「俺が言い出したら聞かないの知ってるよね。諦めて」
ヘイルは腕の中で眠る花火を眺める。
朝のこの時間が彼にとって至福の時だった。
無防備な寝顔を晒し、彼の胸に頬を寄せる彼女のなんと愛おしいことか。
柔らかな黒髪を撫でると花火は鼻面をスリスリとヘイルの胸に擦り付けた。寝惚けている時はこうやって甘えてくれる。
彼は満たされた気持ちになった。
今まで性行為や暴力では決して満たされなかったのに、彼女がヘイルを求めてくれるだけで全てが満たされていく。
これが恋なのだろう。
だが、彼の満足感は長く続かない。花火はハッとした様子で目を覚ますと、慌てた様子で毛布をバサバサ動かしながら思い切りヘイルから距離をとった。
「おはよう」
「お、はよう……」
挨拶もそこそこに彼女は洗面所へと向かってしまう。
寝起きだというのに機敏な動きだ。
ヘイルは無くなった腕の重みに寂しさを感じながら花火の後を追う。
「……休日なんだからもっとゆっくりしようよ」
「うん、でも支度だけ……」
「そう……」
支度をする彼女の体にまとわりつこうかと思ったが、やめた。
そんなことしても花火はこちらを向いてくれない。
彼は諦めて歯を磨き顔を洗ってから、再びベッドに戻った。
まだ花火の温もりがある。ヘイルはそこに手のひらを当てながら目をつぶった。
花火はホッと息を吐く。
寝起きのヘイルはやたらと色っぽくて落ち着かない。
掠れた声も蕩けた瞳も、寝起きの花火の頭には刺激が強すぎる。
そもそもあんなに美しい人が自分と同じベッドに寝ているということ自体未だ彼女は慣れなかった。
寝ている時自分はどんな面して寝ているのか。
そればかり心配になる。
よだれを垂らしたり口を開けていびきをかいたりなどアホ面晒して寝ているのかと思うと消えたくなる。
寝起きの顔だって酷いものだ。花火は鏡の中の、瞼が腫れ髪の毛がボサボサのだらしのない女を見る。
こんな姿1秒だってヘイルに見られたくない。
支度を終えた花火はそっと部屋の中ベッドに横たわる彼の姿を見た。
そもそも太陽が二つある今の世界は明る過ぎる。日本と同じかそれ以上。
ヘイルのいた世界の城は薄暗かった。彼もこちらに来た当初「眩しい」と言って顔をしかめていたくらいだ。
明るいところで見るとヘイルは、完璧で粗がなかった。
中身が欠点で構成されているからだろうか? ハッキリ言って長所は顔しか無い。だがその顔が完璧だ。
慣れない……。
花火はため息を吐く。美人は3日で飽きるというが、飽きる前にまず慣れることが出来ない。
いっそ部屋中の電気を取っ払おうか。
だが朝日を浴びるヘイルの横顔はすわ天使かと思うほどだ。美人は光を選ばないらしい。
「花火」
こちらに気が付いたヘイルが嬉しそうに手を広げる。
花火はフラフラと彼に近寄った。
完璧な外見と反比例するように中身は欠点だらけだ。
短絡的で快楽主義者。欲求を我慢せず、口がうまく、人を傷つけることを何とも思わない。
なにより人の気持ちに共感出来ない。
それでも、いやそれだからこそ花火は彼が好きなのだ。
花火に同情しない彼だけが好きなのだ。
「支度終わった?」
「うん……」
「そう。
ならゆっくりしよう」
彼はぐっと花火の体を引いて自分の腕の中に収めてしまう。
顔が近い。もう少しで鼻がくっ付きそうだ。
花火はヘイルに初めてキスされた時のことを思い出し思わず顔を逸らしていた。
あれは恥ずかしかった。今と同じくらいに。
「……キス、したくない?」
掠れ声で囁かれ、体が固まる。心臓がドキドキとうるさいほど脈打ち始める。
ヘイルは指をそっと花火の唇に当てた。
「嫌?」
問いかけに彼女はどうしたらいいか分からず、泣きそうな顔になっていた。
花火の唇に当てた指を少し動かす。花火の体が震える。
また怯えさせてしまったらしい。
泣きそうな彼女の横顔を眺める。
怯えさせたい訳じゃない。ただ求めて欲しいだけだ。
こちらの世界に来てから花火の反応が変わった。
催眠術を解いたからだろう。
あの失敗は手痛い……やっぱり花火からの意思で自分を選んで欲しくてつい軽いものにしてしまった。
彼女の意思を捩じ伏せる強力なものをかけておけば良かったのだ。
そうすれば今頃花火はヘイルに惚れ込んでキスどころかもっと先も強請っていたかもしれない。
