12場「怯えないで、俺のこと怖がらないで」
「やっぱり、あの時呪われたんだ……」
涙が1つ溢れる。
「……ここに来るまで、ただの頭のおかしい人が私を殴ったんだって……思ってた」
ヘイルが慰めるように花火の背中を撫でた。
「間違ってないよ。頭のおかしい人が君を殴った。
……でもその頭のおかしい人には目的があった。
ユッカ姫を不老不死にすること」
「……辛かったでしょうね。お可哀想に……。
しかし何故ヨタカはわざわざあなたを狙ったのか分かりますか?」
ラズリの問いに花火は首を横に振る。
それから思い当たるものに気が付いた。
「あ、姉が……聖女だから?」
ジェイドが確かそのようなことを言っていた。
それに花火自身、祭の面倒に巻き込まれることは少なくない。今回も今の今までそうだろうと思っていた。
「それは関係ないよ。君が呪われてから聖女様が来たんだから」
言われて花火は頬が熱くなる。
そういえばそうだ。なんで指摘されるまで気付かなかったのだろう。
「……多分、異世界の人間であれば誰でも良かったんだ」
「ヨタカに何か聞いたのか?」
「私はよく分からないのですが……魔力の無い人が良いとかどうとか言っていたので」
「なるほどな。
偶然……歩いていた彼女を狙ったのか」
その言葉に花火の目からまた涙が溢れた。
偶々だった。ただ歩いていただけだったのに。
私じゃなくても良かったのになんで。
「泣かないで……。大丈夫だよ、ここにいれば安全だからね」
涙を拭うヘイルの体をラズリが乱暴な仕草で退かす。
「引っ付くな。見苦しい。
花火さん、あなたはこの事を誰かに言いましたか?」
「誰にも、言えなかった」
「そうですか……。それは良かった。
危ないところでしたね」
「何が……?」
「ヨタカに言われたでしょう。言えば聞いた人が死ぬと」
花火は頷く。
だがそんなの単なる脅しだと思っていた。
彼女のその考えを読み取ったように、ヘイルが薄い笑みを浮かべる。
「脅しじゃないよ。脅しだと思うよね」
「……本当に死ぬの……」
「そう。だから兄は死んだ」
ギョッとなり花火はヘイルの顔を見つめた。
「兄に呪いのことを話したらそのまま。
流石……有言実行というかなんというか」
彼は悲しげではなく、むしろ面白そうな声音を出す。
「この呪いのせいで私たちは、同じように呪いをかけられたもの同士としかこの話を出来ません。
呪いをかけられたその現場にいれば別ですが……」
「どこまで話せるんですか」
「ヨタカに呪われたって言ったらもうダメかな……。
異形の姿になるということがバレたらどうなるのか、相手が勝手に気が付いたらどうなるのか……そこまでは知らないけど」
ふと、ジェイドが事故の話を聞いてきた時ヘイルが水差しの水を掛けようとしていたのを思い出した。
—「いや、謝ることじゃ……。
って、ヘイル? なんで俺に水を掛けようとしているの?」
—見ると、ヘイルは何故か水差しをジェイドの方へ構えていた。
—「なんとなく腹が立って。
ジェイドさんって行動遅いですよね。
ゴチャゴチャ言ってないで早く治してあげたらどうなんです」
あの時はとんだ揶揄いがあるものだと思っていたが、あれはジェイドや祭を呪いから守るための行動だったのだ。
もう少しで2人を殺してしまうところだった……?
花火は拳を握り締める。
自分はとんでもないことに巻き込まれているのだ……。
「じゃあ、私たち以外でこのことを知っている人はいないってこと……ですよね」
「そうです。
呪いがどの程度か分からない以上、情報を他の人と共有することも出来ず……。
こんな呪いさえ無ければもっとスマートにあなたを守れたんですけれど」
ラズリは思案顔で花火を見つめる。花火も見つめ返した。
全ての元凶はヨタカだ。彼は何故こんな凶行を続けるのか。
彼女の疑問に答えるようにラズリが言葉を続ける。
「ヨタカは、フクシア王子の死によって周囲を恨んでいるのです。
フクシア王子が死んだのはアベリア王子や周りの人たちのせいだと。
そして王子が大事にしていた妹だけは守らなくてはと躍起にもなっている。
その結果がこれ」
「ヨタカが危険な理由が分かった?
