遺書
執務室の窓から外を見る。そしてアベリアは大きく息を吐いた。
竜に破壊された城はジェイドとラズリ、そしてヨタカの尽力により一晩で元の絢爛豪華な状態に戻っていたが……。
竜は、レイン・ブルーストームの弟のヘイル・ブルーストームの変異した姿であり、彼はユッカに催眠術をかけその事を咎められた結果ヨタカに呪われた、ということだった。
ここだけでも信じられないのにヘイルは異次元の穴にいる化け物の力を使って(この存在を捕まえたなんて話すらアベリアは聞いていない)、聖女の妹を連れて異世界に飛んで行ってしまったというのだ。
解決しようがない。
ジェイドに後を追えないか聞いたが、難しそうだと首を振った。異次元のどこに逃げ込んだか分からないらしい。
更に、聖女は聖女ではなく異次元の穴の化け物の力を使っていただけだとかなんとか。さすがのジェイドも頭にきたらしく彼女に次々と雑用を押し付けている。
アベリアも魔法が使えないことにはがっくりきたが、反省した様子で真面目に雑用をこなす祭に何も言わないことにした。
滅茶苦茶になったが一つ良いことがあった。ヨタカが異形の呪いを解いたのだ。
もうこれでラズリが犬になることはない。
どこかの世界にいるヘイルも、竜にはならない。
壊れたままの白い建物を彼は見つめる。
彼の与えられた部屋から母の檻はよく見えた。
マーガレットは未だに見つかっていない。
多分死んだのだろう、とアベリアは思っていた。
やっと死ねたと思ってやるべきなのだろうか。
そんなことを考えていると部屋の扉をノックする音がした。
どうぞ、と答えると、入ってきたのは妹のユッカだった。
「……体調はもう良いのか?」
「ああ、じゃなくて、はい。大丈夫です」
催眠術を長い間かけられていた割には元気そうだ。
詳細は聞いていないが、彼女にとってそれは悪いものではなかったらしい。
「どうしたんだ?」
「……あんたに、見てもらいたいものがあるんだ」
そう言って彼女は白い手紙を突き出した。
雨にでも打たれたかのように所々インクが滲んでいたり、ふやけた跡がある。
「読んでいいのか?」
「うん」
彼は慎重に手紙に目を通し始めた。
*
親愛なる妹、ユッカへ
お元気ですか?
これからあなたに苦しく大変なことが起こるでしょう。
なぜわかるのか。それは、私がそれを起こすからです。
どうか私の行いを許してください。
なぜそんなことをするのか。その理由を書くにあたって今までのことを書いていきたいと思います。
私たちの母は幼くして父を亡くし義理の母と2人の姉と4人で慎ましく暮らしていました。
その時何があったのか……母は王子(今の王ですね)に気に入られ、愛人となります。
王には既に妻がいたにもかかわらず。
さらに言えば王は息子もいました。それがアベリア。あなたの腹違いの兄です。
それでも王と母は愛し合い私とあなたを産みました。
ひどい話です。ただ、母はまだ子供で、愛に飢えていました。美しい王に愛を囁かれあっという間に恋に落ちたのでしょう。未だに母はおとぎ話のよう、と笑います(私にはそんな美しい話とは思えませんが)。
……ここまでで済めば、良かったのかもしれません。
ですが残念ながら話は続きます(あなたも分かっていますね)。
ひょんなことから13年前、2人は再会し、それと共に愛の炎は再び燃え上がります。
そして王は愛しているのは私たちの母の方だと公言してしまったのです。
いくつもの周りの欲望が混じり母は愛人ではなく第二夫人となり、私は正当な後継者(つまり将来王になる人、ということです)と担ぎ上げられました。
母は大いに喜びました。王に愛されていると涙しました。
しかし第一夫人、王妃はどうでしょう。その時何を思ったか私には分かりませんが、体を壊し今なお療養所にいることを思えばその苦しみの大きさが分かる気がします。
王妃に味方はいません。
国民は庶民の出でありながら慎ましく美しい母を、身分違いの恋を叶えた母を応援しました。
城の人々は気高い王妃よりも親しみやすく優しい母を好きになりました。
貴族は古い血筋の扱いにくい王妃よりも、なんの後ろ盾もない母を支持し自分たちの都合の良いように動かそうとします。
誰も王妃を救おうとはしないのです。ただ可哀想と哀れむばかり。
第一夫人という不名誉な呼ばれ方を、誰も止めはしません。
私は12才で第二夫人となった母と共に城に住むことになり、あなたとは離れ離れに……。
あなたは私が出る前にうらやましいと言っていましたね。でも、私はあなたがうらやましかった。
6歳上の兄のアベリアは、本当に優秀でした……つまり、誰かが何かしない限り、王になるのは彼です。
私はこの12年間本当に努力してきました。
でもアベリアとの差が埋まることなく広がる一方なのです。兄は恐ろしい人です。太刀打ちできるはずがありません。
そんなことは母も、そして王も承知だったはずです。だというのにどんなに頼んでも後継者候補から外されることはありませんでした。
むしろ策を巡らせ、なんとか私を後継者にしようとしました。
私が王にならないと2人の愛は完成しないとでも思っていたのでしょう。
私は苦しかった……。優れた者が王にならないというのか。愚鈍な私が何故王になどならなくてはならないのか。
アベリアに何度も聞かれました。王になる覚悟はできているのか、と。
そう問われるたびに頭が真っ白になりました。私にはなんの覚悟もできていないのです。
それでも、そんな私が12年間病むことなく過ごせたのは、ヨタカ先生の力が大きいでしょう。
