16場「凄いよアレは。嘘の天才だね」*
暴力シーンを含みます
「そういえばさっきの、祭ちゃんが主役で花火ちゃんが脇役って?」
ジェイドと祭の2人は並んで歩き出す。
—まー、己のことながら妹とは正反対の気質だと思うよ。
よく花火は私は主役で、花火は脇役って言ってくる。……ある意味当たってるかもねえ
この言葉を思い出しジェイドは尋ねた。
この質問に祭はああ、と笑う。
「花火はそのまんまの意味で言ったと思うけど……。
私のいる世界じゃ、大人の事情ってやつで観劇の主役は演技の上手い人じゃ無くて目立つ人を使うんだよ。
演技の上手下手は問わない……代わりに上手い人で脇を固めるんだ」
「ほほう?」
「花火は演技が上手いから脇役。……まあ並みの主役なら食われちゃうかな。
凄いよアレは。嘘の天才だね」
そう言って祭は目を細めた。
*
ずっとこの時を待っていた。
アルミの杖は最高の武器だ。軽くて振りやすい。
花火は杖を振り下ろしながら思う。
先程も案内させた男の頭に容易くめり込んでいった。
殴りつける度、杖のビリビリとした振動が腕まで伝わってきた。だが離さない。
バキバキと骨が折れる音が響き、彼女の頬に生暖かい返り血が掛かる。
ヨタカの潰れかけた白い喉から時々悲鳴が漏れた。
—また迎えに来るよ。
花火を襲った時の言葉。その言葉を信じてずっと待っていたのだ。
病院で目が覚めたときに彼女は決意していた。
必ずやり返すと……。
足は確かに動かなかったが、リハビリをしてひと月もすると治った。
しかし足が動かない女だと思えば相手は油断して再び襲ってくると考え、彼女はそのフリをする。
片足が動かないとなれば杖を持っていても全くおかしくない。自然、花火は常に武器を持ち歩けた。
病院で足の動けない患者たちの動きを見て学んだ。杖の人はどう動くか。
リハビリを続けていれば医師の清水は治っていることに気付いてしまう、そう思って花火は、患者たちの動きを学び終えてから病院に通うのをやめた。
咄嗟の時につい動いてしまわないよう練習し、ヘイルに押された時もそのまま床に倒れ込んだ。
ヨタカが呻き声を上げる。体から血液と白い靄が出て、それが4本足の獣の姿へと形を変えた。
花火はそれも殴りつける。血の匂いが鼻腔を擽る。
背後でユッカの悲鳴が聞こえ、やっと花火は動きを止めた。
「なんで! なんで! なんで!」
「……ひめさま……」
「ひどい! ヨタカに何すんだよ! お願いだからやめて! ヨタカ……!」
「酷いのはこの男だよ……。
何もしてなかったのに、私は殴りつけられた。
絶対に許さない。
だから同じ目にあわせる」
花火はユッカの方へ一歩足を踏み出したが、その足を強く掴まれた。
ヨタカだ。
「やめ、て……。ユッカに手を出さないで」
彼は顔面から血を流し、歯は抜け地面に破片が転がっている。
左足は執拗に殴られたせいで関節とは逆方向に曲がっていた。
「何もしない。
……でも私にあんな酷いことしたくせにそんなこと言うんだ」
「ユッカだけなんだ……もう、彼女しか……側にいてくれる人はいない……。
フクシアは……死んでしまった。彼女を守らせて……?」
ヨタカの懇願する声に花火は目眩がした。
「これを見て」
彼女はスカートを捲り太腿に生える歪な鱗を見せた。
花火が抜くせいで跡が残りまるでピンク色の月面のようだった。
「今はまだ足で済んでる。でも、全身こうするつもりだったんでしょう……」
窓の外から耳障りな鳴き声がする。ヘイルの咆哮だ。
「あんな風に、私をバケモノにする気だった……。
なのに自分の大事なものに手を出すな? ふざけないでよ!」