もう催眠術をかけてしまおうか。
それをやったら、催眠が解けた時今度こそ花火に口を聞いてもらえなくなるどころか殺されるかもしれない。
彼女はやると決めたらやる女だ。
そういうところも好きだし、だからこそ意思のあるまま好きになって欲しかったのに。
ヘイルばかり思いが募り、こちらを見てくれないだけで息が詰まる。
「好きだよ」
花火の手を握りヘイルは頬にキスをした。
もう絶対に催眠は解かない。
だから意思のある花火とはこれでお別れになる……。
「わ、たしも」
だが、花火が声を上げた。
「私も好き……」
俯き、うなじを赤くしながら花火はヘイルの手をぎゅっと握り返した。
「好き」
「……本当?」
「じゃなかったら一緒にいない」
「そ……っか。
良かった……」
ヘイルはホッと息を吐いた。
好きなのか。催眠術かけてなくても。
「良かったって……どうして」
「花火俺のこと見ようともしないから」
「う、いや、それは。
この世界の照明事情のせい。
そのうち慣れるはずだから……」
ヘイルだって未だにこの世界の明るさには慣れていないのだが……。
「いつ?」
「分かんないけど……」
チラリ、と花火はこちらを見たがパッと逸らしてしまった。
やはり良い気分ではない。ヘイルは顎を掴んで視線を合わせさせた。
「花火?」
「ひゃあ……」
彼女の可愛い顔がみるみる赤く染まっていく。
目が潤み、救いを求めるように視線を彷徨わせ始める。
……これは?
「俺の目見てよ」
「も、もう少し離れてっ!」
「……どうして?」
「まだっ、慣れてない……から」
「恋人の目を見るだけだろ?」
耳まで赤くして、きょときょとと目を動かす花火はあまりにも可愛い。
……彼女は奥手で臆病で男慣れしていないと思っていたが、これは相当だ。
ヘイルは花火の耳に唇を付け優しく声を落とす。
「どうして? 理由を言ってくれないと離さないよ」
彼女は小さく呻いた。まるで攻撃を受けたかのようなそれにヘイルは小さく笑う。
「だって、カッコいいから……」
「うん……。
……え? それだけ?」
「そ、それだけって! だって、そりゃ! ヘイルは慣れてるかもしれないけどっ!
私は……その……慣れてないし」
「目を見て話すかどうかは男女経験関係無いと思うんだけど……仕方ない」
彼は花火の唇に口付けをした。柔らかい感触が堪らない。
そのまま何度か音を立てて吸った後彼女の真っ赤な顔を見た。
「今日は一日中キスするね」
「は」
途端、彼女はギョッとした顔になる。
「20回はしようか」
「い、いやいや。
買い物行ったり掃除したり忙しいから無理」
「10秒以上目合わせてキスしなかったらカウントしない」
「聞いてる?」
「聞いてる。別にいつでも良いよ。
でも今日中にしないと明日またリセットして始める。
できるまでずっとやるからね」
分かったね? とヘイルが聞くと花火は何度も首を横に振った。納得いかないらしい。
だがいつまでもヘイルに慣れないのは我慢ならない。
もっと触れ合いたいし、キスだってもっとたくさんしたい。
「俺が言い出したら聞かないの知ってるよね。諦めて」
「横暴すぎないかね?」
「じゃあ始めるよ。俺の目見て」
「ちょっと」
何か言いたげな唇を塞ぐ。彼女の美しく澄んだ瞳を見つめながらヘイルはゆっくり数を数えた。
それを花火に教えるように指でポン、ポンと彼女の甲を叩く。
だが花火は5秒もしないうちに目を逸らした。
「……やり直し」
これはだいぶ時間がかかりそうだ。
……きっと、洗脳していればこんなの簡単にこなせただろう。だがそれじゃ楽しくない。
ヘイルは真っ赤に染まった彼女を見つめ緑色の目を細めた。
やはり意思のある花火が良い。
「っていうか、自分がカッコいい自覚あるんだね」
「うーん。父親似だったし自分の顔が好き、とかは無いんだけど。
でもカッコいいでしょ」
「……悔しいけどすっごくカッコいいよ。魅力的」
「わー。ありがとう」
「良かったね。中身に伴った外見レベルだったら目も当てられなかったよ」
「えっ?」
「中身は良いところ無いから」
「……花火、俺のこと好きなんだよね……?」
「本当に残念なことに見た目も中身も好きなんだよねえ……」