ヨタカ先生というのはこの国で一番の魔法の使い手で、不老不死の人です。
変わっている人ですがとても良い人で、私の唯一の友人です。先生だけど親友です。
私は先生の孤独がわかり、先生は私の苦しみがわかります。
私にとっては母以上に大事な存在(母には内緒にしてください)。
だから先生を置いて行くのは本当に苦しいし、それで先生がどんなに悲しむか分かっています。
それでも私は実行します。
王妃が昨日5回目の自殺未遂を行いました。浴室で手首を切っていたそうです。
幸い一命を取り留めましたが、きっとまた自殺しようとするでしょう。そうでないと彼女は救われないから。
もう耐えられません。私は母と王のハッピーエンドを壊してやりたい。
母たちの愛を未完で終わらせてやりたい。
いえ、あんなものは愛ではありませんね。輝かしいものに対する醜く歪んだ執着心です。
そんなもののために私たちはこんな目に合わないといけないのですか。
絶対に許さない。
王妃とアベリアが苦しんでいるのを尻目に微笑み合う彼等は報いを受けるべきだ。
私は死にます。獣に食い殺される、罪人の死に方を選びます。
私も2人と同じく王妃とアベリアから多くのものを奪った罪人ですから。
決して悲しむ必要はありません。難しいでしょうが、これが私にとって出来る唯一のことなのです。
私のことを讃えてください。
あなたは私の代わりにここに来ることになるでしょう。
後継者として扱われることでしょう。
ヨタカ先生もそうしろと言うはずです。そうでないとこの城でどう扱われるか分かりませんから。
でもヨタカ先生はあなたを救ってくれるはず。大丈夫、先生を信じて。
それから、どうかお願いです。
私の墓は立てないでください。私の体を土に埋めないで。
母たちの悲しみに利用しないで。
燃えた体はヨタカ先生の側に置かせてください。
そして願わくば、あなたがヨタカ先生の親友になってあげてください。
変わった人ではありますが、善き人です。
私は彼ほど純粋な心を持った人を知りません。
それではさようなら。
この手紙はきっと私が死んだあとに届くでしょう。私の最後の言葉としてとっておいてください。
死んでもあなたを見守っています。
あなたの兄より
*
手紙を読み追えたアベリアはユッカを見つめた。
彼の瞳から感情は読めない。
どうも自分の長兄は感情が一切表に出ないが、冷たい人なわけではないから。
きっと苦しめてしまっただろう。
「……アニキは自殺した。あんたも気付いてたんだろ」
彼女の言葉にアベリアは頷いた。
「野犬のいる地区を調べたり、部屋を片付けたり……あとで思い返せば、あれはそういうことだったんだなと思うところはあった」
そうだったのか。
ユッカはただこの遺書が送られてきただけで、兆候なんて知る由も無く。だからこの城がとてつもなく恐ろしいものに感じていた。
「アニキを死に追いやったのはあんたのせいだと思ったんだ。
アニキは明るい人だったのに……こんな恨み言ばっかり書いて。おかしくなったんだ。
それでこんなに追い詰められたのはあんたがきっと、アニキのこと責めたに違いないって……」
「……そう思われても仕方ない。
俺とフクシアは……何もかもが違っていた。
好きなことも嫌いなことも正反対で、過ごしてきた環境も違う。歳も離れているから話すこともあまり無かった。
とても仲が良いとは言えなかったよ」
それはそうだろう。ユッカだってアベリアのことが未だに少し怖い。緊張する。
育ちが違い過ぎた。
ユッカの暮らしていた場所でこんな風に綺麗な服を着ていつも厳しい顔をしている人はいない。
フクシアも同じだろう。それにフクシアはマーガレットとアベリアに負い目を感じていた。
余計にアベリアが怖かったに違いない。
「でも、あんたが殺したって噂流れてたの知ってただろ。
おれも訂正しなかった。ヨタカだってそれを信じて、あんなことを……しでかした。
なんで自殺だって言わなかったんだ」
アベリアの仄暗い瞳がユッカに向けられる。
彼は微かに、悲しそうに笑っていた。
「自殺された時、周りがどんな気持ちになるか……。
いきなり崖に突き落とされたような痛みを感じるんだ。自分に何故相談してくれなかったんだろうって相手を責めたくもなる。でもそれ以上に何故苦しみに気付いてやれなかったんだ、って自分が許せなくなる。
その人の死が頭に張り付いてふとした瞬間に叫びたくなるんだ……。それは多分一生逃れられない苦痛だよ。
そんな苦痛知らないでいたいだろう……」
ユッカは何も言えなくなった。
この人は何度も何度も母親が自殺未遂する度に、崖に突き落とされるのだ。
「……ヨタカの心にこの苦痛を受け入れるだけの余裕があると思えない。
いや、誰の心にも。だからフクシアが自殺したと言うつもりはない」
ヨタカの心は限界だ。マーガレットの言う通り、人の心は長い時を生きるのに耐えられるほど強くない。
フクシアが自殺したと言っていればヨタカは花火を人魚にして肉を求めようとしなかっただろうか?
いや、もし自殺したと言えばもっと酷いことになったのかもしれない。
何が正解かなんて誰にも分からない。
だからアベリアは彼なりの正しさをもって言わないことを選択したのだ。
「おれはただ、どうなるかが怖くてヨタカに本当のことを言えなかった。あんたは違うんだな……」
ユッカは目を細め兄を見つめる。
「なあ、その遺書はあんたが持っててくれないか」
「……いいのか?」
「あんたなら握り潰したりしないだろ」
「兄の形見だろう」
「別の物を貰うから」
そしてそれが兄の望みだ。
ユッカはその為にここに来たのだ。




