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浅はかという異常*

流血シーンがあります

黒いタールのような唾液と、それ以上に大量の血の跡。

いくら方向音痴だろうとヘイルがどこにいるか迷わない。


—……狙ってたのよ……最初から、あんただけを


姉の言葉が脳裏から離れない。

年の離れた清水から好意を持たれていたことへの嫌悪感も、姉が助けてくれなかった絶望感も、全て消え失せた。

ヘイルは花火の味方だと思っていたのに。

憐れまないで温かい言葉をかけてくれる彼に心惹かれていた自分が馬鹿みたいだ。


ユッカに催眠術を掛けたのは何故?

竜になって暴れまわった理由は?

……何が目的で花火に近づいた?


赤い血の上を歩き、彼が使用人の控え室にいると分かる。

扉を開けると埃の匂いと、微かな血の匂いが漂ってきた。


「……花火」


ヘイルは、人の姿で花火の方を向いていた。

竜の姿をしていたと思えない、花火もよく知っている彼の姿。

だが血塗れだった。

ズボンは履いているが上半身は裸で、彼の肌に黒いぬらぬらと光る鱗と無数の傷が見える。

彼は落ち着いた様子で手に持っていたシャツを着る。


「良かった、ラズリさんかと思ったよ」


重々しく息を吐くと血に塗れた体を壁に預けた。

白かったシャツもあっという間に赤く染まっていく。

額には脂汗が浮かんでいた。


「しつこくてね……。でもすぐにここもバレるかな……。

……杖は?」


花火は答えなかった。ただジッと茶色の瞳でヘイルを見つめる。


「動くんだ。

すごいな。全然気付かなかった。

けど良かった……」


「……あの時、助けてくれなかったんだもんね」


その声音は冷たく、鋭かった。

緑色の瞳が見開かれる。


「どうしてそれを?」


「お姉ちゃんが教えてくれたよ、全部」


「あー。なるほど。

……話さないと思ったけどそんなことないのか……」


彼はクスクスと笑う。何が楽しいのだろう、花火には理解できなかった。


「あなたが私を選んだんでしょう?」


—この子が良いのか……。可哀想に……。

まあ仕方ないか。

こちら側の人間なら、誰かは……


ヨタカは花火を襲った時そう言っていた。

彼自身が花火を選んだからじゃない。ヘイルに花火を襲うように指示されたからだ。


「どういうこと?