ガンと大きな音を立て花火はヨタカの手を杖で殴った。
ふと見ると杖は大きく歪んでいた。殴り過ぎて変形していたらしい。
「おねが……い。ユッカは何も……知らないんだ。
おねがいだから……何もしないで。
なんでもする……。フクシアのような……目には……」
「うるさい!」
花火が怒鳴りつけるのと、建物が大きく揺れたのはほぼ同時のことだった。
ガラスが割れ、部屋の外から悲鳴が聞こえてきた。
ヘイルが何か壊したらしい。
「もう許して!」
ユッカが華奢な体を丸めて泣き叫ぶ。足がビリビリと痛んだ。だが倒れるわけにはいかない。
「……ユッカ……。大事な……大事な、友達なんだ……。
長い……長過ぎる……人生の中で、フクシアは、輝きだった。
明るくて……優しい子。
犬に……食われて……。アベリアが何か、策略したんだろうと……。
アベリアは……暗い子だ……。大人しくて……。
フクシアと……仲良くしようとしなかった……。嫉妬……かな。よく分からない……」
咳き込み血を吐くヨタカ。花火はその姿をじっと見つめていた。
「分からない……なんでフクシアが死んだかなんて……。
せめて、彼の大事な妹は、守らなくては……。
例え何を、犠牲にしようと」
ヨタカの目がギラつく。ユッカがうめき声を上げている。
「アベリア王子が、玉座の為に人を殺すとは思えない」
「ならなんでフクシアは死んだの? 教えてよ……。
……ラズリも同じこと言って、答えられなかった……。
いくら自分の弟子でも……あんなのと手を組んでる人のこと信じられないよ」
あんなの、とはヘイルのことだろう。
「あなたがラズリさんに呪いをかけたからでしょう」
「ラズリにかけたんじゃない、アベリアに……」
またヘイルの咆哮と建物が崩れる音がした。
多分彼はヨタカを捜しているのだ。
「ヘイル……皆殺しにする気か……。
……この僕が、操るつもりが操られていた……」
重く長い息を吐いた後、またヨタカの体から白い霧の獣が現れた。
「……それ、殺さないで。王族を守らなくては……。
約束だから……」
「約束?」
「この城に……いる理由。王族を守るためにここにいる」
血とともにそう吐き出したヨタカの瞳は疲れ切った老人のものだった。
「死んで欲しくない」
花火はユッカを見た。顔中涙で濡らし嗚咽で体が震えている。
死んで欲しくない、だから花火を人魚にして食わせようとした。
滅茶苦茶だ。花火は死んでもいいのか。
……彼の中ではそれが正しいのだ。
ユッカを守る為なら何を犠牲にしたって。
こんなイカれた老人を相手にしてなんになるというのだ。
そもそも花火の復讐は果たされている。
これ以上何かを願ったところで叶うことはない。
それよりもヘイルを止めなくては……。
このままでは祭やジェイドまでもが危なくなるだろう。
ユッカの姿を見る。花火が動くたびに体がビクビクと震えていた。
一緒に逃げようなんて言えない。
……彼女に被害が及ぶ前に早急にヘイルを止めよう。
—「周りは誰も信用できない。何か良からぬことが動き出しています。
わたくしが守る、と言いたかったのですけど、ごめんなさい。無理みたい。
自分の身は自分で。出来ることならここから逃げてください」
「逃げてと言ってくれたのに、ごめんなさい」
花火は二人に背を向け部屋から出ることにした。
部屋にはヨタカの荒い息の音と、ユッカの泣き噦る声が響いていた。
*
地響きが鳴り、城の壁に亀裂が走る。
パニックになった人々は悲鳴を上げながら走っていた。
ヘイルは本当に皆殺しにするつもりなんだろうか?
