「我儘な子供のままですから」
弟が産まれるまでの8年間は、ラズリにとって幸せで、そして無意味なものだった。
ジェイドが産まれるまで彼女は文字の読み書きすらろくにできなかった……両親はそれで良かったのだ。
あなたは女の子だから……。ラズリの両親は後継者を男子と決めている男性至上主義者だった。
ジェイドが産まれた時、やっと産まれた男児を両親は泣いて喚いて喜び、その姿を見たラズリは気が付いた。
自分は弟が生まれる為のオマケだったのだと。
オマケなラズリだったが、両親は決して放置していたわけでは無くむしろ過干渉に彼女のやることを決め付けた。
どこからかのコネで国一番の魔法使いであるヨタカを師匠にすると、あっという間にラズリの人生のレールが敷かれていった。
両親にとって大事なのは魔法使いとして大成することではなくコネを手に入れること。
彼らのゴールはラズリがアベリア王子と結婚し女王となることであり、そして自分たちがその恩恵を受けることなのだ。
その為に両親は当時ラズリが付き合っていた恋人に、ラズリのあることないことを吹き込み無理矢理別れさせた。
それからアベリアの婚約者候補にねじ込むと彼を手玉に取れるように女性らしさの教育とやらをされた。
ただ、候補に入れられた当時ラズリは16歳でありアベリアは8歳である。
弟と同い年の、まだ赤ちゃんみたいな子供を愛することはラズリにはできなかった。
それでも適当なことを言って7年押さえ込んできたが、とうとう痺れを切らした両親はラズリに、王子と結婚できなければ勘当すると言い渡した。勿論ヨタカの弟子でなどいられない。
ヨタカは、浮世離れし時折会話もままならないが、魔法という新しい世界を見せてくれる人であり彼女は尊敬していた。
先生から引き離され魔法の勉強すら奪われる。ラズリにとって耐え難いことであった。
それを両親は分かっていたのだ。彼等はラズリが傷付いても構わない。
ラズリの中で何かが爆発した。
両親への怒りはアベリアに向かう。
二人の望み通りこの初々しい子供と愛し合ってやろう。骨抜きにして、そして立ち直れないほど傷付けてやる。見せつけるように他の男に抱かれに行こうか。抱き方を詰ってプライドをじわじわと折ってやろうか。
そんな気持ちを抱えながらラズリはアベリアと顔を合わせる。
彼は、はっきり言ってちょろかった。正に赤子の手を捻るように、ほんの少しラズリがアベリアのことを褒めて認めて抱き締めただけで彼女に惚れてしまった。
彼女が微笑むと彼もまた照れたように微笑む。
勉強を嫌そうにするアベリアに「王になれたら結婚しましょう」と囁くと、やる気になって勉強する。
なんて馬鹿な子供。そう思っていた。
しかし彼が母親である王妃と対面した時の姿を見て、それは間違っているのだと分かった。
王妃は常に神経を張り詰めている。
アベリアが玉座に座ることを第一に考え、アベリアが少しでも気を抜くと「未来の王が何をしているのです!」と怒鳴った。
そして彼に、厳しすぎるまでの課題を与えるのだ。もはや罰としか思えないほどの課題を。
それに彼が怒ったことはない。泣くこともない。
落ち着いた様子で彼女の言葉に頷き、無理難題を乗り越える。
15歳の彼に剣技の腕前を極めろ、と王妃が命じる。アベリアは分かりましたと頷いて、それから毎日剣の腕を磨いていた。
傷だらけになっても練習をやめない。練習相手が根を上げてもやめようとしない。
倒れ込みそうになっても踏み止まる彼をラズリは無理矢理止めた。
「なんてことを! こんな傷だらけになって……!
1日で剣の腕が上がるわけじゃないんですよ!?」
「すみません。でも早くなんとかしたくて」
「治療しますからじっとして。
早くなんとか、なんて出来ませんよ。何年もかけて地道に努力しないと。
王妃も分かっておいでのはず。無茶を言っているのだから聞く必要はないかと思いますよ」
「……ですが母の言うことは最もです。
王たるもの、剣を振るえなくては。
それに……私が王に相応しいと分かれば母の気も少しは休まるでしょう」
アベリアはそう言って薄っすらと笑う。
ラズリは泣きたくなった。
親の期待に応えなくて良い。そんなものに応えてなんになる?