何を考えてるの……?」


花火は募る言葉を一度呑み込んだ。

言いたいことも聞きたいことも山のようにある。だがヘイルを前にしたら頭が回らなくなってしまった。

……理由は分かっている。


「……ユッカ姫に……催眠術をかけたのは」


「直属の護衛になってみたかったから。

王族っていうのがどんな感じか見てみたかったんだ」


「催眠術なんてかけて良いと思ったの?」


「失敗したら思考できない肉塊になる。さすがに練習したよ。姫サマで3番目」


「……私が4番目」


—思考がまとまらない異様な感覚はあるが、だがそれに恐怖を感じてはいない。


あの日、彼に出会った時から度々感じていた思考がまとまらなくなる感覚。

花火にも催眠術をかけていたのだ……。

だからこれまでヘイルの言動に違和感を覚えなかった。


ヘイルの笑みが深まる。妖しいその笑みは場違いなほど美しかった。


「そう、そうだよ」


「……なんでそんなことするの……。やってること滅茶苦茶だよ。

こんな風に城だって破壊して……」


「姫サマの催眠術を解いたからね……俺のやったことが露見してしまう。

そうなる前に城を壊しておこうかと」


「……分からない。

そんなことしたら怪我する人だって出てくるんだよ?」


「大丈夫。ちゃんと花火が怪我しないように、花火の位置確認してたよ」


彼は傷付いた体を僅かに動かす。血がピチャピチャと音を立てた。


「ヨタカのことボコボコに殴ってたね。

杖が歪んじゃって、どうするんだろうって心配だったんだよ」


「ヨタカが犯人だと分かったから……ずっとこうするつもりだった」


この世界に来た当初、花火は呪われていると言われてもよく分からなかった。

早く戻って犯人を見つけたかったが戻りたいといえば祭に疑われる。

だから城にとどまり続けた。

だが徐々に犯人はこの世界の人間だろうとわかっていくにつれ、彼女はこの世界で復讐を果たすことを決めた。


「そうだったんだ」


ヘイルの声音は優しい。つい彼に甘えたくなる。抱き締めて、怪我は大丈夫かと問いかけたくなる。

それが催眠術によるものだと分かっていても。


「ヨタカを殴る君を見てると、心臓を掴まれたみたいに苦しくなって、動悸が止まらなかった。

ヨタカの返り血を浴びて杖を振りかざす君は凄く……美しかった。

ペチャンコになるヨタカがいっそ羨ましかったよ。花火にあれだけ強い感情を向けられてるんだから」


今の彼は恍惚とした、という言葉が当てはまるのだろう。そういう蕩けた瞳で花火を見つめていた。


「それでやっぱり、君を食べようとしたヨタカを食べるべきだと思った。邪魔だしね。

消化しちゃえば殺せなくても消えると思ったんだよ。

まあ見事失敗したわけだけど……もういいか」


「……ヘイルの考えてることが何一つ分からない……。

目的はなんなの。

私を襲わせて、催眠術をかけたのは?」


「まだ分からない?

……俺の全てに賭けて誓うよ。俺の目的はただ一つ。君を手に入れることだ」


本当に、何を言っているのだ。

花火は絶句した。

二の句が継げないでいる花火にヘイルはゆっくり近づいてくる。


「言ったよね。俺は君を、俺の物にすると決めたんだよ」


たったそれだけの理由で、多くの人を傷つけたといつのか。

いや、そうだ。彼は王族がどんな感じか見てみたかった、という理由だけでユッカ姫に催眠術をかけた。その犯行がバレないように城を壊した。

つまらないことでこの人は、周りが思わないような行動をする。

だから誰も彼の思惑に気が付けない……。異常性に気が付かず簡単に操られてしまう。


「私をどうするつもり?」


血に染まった手が花火を腕を掴んだ。ヌルリと血の感触がする。


「怯えなくていい。

君を幸せにすると約束するよ」


そう言って彼は空いている腕で花火の頬を掴んだ。

抵抗する間も無く彼女の唇にヘイルの唇が重なる。

むせ返るような血の匂い。

花火は慌てて腕を振ってヘイルを止めさせる。


「頭おかしいんじゃない……。

どう、幸せにするっていうの……催眠術かけた癖に……」


「余計なことを考えなくて済む。

お姉さんと自分を比較して劣等感を抱く必要が無くなるよ」


緑の瞳が優しく細められる。愛おしげに花火の髪を撫でた。髪に血がベッタリと付く。


「人と比べられるなんて嫌だよね。それもきょうだいと比べられるなんて。逃れようがない。

……ね? 俺は君が望むことを言える」


「わ、わたし……」


何か言いたいのにやっぱり思考がまとまらない。花火は首を何度も振った。


「催眠術を解いて。考えがまとまらないの。

言いたいことが沢山あるのに……」


花火は縋り付くようにヘイルの腕を掴んだ。


「解かない」


「……私はもう分かってるんだよ。

催眠術なんてかけてても意味無い」


「解いたらどうする?」


茶色の目を伏せ、彼女は考える。

多分ヨタカにしたことと同じことをする、だろうか。それともここを出て行ってジェイドやラズリにヘイルのしたことを伝えるか。

……催眠術をかけられた状態では彼を裏切るようなことはできない。


「どうするか自分でも分からない」


「……解かないよ、絶対。

本当は花火は俺のこと好きじゃない。そんなの分かってる。俺を初めて見た時から怯えた顔してた……ずっと。

ジェイドにはニコニコ笑うのにな?

