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希望の果てに*

流血シーンがあります

彼の白い髪まで赤く染まっている。

ヒューヒューというヨタカの苦しげな息が聞こえる。

ユッカはその音を聞きながら自分の体を抱きしめていた。

どうしたら良いのか分からない。

外からは恐ろしい竜の叫びに似た咆哮と、人々のパニックに陥った悲鳴が聞こえて来る。

城の人たちは皆、上品だとユッカは思っていた。やはり田舎で暮らす自分とは「品」が違うと。

だが今やどうだろう。ケダモノのような泣き声を喚き散らしながらドタドタと走り去って行く姿。

普段の品のある仕草との落差が大きく一層恐ろしく感じた。


……それは、先ほどの花火もそうだ。

普段の穏やかな姿から一変、彼女はヨタカに襲い掛かった。何度やめてと叫んでも杖を振り下ろし続けた。

今もユッカの耳に、骨の折れるポキンという乾いた音が残っている。

あんな凶暴な人だとは思わなかった……でもその凶暴さを引き出したのはヨタカのせいだ。

ヨタカが彼女に呪いをかけた。人魚の呪い。

彼はユッカに人魚となった花火を食わせるつもりだった……。


こんな所来るんじゃなかった。

ユッカは鼻をすする。早く田舎に帰りたい。

魑魅魍魎の蔓延る城で暮らしてたおやかに微笑んでいらるほどユッカは強い人間じゃない。

恐怖がまた体を支配する。竜がまるで笑っているかのような断続的な鳴き声を上げた。


ヨタカの体からまた白い煙のようなものが出て、生き物に変わる。

使い魔を出し続けているのだ。

そんなことしていたらヨタカの怪我は治らない。


「ヨタカ、も、やめろ……」


やっと。

ユッカは口を開いた。

でもその声はひどく小さく、また震えていた。


「……ユッ……カ……」


ヨタカは指があちこちに向いた手をこちらに差し出してきた。

彼から立ち上る血の匂いが、ユッカの恐怖を煽る。


「ヨタカ……ヨタカ……おれ、どうしたらいい……」


「……僕をころ、すんだ……」


「え……?」


聞き間違いだろうか。殺す?


