「苦しみなよアベリア」
アベリアはラズリの流れる赤毛を眺めた。
美しい人だな、と彼はつくづく思う。
アベリアはラズリのことが好きだ。愛している。
低く笑う声も、呆れた時にふっと吐き出すその吐息も、不意に見せる気怠げな表情も、何もかも全て。
彼が生涯で好きになった女性はラズリだけだ。
だがそれを彼女に伝えたことはない。
何故ならラズリはこの婚約をなんかしらの政治的利用によるものだと思っているし、何より彼女の両親の願いを叶えたものであって、彼女自身の望みではないからだ。
それはそうだろう。ラズリとアベリアの年の差は8。彼女からするとアベリアなど子供に見えるに違いない。
それでも、長いこと想ってきた相手との婚約だ。報われないとしてもこのまま結婚したかった……。
のだが。
アベリアは目の前に立つ、少年の姿をしたこの国一番の魔法使いを見る。
「アベリアがフクシアを殺したんだ……」
ヨタカは泣いていた。
もうずっとそうだ。フクシアが犬に食い殺されるという事件があってから、ヨタカはずっと不安定だ。
そして思い出したかのようにアベリアの元を訪れてはお前のせいだと詰ってくる。
何度も否定しているのだが……アベリアはそっと息を吐く。
「殺していませんよ。そんなことするはずがない」
部屋から出た途端にこんな風に言われるだなんて。
横に立つラズリも戸惑ったように眉を寄せている。
「先生。落ち着いてください。
王子に向かってそんな……」
「うるさい! もう、もう決めたんだ。呪ってやるって!」
ヨタカはサラサラの髪を振り乱し叫んだ。
姿形は幼く、仕草すらも幼い。
だがその瞳だけは悲しみに暮れる老人のものだ。
「呪いだなんて! 何を馬鹿な!」
ラズリが慌ててアベリアの前に立つ。彼はその細い腕を掴んで引いた。
彼女が盾になることはない。
「王族に手を出すのは約束と違うのでは?」
「……王族にはね。
だけどそうじゃなければ良いんだろ。
君の……そう、君の愛する人を呪おう。君が恋い焦がれ止まない人を、君が最も恐れを抱く姿にしてやる……」
「先生! やめてください!」
「そ、うです。そんなの、いけない。お互いの為にやめるべきです」
ヨタカだってまさか弟子が、なんらかの異形に姿を変えてしまったら嫌だろう。
「お互いの為って……なんで?」
「それはまあ……そういうものです。
とにかく、今すぐやめてください。そんなことして何になるのですか……」
「もうかけちゃった」
ヨタカはあっさりと言う。
「もう!? 何故……!? 私の話聞いていましたよね!? 今すぐ解いてください!」
「誰のことが好きなのか気になって」
「そんなの呪いでなくても……ああ!」
アベリアとヨタカが言い争う横で、ラズリの耳が、獣の耳に変化していた。
彼は慌ててラズリの耳抑える。
「な、何を?」
「いえ、その」
「なんだか耳が堪らなく痛いんですが……」
「ヨタカ!!」
アベリアは我慢出来ずに彼を怒鳴りつけるが当人はどこ吹く風だ。
「ラズリどうしたの?」
「どうしたもこうしたも! 貴方が呪ったんでしょうが!」
「え? あー……え? ラズリのこと好きなんだ……ふーん……。
マゾヒストなんだね……」
「マゾ、何、馬鹿なこと! 早く止めてくださいって」
ラズリはもうすっかり獣の……犬の姿に変貌していた。
彼女は長い鼻面をアベリアに向け、戸惑うように耳が動いている。
「ああー。凄い。その呪いは距離と想いが強ければ強いほど、異形になっていくんだけど。ラズリもう完全に犬だね。
そんなに好きなの? 凄い……いや本当に。重い」
アベリアの頬が紅潮していく。
重い。それはそうだろう。彼は出会った時からずっとラズリのことが好きだ。
彼女に言われた、王になったら結婚しましょうという言葉でこれまで努力してきた。
魔法使いとして地位を得た彼女が忙しくなり、アベリアと距離が出来ても彼はずっと、ラズリを想っていた。
年数で言えば20年。長くて重い恋心。
「……だから、言ったではありませんか。
お互いの為にやめておけと」
「まさか弟子を呪ってしまうとは……」
「解いてください」
「え? なんで?」
「なんでって……ラズリさんが犬のままでいいのですか!?」
「……うん。まあこれで少しは行動が制限されるでしょう。
もう僕の邪魔をしないように」
何を言ってるんだ。アベリアはラズリから手を離しヨタカの腕を掴もうとした。
「ヨタカっ、話を……!!」
「……ああ、大事なこと忘れてた。
この呪いは他の誰かに話したらその人は死ぬから」
思わぬ言葉にアベリアの動きが止まる。
「なんてことを」
あまりのことにそう呟くので精一杯だった。
「苦しみなよアベリア。
自分の大事な人を守れないってどういうことか……」
ヨタカの目はあの、虚ろな老人の目になっていく。
こうなったらもう話をすることすらままならない。
呆然とするアベリアを尻目にヨタカは長い髪を翻しどこかへと歩いていく。
アベリアは自分の母親と弟のことを思い出す。
自分の大事な人を守ることができた試しなど、彼には一度だって無いのだ。
王城の廊下に残されたのは何もできない自分を歯痒く思うアベリアと、犬になったラズリだった。