そんなの許せないだろ。俺が花火を見つけたんだ。俺の物になれよ、じゃないとずっと、俺は苦しいままだ」


普段冷静な彼の口調は荒く、怒りで震えていた。

ヘイルの手が花火の手を掴み返す。想像よりも強い力だった。


「ヨタカに連れられて初めてあの世界に行って……夜道で、灯りに照らされる君を見た時からずっと……飢えてる。満たされないんだ。

自分でもなんでこんなに飢えてるのか分からない。

ヨタカは魔法をかける相手は誰でも良いって言ったから俺は君にしようと提案したんだ。

逃げられないように足を折ろうって。

きっと側に置けば飢えが収まると思ったから、


でも失敗した。あの時、近くに変な女がいるなとは思ってたんだよ。まさかそっちが来るなんて思わなかった。折角ペンダントを置いたのに……なんで来たのはお前じゃなくてあの女なんだよ」


ヘイルの目がギラギラと輝く。それはおぞましい竜の目だった。


「……あのペンダントはなに?」


ヘイルの顔が何かを嘲笑うかのように歪む。


「兄貴とジェイドがずっと追っかけてた異次元の穴にいる化け物が閉じ込められてる」


「なんでヘイルが持ってるの」


「なんでだと思う?」


そんなの花火には分かるはずもなかった。

ただ、嫌な予感だけはあった。

何かあったのだ。ペンダントがヘイルの手へと渡ってしまう何かが。


*


「兄貴? 何やってるの」


ヘイルは研究室に籠る兄に声を掛けた。

自分と似た、青白く痩せた横顔を見る。

ここ最近彼は一歩も外に出ていない。部屋の中は暗く埃っぽい。

研究に没頭するとこうなることは度々あったが今回はひどかった。


兄は机の上の何かを熱心に見つめていた。

ヘイルは背後から覗き込む。

赤い石だ。それは金属の台座に嵌め込まれチェーンが繋がっていた。

石の中で魚のように何かが泳いでいる。


「それは」


「……捕らえたんだ……」


掠れた声だった。ここ数日声を発していなかったに違いない。ヘイルは水差しの水を渡してやった。

その水も埃が浮いていたが、まあいいだろう。


「何を」


兄は、レインは水を受け取らずただじっと石を見ている。

そこでピンと来た。

長年の夢を叶えたのだ……。異次元の穴の中にいる、恐ろしい怪物。

アイツのせいで異次元の穴に落ちた者は皆食われた……全て、この化け物の住処に繋がっていたのだ。

穴は獲物を捕らえるための罠だった。


「凄い……! ジェイドさんには教えた?」


「教えるわけないだろ」


「え?」


兄の思わぬ言葉にヘイルはギョッとした。

ジェイドはレインと共同で研究をしてきたいわば同士だ。

異次元の穴が作られる原因はここに穴を作る怪物がいるからだ……。

怪物を捕らえることができれば異次元の穴が現れることも、落ちた先で人が死ぬこともなくなる。

二人の発見は、穴に落ちたものから死んでしまうため証明する方法が無く周りから揶揄された。妄想だと。

苦汁を嘗め続けた長い日々。それを共に過ごしたのはジェイドではないか。


「なんで言わないんだよ……」


「アイツが、アイツは良いだろ。

死なないんだから」


「何言ってんだ。そんなわけないよ」


「あのヨタカの弟子だぞ!! アイツは不老不死の方法を知ってるんだ!

俺に黙ってる!」


そう言って兄は側にあった書類の山をなぎ倒した。


「俺だって死にたくないのに! だからコレを研究したんだよ! これだけの魔力がある。なんだって、異世界に移動することだって出来るんだ、不死の力だって或いは……そう思って……!

だけどアイツは……違う!