花火には最早彼が分からなかった。
窓の外を見ると真っ黒いヘイルの体に、ヨタカの使い魔が攻撃している姿が見えた。
だが竜は余りにも大きい。使い魔だけじゃダメだろう。
こうなってしまった原因は花火にある。
ユッカの前でヨタカを殴りつけたのだ。恐怖が増大し、ヘイルはそれにより益々強大になった。
力に酔って正気を失っているんだろうか……。
花火が止めなくては、責任を取れない。
方向音痴とはいえ人が流れている方向に走れば良いとは分かる。彼女は人の流れに身を任せて走り出した。
まず、ラズリかジェイドを見つけよう。そうでないと竜に近づくことすらままならない。
ジェイドなら祭と一緒にいるかもしれない。
何かにつけてトラブルに巻き込まれ怪我をしている祭は一番心配だ……いっそ、魔法を使って日本に戻っていればいいのだが。
「花火さん!」
廊下に響き渡る、彼女を呼ぶ声。
驚いてそちらに顔を向けるとアベリアの姿があった。
「王子!」
人の波をかき分け彼の側に寄る。
さすがの彼も、いつもの威厳のある雰囲気は無く焦っている様子だ。
「ブルーストームは?」
「……分かりません」
竜になったとは言えない。アベリアが死ぬかもしれないから。
花火は首を振った。
「護衛の意味が無いな。
……足が動くようになったのですね、良かった。
早く避難してください。竜が現れて城を荒らしているのです」
「どこに行けば」
「……そうでしたね。一緒に行きましょうか」
彼は花火の方向音痴っぷりを覚えていたらしい。
だが王族に案内なんてさせて良いのだろうか?
「私なんぞ大丈夫ですから……」
「……あなたはユッカの友人なのでしょう?
何かあったら彼女が悲しみます」
喧騒の中だというのに彼の声は花火の耳にハッキリと届く。
思わぬ言葉に花火は息を飲んだ。
ユッカはあれだけ怯えていたが……やはりこの人は。
「……姫のことを恨んでないんですか?」
「恨む? なぜ」
「だって、彼女は玉座を争うライバルでしょう?」
アベリアは目を瞬かせた後、落ち着いた声でこう言った。
「妹も、そして弟も好敵手などではありません。家族です。
私は覚悟の出来ていない家族にこの重荷を背負わせるほどの鬼畜ではありませんよ」
彼の表情は、当たり前のことを言っているというようで、作られたものではなかった。
アベリアは本気でユッカのことを想っているのだ……。
また気味の悪い咆哮が響いた。ヘイルだ。また何か壊しているのかもしれない。
彼があんな姿になる必要も、花火が人魚になる必要も、ラズリが犬になる必要も無い。
全ては誤解なのに。
花火は遣る瀬無い気持ちになった。
「立ち止まらないで。
お姉さんの所に行きましょう。きっと彼女も避難してますから」
「……ユッカ姫の所に行ってください」
「……いえ。私じゃ……。
ヨタカがいるから大丈夫でしょう」
「大丈夫じゃないです」
花火が杖で再起不能になるほど殴り付けたのだ。
大丈夫なんかではない。
それに花火は、アベリアにユッカを助けてもらいたかった。
アベリアの慈愛に触れればユッカの恐怖も収まるはずだ。
「花火さん?」
「すぐに、お願いです。ヨタカさんは今動けません」
「何故あなたはそんなことを知っているのですか……」
アベリアが不審そうに彼女を見下ろした。
それに答える前に腕を引かれた。
「ラズリさん!」
アベリアが慌てた声を上げる。
この二人が揃っているところを見るのは初めてだ……。
「良かった。お二人とも無事ですね?」
彼女は乱れた赤い髪をかきあげ大きく息を吐いた。
「ええ、なんとか」
「全く、なんでこんなことになっているんだか」
苛立った様子で窓を睨むラズリ。
……彼女の耳がまた、犬の耳になってきている。
「私はあの竜をなんとかしてきます」
「ら、ラズリさん、耳が」
「……お気になさらず。
こちらに」
彼女は二人を先導するように、人々の流れから離れたところへと歩き出す。
花火は怪訝に思いながらもその後を歩いた。
……アベリア王子の前で犬になったらまずいんじゃ……。
花火はチラチラとアベリアの様子を伺う。
彼は気まずそうに目を伏せていた。
「このあたりなら良いでしょう。
それで、何があったんです。あなたが何かしたんでしょう?」