「トドメを……刺して。じゃないと、いつまでも……再生しない……」


「お、おれが、あんたを殺す? 冗談だろ? そんなこと出来ない!」


「……僕は不老不死だ……。

蘇るよ……」


「でもっ」


彼が死ぬことに変わりはない。

ユッカにあの花火のようになれというのか? 彼の体中から骨を露出させ、滅茶苦茶にした花火のように。

恐怖心がまた増幅する。彼女は無理だと首を振った。

涙が溢れる。先程から涙は枯れることを知らないらしい。乾く間も無く次々と頬を濡らしていく。


「……大丈夫、だよ」


「無理だよ無理だっ! おれはそんなことしない! 人を殺したくなんかない!」


「……少し、落ち着きなさい……。

このまま…………君を、竜に、食わせるわけには……」


何かが崩れる大きな音がした。

窓の外の黒い影をユッカは伺うように見る。

何故あんな巨大な竜がいきなり城に現れたのだ。


「怖いよ、ヨタカ……」


「ごめん……ね。想像以上に……あの男は……。

こっちが、絶対にやらないだろう……っていう線を容易く越えてくる……。

長く長く……生きてきたけれど……あんな、イかれた奴は……見たことない……」


「竜の、話?」


「そう……。醜く、強欲で、浅ましい竜の話だ。

ユッカ……君を、守らなくては」


そう言われてもユッカの体は動きそうにない。

指先が冷えて震えている。

さっきから喉に何かが引っ掛かっている気がした。多分吐き気がしているんだろう。目眩もする。

だが全ての感覚が遠く、頭の中にはヨタカの真っ赤な血と、真っ黒な恐怖があった。


「……僕を殺すのが、無理なら……せめて逃げて……。

ここにいちゃいけない。……ジッとしてちゃダメだ」


それすらも出来ない。ユッカは首を振った。

足の感覚は、ヘイルに洗脳されていたと分かった時から抜けたままだ。

体を丸めてユッカは蹲った。怖い、怖い。体が動かない。どうしたらいいのか分からない。

何が怖いのかそれすら分からないのに心が悲鳴を上げている。


「何をしているの」


突然、冷たい女の声が降ってきた。

のろのろと顔を上げると、病的までに色の白い60くらいの女がいた。

いや、もしかしたらもう少し若いのかもしれない。髪は黒く美しい。

だが全身から漂う雰囲気から生気というものを感じられなかった。


「……だれ……」


「マー……ガレット……?」


ヨタカの知り合いらしい。

涙で濡れた瞳を何度も瞬かせユッカは彼女をジッと見つめた。

凛とした瞳に気難しそうに結ばれた唇。

そしてこの高い鼻梁は、アベリアと同じ形だ。


「なんで、君がここに……」


「あの竜が療養所を壊したものだから、慌てて逃げてきたのよ。

ついでと思って私の部屋に来てみたらなんだか随分素敵に改装されているみたいじゃない。

それよりお前は何やっているの。死んでる場合じゃないでしょう。王族を守るのがお前の仕事よ。誓いを破ってはならない」


ハッキリとした物言いは、高貴な立場なのだろうと容易に想像出来た。


「……アベリア、王子の……お母さん……」


ユッカがポツリと呟くと彼女の澄んだ瞳がグンっとこちらを見つめた。


「……その可愛い顔には見覚えがあるわ。ダリアによく似てる」


ダリアはユッカの母の名前だ。

やはり、この人は。

彼女は自然距離を取る。


恨まれているに違いない。母のダリアは彼女の夫どころか、その立場まで奪ったのだ。

そうして彼女を療養所という名の白い牢に閉じ込めた。


「全く。きょうだいそっくりね。

派手なのは見た目だけで中身は意気地なしなんだから。

何を怯えているの」


「だ、だって」


「マーガレット……いじめるのはよしなさい……」


「誰がいじめたのよ。

……早く、トドメを刺して」


マーガレットがユッカを見つめる。

トドメを刺すようユッカに言ったのか? そんなこと、出来るわけがない。

彼女は必死で拒絶した。人を殺すなんてゴメンだ。

だがそんな彼女にマーガレットは近付くと手をぐっと引かれた。

見た目よりも強い力だった。


「何を恐れている」


「殺したくなんかない!」


「……馬鹿ね。死は救いよ」


何を言っているんだ。

ユッカの瞳が見開かれる。死が救い?


「ヨタカを見なさい。こんなに苦しんでいるのに死ねやしない。

もう長い間永遠に近い時を過ごしたせいで、彼は狂ってしまった。

人の精神は長い時に耐えられない。死という終わりが来ないと、人は潰れていくのよ」


「そんなの自殺ばっかりしているあんたに言われたくない!

おれは嫌だ……死にたくないし、殺したくもない!」


マーガレットの顔が大きく歪む。愉快でたまらないとばかりに。


「あなた、私のことよく知っているのね。

王に見捨てられポッと出の女に子供の玉座まで奪われかけた、可哀想な女だと?」


ユッカは頷きこそしなかったがそうだと思った。

父は、アベリアという子供がいたにも関わらず自分の妻を裏切り浮気し、数年後母のダリアに子供がいると知るとそちらに後継権を与えようとしたのだ。

あまりな仕打ちだ。あまりに可哀想だ。

マーガレットが精神を病んで病棟に入るのも仕方がないではないか。


「可哀想、可哀想。そう周りが言うから私は本当に可哀想になったわ。

私はこれっぽっちも可哀想なんかじゃなかった。他の誰にも劣らない立派な息子がいるんですもの。

でも周りはそう思わなかった……。

ねえ、あなた、本当に自分が玉座に座れると思う?

アベリアがあなたが産まれるまでの間にどれだけ努力してきたか分からない?