姉貴もヨタカの弟子だ、王子の婚約者だ、絶対知ってる、アイツは不老不死だ。狡いだろそんなの!」


「どうしたんだよ……」


ヘイルは兄を鎮めようと肩に手を置いた。だがその手を振り払われる。


「触るな!!」


凄まじい形相にヘイルは呆然とした。

……そうか、彼は、フクシア王子が死んでから籠り出した。

兄は王子の死体を見た。


「死にたくないの?」


「当たり前だろ! 王子は、い、犬にっ、犬に食われた……。酷い死に様だ。罪人の死に方……そんなの嫌だ。

父さんと母さんは病気で、体中が黒くなって、痩せ細って、苦しんで死んだ。

そんなの嫌だ。俺は、お、恐ろしい。苦しんで、死んでいく。嫌だそんなのは」


ヘイルはそっと息を吐いて兄の顔を覗き込む。


「いずれ人は死ぬ。ヨタカは違うとしても、普通そうだよ」


そう言い終える前にヘイルはレインに殴られた。痛みはないが衝撃で体が後ろに倒れる。

レインは倒れ込んだ弟の体を殴り続ける。


「お前に分かるものか!!

お前なんかに! 父さんと母さんが死んでも泣きもしなかった!」


殴り続ける兄の体をヘイルは掴んで吹っ飛ばした。

研究しかしていない兄と、護衛として体を鍛えている弟。力の差は歴然だった。


兄は書類の上に倒れ込む。俯いて興奮したようにハアハアと荒く息を吐き、それから突然笑い出した。


「お前はそうだ……友達も出来ない、恋人ともすぐ別れる。

お前はどんなに言ってはいけない、やってはいけないことでもやりたくなったらやる。絶対やると決めたことはやり遂げる……お前の快楽の為ならな!

そうだよ、お前は短絡的な、快楽主義者だ!

いつ死んだって構わないと思ってるんだろう。死は魅力的か?」


そう叫ぶとレインは再びヘイルに飛びかかった。彼の首に手をかけ締めてくる。

苦しくもなんともない……弱々しい力だった。


「俺は違う! 死にたくない……まだ俺は、やりたいことが山のようにあるんだ。死にたくない、死にたくない!

あんな風に惨めに死ぬのはごめんだ……」


涙がポタポタと頬を伝っている。

ヘイルは途端に彼を哀れに思った。

狂ってしまった。心が汚泥で侵されてしまった。

思考の癖がついてしまった。

もう元には戻らない。


「兄貴」


彼は兄を優しく抱き締める。レインの力が抜けていった。

何度も背中をさすり慰める。


「俺の話を聞いて」


レインは何も言わなかった。鼻をすすっている。


「この間……ヨタカに呪われたんだ。

変異の呪いだっけ……。ユッカ姫が身の危険を感じると俺の体は竜になる」


「……なんの話だ……」


「俺はユッカ姫に催眠術を掛けたんだ。それがバレて……しこたま怒られたよ。

まあ、普通死罪だから怒られただけで良かった。

姫サマに物理的な危害は加えてないからかな。

それでも許せなかったみたいでね、呪われてしまった」


「なんてことを!」


兄が身を起こした。ヘイルは落ち着いて、とその肩を撫でる。


「大丈夫だよ。死んでないし、呪われただけ。

……でもこのことは誰にも言ってはいけないんだ」


「は……? ヘイル、お前……」


「聞いちゃったね。

さようならだ、兄貴」


レインの目が見開かれる。緑色の瞳の中、暗い瞳孔が開いていく。

それが彼の最後の動きだった。

ヘイルが体を離すとレインはそのままぱたりと地面に倒れていく。


ヘイルは兄の死体をそのままにしておいた。どうせ誰かが……多分ジェイドが、見つけるだろう。

部屋を出ようとして机にあるものを思い出した。


石の中で何かが魚のようにゆらゆらと揺らめいている。

こちらの世界のものではあり得ない存在。異世界の神、もしくは悪魔。

兄はこれを使えば異世界に移動できると言っていた。

中々楽しめそうだ。


石をポケットに入れヘイルは振り返ることもなく、部屋を出た。

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★★個人サイトでも小説投稿しています★★ 小説家になろうには掲載していないものもあるのでぜひ〜
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