人気のないところに離れた途端、ラズリが花火を睨みつけた。
呪いのことを話して良いのだろうか……。いや、良くはないだろう。
彼女は言葉を濁しながらそれでもなんとか伝えようとする。
「よ、ヨタカさんを……私がその、再起不能にしまして」
「は?」
アベリアが目を見開いている。
それはそうだろう。いきなりなんの話だと戸惑っているに違いない。
「暴力に訴える前に話をすると言ったはずですよ。
……全く。足が動いているのは、最初から動かせてたってことですか?」
「そうです」
「ハア、おかしいと思ってたんです。
呪いは変化するときの痛みは伴いますが、動かなくなるようなことはないだろうと。
ヨタカに怪我させられたせいかとも思いましたが、あの人にそこまでの力があると思えなかったし……」
「犯人を油断させるために嘘をついていました。
すみませんでした……」
家族にも、ジェイドたちにも、嘘をつくことは申し訳なかった。
こちらを気遣う振る舞いをされるたび「そんなことしないでいい」と言いたくなった。
だがそんなことすればきっと犯人を取り逃がす……犯人への復讐を考えれば、自分が後でいくら責められようと構わない。
それだけ犯人が、ヨタカが憎かったのだ。
「あなたもヘイルも身勝手すぎる。他の人の心を少しも考えていない。
でも……元はと言えば先生のせいなんでしょうね」
ラズリの瞳が一瞬、悲しげに瞬いた。
だがすぐに普段の凛々しい顔になると「このことは後にしましょう」と手を叩く。
「……あの竜をどう止めるのですか?」
アベリアは花火の足に関しては何も言わないことにしたらしい。
目下、ヘイルという最大の危険が迫っているからだ。
「その為にあなたを探していたんですよ」
「どういう意味」
彼が言葉を言い終える前に、ラズリはアベリアの手を強く引いた。
髪が短くなり、犬のフワフワとした毛に変化している。
そして、彼女はアベリアに口付けをした。
途端にラズリの体は大きな白い光に包まれた。
光の眩しさに花火は目を瞑る。
やがて光は弱まっていき、薄っすらと目を開けると巨大な犬が立っていた。
「……ラズリさん?」
恐る恐る名前を呼ぶとラズリは返事をするように「ワン!」と鳴く。
「ど、どういうことですか? なんでキスしたら犬になってるんです……」
アベリアの方を見ると彼は顔を赤くして口元を押さえていた。
思わぬ可愛い表情と、呪いを知ったのに何事も無いこと、そしてラズリの今までの行動を思い出し花火は気がつく。
ヘイルの呪いは、ユッカの恐怖心だ。
花火の呪いもまた、ユッカの死にたくないという感情。
だから、ラズリもユッカの感情で変化していくのだと思っていた。
だが違う……。
「……アベリア王子の気持ちが、ラズリさんを犬にするんですか……?」
正解、というようにラズリがまた鳴いた。
横に立つアベリアは、羞恥心からだろうか、絶対にこちらを見ようとしない。
「……割としょっちゅう犬になってましたよね……」
ラズリが鼻を鳴らす。
そして尻尾を一振りすると駆け出した。
ヘイルを止めに行くのだ。
花火は呆然と人の群れに飛び込んで行く犬の後ろ姿を見送った。
「ラズリさんのこと大好きなんですね……」
ポツリと言葉を漏らすと、アベリアが酷く沈んだ声で「まあ……」と答えた。
花火に気持ちを知られたのは相当嫌だったのだろう。
彼女だって別に知りたくはなかったのだが……。
「でも、何故犬なんですか?」
呪いというには可愛い生き物だ。
少なくとも今大暴れしているヘイルや、醜い鱗の生える花火とは毛色が違うように感じる。
「……愛する人が私の忌み嫌うものになるという呪いですから」
そういえばフクシア王子は犬に食い殺されて死んだのだった。
花火の脳裏にそんなことが過ぎる。
この人は想像していたよりもずっと愛情深い人なんだろう。
「……ユッカ姫のこと助けてあげてください。
私が助けに行っても怖がられるだけでしょうから。
ごめんなさい……」
アベリアは花火を睨みつけも呆れた顔もしなかった。
むしろ心配そうな顔をしている。
……花火すらも、心配してくれるなんて。
「人の流れに乗って、左側に行くんですよ」
花火は頷いた。今度は間違わない。