あなたや、あなたの兄が、玉座に座れっこないわよ。

アベリアは王冠の重みも、玉座の座り心地も全部覚悟しているわ。王になるのは私の息子」


彼女の言葉はまるで鉛のように重い。

マーガレットが笑みを深める。


「なのに周りはそれを認めなかった。私たち親子に可哀想っていう烙印を押したのよ。

だから私は可哀想に成り下がったわ。

精神を病んだのは王の浮気のせいでもあなたたち親子のせいでもない。

周りが私を可哀想だと言ったから、私は可哀想にならなきゃいけなかったからよ。

……何故私が自殺をしようとしているか分かる?」


ユッカは小さく首を振った。


「このままダラダラと生き続けて可哀想と言われ続けて息子の負担になり続けるつもりはない。

もう私の尊厳を傷付けさせない。

私はヨタカと違う。死を選ぶという権利があるの。

その権利を行使することになんの問題が?」


マーガレットの笑みは病んだ笑みでは無かった。

いっそ清々しい、爽やかな笑みだ。

声音だって重く真剣なものだが、悲壮感はまるで無い。


「……自殺は良いものだと……?」


ヘイルもそう言っていた。彼は死は救いなのだと。

まさか彼女も同じことを……。


「死という生物にとっての尊厳を守っているだけよ。

それをどう使おうとその人の勝手だわ。悲嘆にくれる必要はない。

いずれ必ず訪れるものを、自分が望んだ時に来るようにしているのがそんなに悲しいことかしら」


ユッカは目の覚めるような思いだった。

ヘイルと同じことを言っているのにマーガレットの言葉に不快感はない。

死にゆく人は希望を持っていたのかという驚きと悲しさ。


手の震えは止まっていた。

死にたいとは思わない。死にたくない。自殺だって、恐ろしいと思う。

だがマーガレットの言う通りだ。不死身ではないユッカが死から逃れることは難しい。

ならば死にたくないと怯えるのではなくいずれ来るものとして受け入れるべきなのだ。


頭がクリアになっていく。

彼女は立ち上がって棚に飾ってあった花瓶を床に叩きつける。小気味の良い音が部屋に響いた。


破片を持ってヨタカに近付く。彼は苦しげに喘いでいた。

……生かしている方が彼にとっては苦痛だったのだ。それに気が付かず震えていた自分はなんて身勝手だったのだろう。


「ごめん、ヨタカ。

……おれ、家畜はよく捌いたんだ……きっと苦しまないよ……」


彼女はヨタカの喉を破片で切り裂いた。真っ赤な血が吹き出した。

暖かな血を浴びながらこれで良かったのだ、とユッカは思う。


「……よく頑張ったわね」


優しい声がした。

振り返る。だがマーガレットの姿は無かった。

避難しに行ったのだろうか……それとも。


ユッカは窓の外を見た。


竜の緑色の瞳がヨタカを捉えていた。

その瞳は嬉しそうに弧を描いている。


……ここから逃げなくては。

ユッカはまだ動けそうにないヨタカの体を支えながら歩き出した。

いつか死ぬとしてもそれは今じゃない。


「……ユッカ……僕のことは置いていくんだ」


「行かない。一緒に逃げよう」


「逃げ遅れちゃう……。僕は平気だから」


「おれが平気じゃねえンだよ!」


せっかく救ったのに、またヨタカを苦しめさせる訳にはいかないじゃないか。

半ば引きずるようにしてヨタカを連れて廊下に出る。

だが、キン、という高音が聞こえたと思ったら天井が崩れ落ちてきた。

悲鳴を上げる間もなかった。天井の瓦礫に体を押し潰される。


「ユッカ……!!」


「ヨタカ!! 待って」


今助ける、という言葉は続かなかった。竜の巨大な手が伸びてきたからだ。


ああもうダメなのか。ユッカがそう諦めかけた時だった。

轟音と共に目の前が一瞬明るくなる。


「ユッカ!」


最初はヨタカだと思った。だが違った。

ヨタカよりも体格のよく、威圧感のある男……アベリアだ。


「お、うじ……」


「無事か!? 早くこっちに!」


アベリアは切羽詰まったようにこちらに手を伸ばしている。彼女は大きく頷いた。


「おれは大丈夫! それよりヨタカが……!」


「だ、い、じょうぶ」


そう言いながら瓦礫の中からヨタカが立ち上がった。

全身血に塗れているが普通に動けているところから見て再生したらしいことが分かる。

彼女は竜の様子を伺いながらも瓦礫を踏み越えアベリアの方に駆けて行った。


「ああ、酷い血だ。どこを怪我した?」


「いや、これ、ヨタカの返り血で……」


「そうか、なら良かった……良くはないか。

とにかく避難しよう。今ラズリさんがあの竜をなんとかしようとしている。

ヨタカ先生も早く」


アベリアがヨタカに手を差し出した。

だが彼はゆっくりと首を振って微笑んだ。

その瞳はいつもの曇った瞳ではない。これがかつての彼なのだろう。呆けた老人ではなく気高く強い魔法使いの彼だ。

表情は凛々しく、鋭い瞳で竜を睨んでいる。


「僕がしでかしたことだから……僕がなんとかする」


「……ヨタカ……」


「大丈夫。絶対ユッカを傷付けない。

……アベリア、頼んだよ……」


「分かってます。

行こう」


アベリアに手を取られる。

思えば兄とこうしてちゃんとした会話をするのは今が初めてじゃないだろうか。

ユッカは手を握り返した。


「……守ってくれてありがとう」


「そんなの当然だ、君は妹なんだし……もう、きょうだいが傷付くのはごめんだから」


そう言われてユッカは息を飲んだ。

アベリアの手は暖かくて大きい。だが自分のもう一人の兄の手はもっと細くて、ガサガサしていた。

兄はいつも穏やかに笑っていて、人の欲望渦巻く恐ろしい城にいたらすぐ潰れちゃうと思った。

兄は人と話すのが大好きで、明るい性格で、ちょっと惚けたところのある良き人だった。

兄のことがユッカは大好きだった。

……死はその人にとっては救いでも、残された人にとっては絶望なんだ……。


突然泣き出したユッカをアベリアはギョッとした顔で見る。そして慰めるように「すぐに避難できるから」と言ってくれた。


「……さっき、あんたのお母さんに会ったよ……」


「母に? ……そうか。建物壊れてたな」


「……変わった人だった。でも、おれたちのこと責めてなかった。

あんたも、おれのこと恨んでない……?」


アベリアは少し愉快そうに「さっきも聞かれたよ」と笑った。


「恨むなんてことありえない。

きょうだいなんだから」


その言葉にユッカは涙を拭った。

何故こんな優しい人を恐れていたのだろう……。


不意に竜の咆哮が止んだ。

窓の外を見る。黒く大きな竜はどこにも見えなかった。


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★★個人サイトでも小説投稿しています★★ 小説家になろうには掲載していないものもあるのでぜひ〜
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