寂しげに微笑むアベリアにラズリは祈るように思う。
この人はもう充分傷付いている。傷付ける必要なんてない……もうこれ以上傷付けないで。
ラズリの願いは虚しく、彼が18の時に、王の愛人の子が正当なる後継者だとして城へとやって来る。
フクシアだ。
美しくもどこか垢抜けない彼は幼く、そして到底王になどなれない器だった。
育ちが田舎である、ということは除いても。学もなく、言葉も知らぬ、ただの凡夫だ。
だというのに王は彼を後継者とした。そして愛人は第二夫人となった。
王妃は狂った。狂って狂ってそして倒れた。
あれ以来アベリアが王妃の話をすることは殆ど無い。
王妃が自殺未遂をしたと聞いても「分かりました」とだけだ。
ただ暇があれば王妃のいる療養所に顔を出している。……彼がどんな想いでいるのか、ラズリには想像も出来ない。
ラズリがアベリアと距離を置くようになったのはこの時期だ。
ラズリは彼の側にいられなかった。傷付ける目的で近付いた自分が、苦しんでいる王子の側にいてはいけない。
だからといって城から離れればそれはそれで心配だ。抜けている弟も、また心配だ。
彼女は絶妙な立ち位置を守り35歳となった。
結婚をするよう圧力をかけ続けた両親だったが、30を過ぎた辺りからその圧も軽くなって、ただ絶望感と諦観が漂い出した。
それでいい。もう既に両親への怒りは無いが、だからといって言いなりになる気もない。
彼女の願いはアベリアの幸せ。ただそれだけなのだ。
だったのだが。
両親はどうやら諦めてはいなかったらしい。
何かをきっかけにして画策をし、再びラズリを婚約者候補に仕立て上げた。
確かにアベリアは未だ独身だ。
だがそれは彼なりの様々な理由があってのことだろう。
勝手に婚約者候補なんかにして……。
ラズリはアベリアのもとに出向き謝罪する。
「両親がこんな……申し訳ありません……。勝手なことを。
なんとお詫びすれば良いのか」
「……詫びる必要はありませんよ」
久しぶりに間近で見たが、アベリアはすっかり大人の色香漂う男性になっていた。
子供だった頃が懐かしく寂しい。
「婚約者を求めておられないのでしょう? そうだというのに全く……」
「貴女は……何故、その、結婚をされていないのですか?」
「何故……」
この城から離れるわけにはいかないからだ。
アベリアが王となりさっさとあの色ボケの王と第二夫人をどっかにやってくれないと、ラズリも落ち着かない。
結婚し子供を産むとなると城に居続けることは出来ないだろう。
それに彼女は、ただ一人の幸せしか願っていない。他の誰かを幸せにするつもりはない。
「……ご縁が無くて」
取り敢えず適当にごまかした言葉は、アベリアには通じなかったらしい。片眉を上げ怪訝な顔を浮かべている。
「貴女に? まさか」
「……城から離れたくないのです」
「城から……? 何故」
「この国の将来を心配して、でしょうか。
そう言う王子は何故婚約なさらないのです」
自分の話を終わらせようとアベリアの方へと話をずらす。彼もまた答えにくそうにしていた。
「そう、ですね。私は……中々大人になりきれず……我儘な子供のままですから」
今度はラズリが怪訝な顔をする。
彼が我儘だったことなど無い。
「我儘ですか? どこが」
「……それは……いいではありませんか。
それで、どうしましょうかこの件は」
「どうもこうも……。王子の名誉に関わりますからねえ、早めに対処したいです」
「名誉?」
「年増の女と婚約だなんて。
申し訳ないです」
「とし、いやそんな! 誰もそんなこと思っていませんよ!」
慌てるアベリアにラズリは笑う。
紳士的な人だから、そういう事を思わないのだろう。
「王子が誰かと婚約してしまえば解決は早いのですが」
冗談めかした言葉にアベリアは僅かに目を見開いた。
それからギュッと唇を結ぶと、ラズリの手を取った。
「……貴女では、いけませんか?」
彼女は呆然とアベリアを見つめ返した。
それはなんの解決にもなっていないような。
「今、問題なのは勝手に私が婚約者候補になってしまったことで……ええと」
「それも特別問題だとは思っていません。
かつては婚約者だったのですから」
「そうですけれど。
王子はそれで良いのですか?」
「はい」
彼の手に力が入る。
「それが良いです」
真剣な眼差しだ。
なるほど、これは何かあるな。ラズリは察する。
一介の魔法使いであるラズリには知らされていない、何かしらの問題がありそれを解決する手段に彼女が婚約者になること。これが適任なのだろう。
……と、このときのラズリは本気でそう思った。少ししてそれがまるっきり勘違いであると知るのだが……。
「分かりました。ではそうしましょう」
両親の望み通りになるのは癪だが、アベリアの為なら仕方ない。
弟は姉が友の婚約者に再びなることを酷く嫌がりそうだが大した問題では無いだろう。
弟の意見をねじ伏せるのは得意だ。
ラズリがアベリアに微笑みかける。彼は頬を染め、本当に嬉しそうな顔をした。
子供の頃と変わらない可愛らしい笑顔。
彼女は思わず抱き締めたくなったがそれを堪えた。
「……私は王子の味方ですから。なんでも申しつけくださいね」
「ありがとうございます」
「それから、これはあくまで婚約です。
私に利用価値が無くなり破棄したくなったらそうして下さい」
「……え、あの」
「あとまあ……そうですねえ。なんと言いましょうか、他の女性と好い仲になった場合は報告を。
色々と対処が必要ですから」
ラズリとの婚約が問題解決の手段ならば、そうではない女性も欲しくなるはずだ。
愛人……というのだろうか。だがこの問題を直接口に出すのは憚られる。
何せ王子は今まで散々それで悩まされてきたのだから。
アベリアは呆然とラズリを見つめた後「……親のせいですか」と囁いた。
彼女は何も答えられない。王と第二夫人のせいではあるのだが、さすがにそれをラズリの立場からは言えなかった。
「分かり、ました。そうですね……」
アベリアが寂しげな表情を浮かべる。だがそれも一瞬のことで、すぐにいつもの凛々しい顔に戻った。
「では、正式にこの話は進めます」
「はい。お願いしますね」
彼は頷き、ラズリの方に手を伸ばしたが、彼女に触れることなく出て行った。
ラズリは重々しく息を吐きだす。
結局親の望む通りになってしまった。だが、これで良いのだろう。
彼女はアベリアを愛しているのだ。
例えそれがなんであろうと、彼の為に出来ることをラズリはしたかった。




