彼女の頭をヘイルは胸に押し付ける。
「な、なに、を」
「ヘイル……?」
落ち着いた声がした。
ヘイルの体が強張るのを花火は感じ取る。
「ヨタカ様」
「どうしたのその人」
恐らく声の主はあの白髪の少年だろうと花火は思う。
姿は見えないが位置関係からして間違いない。
「気分が悪くなられたそうで……目眩と、吐き気がすると」
またヘイルが花火の頭を押し付けた。……顔を見せないようにしている?
「治そうか?」
「寝れば治るそうですから。
ヨタカ様のお手を煩わせる訳にはいきませんので……。
失礼します」
「ああ、お大事に」
ヘイルが歩き出す。振動で落ちそうになり、彼女はぎゅうとヘイルの体にしがみついた。
それに気が付いたヘイルがより強く抱き締めてくる。
「……あの……」
「もう少しだけ我慢してくださいね……まだ、います」
彼の息が花火の耳にかかり、彼女の体が跳ねる。
……顔が近い。
「突然このようなことをして申し訳ありません」
「なんなんですか……?」
花火はヘイルから離れようと仰け反ったが「危ないですよ」とまた密着してしまう。
「あの人は危険な人です。
絶対に近付かないでください。いいですね?」
「危険? どんな風に」
ヘイルは答えない。花火は彼が答えてくれることを期待してじっと緑色の瞳を見つめたが、ただ背中を優しく撫でられただけだった。
*
「ジェイドから聞いたよ。部屋に引きこもってるって。
外出なよ。
もしかしたら呪いの原因が分かるかもしんないよ」
祭の呆れた声に花火はハッとした。
ここに来て4日が経とうとしているが彼女は未だに城から出ておらずそれどころか部屋からも殆ど出ていなかった。
「ジェイドさんに何か頼まれるかもしれないし」
「城からちょっと出て歩くくらい平気でしょ」
「……いい」
「まったく……治す気あるの?」
「っていうかお姉ちゃん戻って来てたんだね」
「向こうじゃ今日は土曜日だからね」
ああそうか。花火頷く。
こちらにも暦はあるが西暦とはだいぶ違う。
土曜日、と聞くのは何だか懐かしい気がした。
「なんで外出ないの?」
「ここ段差多くて歩きにくい」
「またそういうこと言う。太るよー」
彼女はいいよ別にと顔を背けた。
花火の中で、見知らぬ男2人に暗いだのブスだの言われていたことがタールのようにベットリと心に張り付いていた。
外に出ればまた、周りは勝手に祭と比べて評価するだろう。
「あ、ヘイル……。
おーい!」
祭は突然部屋の外にいるヘイルに呼びかけ始めた。
慌てて花火は止めようとする。
だが動きの速い姉を止めることは叶わずヘイルがキョトンとした顔で部屋にやって来た。
「なんですか?」
「花火が出かけたいんだって。
案内してくんない? この国の魅力を紹介してやってよ」
「構いませんが……」
「や、やめてよ……!
すみません姉が勝手なことを。私部屋でジッとしてますから」
「どこか出かけるのならお伴しますよ」
「出かけません」
「城下街行きたいってさ」
何度も首を振って、花火は息を吐いた。
姉に振り回されるのはもうごめんだ。
「どこにも行きませんって……」
「なんだ、頑なだなあ。
……あ、ねえ、ヘイル。ちょっといいかな?」
急に改まった声を出し祭はヘイルの腕を引いていく。部屋の隅で姉がコソコソ話すと彼は破顔した。
思わぬヘイルの表情に花火は驚く。
……なんの話をしているのだろう。微かに「電柱」「ペンダント」という単語が聞こえるがそれ以上は聞き取れない。
彼女は気になったが、ヘイルの楽しげな表情に何も聞けなくなる。
普段の冷たい表情とは違う、飾らない笑顔。
毎度のことだ。
祭は老若男女問わず人の心を解し魅了する。
邪魔をしたら悪い気がして、楽しげに話す2人に気付かれないよう慎重に部屋を出た。