ごめんね、説明出来なくて。周りで誰か聞いていたらその人が死んでしまうし、そもそも君がどこまで信じてくれるかわからなかったから慎重に動かざるを得なかった。
俺としては君を見つけ次第すぐに保護したかったんだけど、ラズリさんはヨタカをどうにかする方が先決だって言うからさ……」
ヘイルが花火の方に手を伸ばすが、その手をラズリがはたき落とした。
そんな2人の行動には気付かぬ花火は別のことに気が付く。
この世界に来た当初、ヘイルが彼女をすぐにどこかに連れて行こうとしたのは保護するためか。
そうなると別の疑問が浮かぶ。
「……どうして私が、呪われてるって分かったの」
「そうだなあ……。
君を見た時すぐに向こう側の人だって分かったんだよ。
服が聖女様と同じだったから。
異世界の人間がこっちに無事に来られるのはヨタカによるものだろうと思った」
実際のところは祭によるものだったわけだが彼の読みは大きく外れていなかった。
「だから私を保護しようとした……。
なら、お姉ちゃんの時は? お姉ちゃんが呪われてるとは思わなかったの?」
「……うーん……と、思わなかったというより……俺は彼女が現れた時その場にいなかった。
ただ穴をコントロール出来るって聞いて、そんなことが出来るなら魔力がある、つまりヨタカの望む人ではないと分かったから違うんだろうなと」
そういうことか。花火は頷いた。
しかし……何故姉は、魔法なんてものが使えるのだろう……。
そんな彼女の疑問に気付かぬラズリは、不安げに揺れる茶色の瞳を覗き込んだ。
「あなたにはここに居て頂きたい。ここは私が研究室と称して勝手に使っている秘密の部屋で、まず見つからない結界があります。ここにいてくだされば暫くの間は無事でしょう。
近日中にヨタカをどうにかします。
呪いの時間が迫っている。あなたが成ってしまうのも時間の問題です」
「……成る、って」
「あなたが人魚に成ってしまうこと。
一度成っても、元には戻れます。でも痕が残るんですよ……」
「ああだから」
ヘイルの舌は二股に分かれていたのか。
彼の顔を見ると、ヘイルは笑いながら舌を見せてきた。
先程の熱いキスを思い出し花火は顔が赤くなる。
「……他の部分は後でじっくり堪能してもらおうかな」
「は?」
「ラズリさんはどこに痕が残ってるんですっけ?」
彼女は軽くヘイルを睨みながら答える。
「嗅覚が良くなった。大きな変化はそれくらいだ。
私は魔法で直せるから大して変化は残らない」
その言葉に、花火はふとジェイドとラズリのやり取りを思い出した。
—「よく言う。お風呂ちゃんと入っているのか?
臭う」
—「嘘だよ!? 毎日入ってる!」
—「いや埃臭い。全身から漂ってる」
花火はジェイドから臭いなど感じなかったのだが、なるほど、ラズリの犬の嗅覚だと気になったのだろう。
「流石ですよ。
私も直せたら良いんですが……まあでも、花火は気に入ってくれたようだしこのままでも良いかな……」
「は?」
「あの……いつもいきなり足が痛むんです。
何が原因なんですか?」
花火の質問にラズリは僅かに眉をしかめた。横にいるヘイルも。
「……私達にかけられた異形の呪いは誰かの感情によって起こります。
誰かが何か強く思えば、他の誰かの姿を変える……」
「そして、花火の呪いはユッカ姫の感情によるものだ」
「ユッカ姫の?」
どうして彼女の名前が? 花火は首を傾げた。
「ヨタカは姫のことを不死にしたい。それは……ヨタカ自身の願いも多少あるかもしれないけれど何より姫が死を恐れているからなんだよ。
彼女が死を恐れるほど花火が人魚に成っていく」
「……だからアベリア王子を見た時……あんなに足が痛くなった……」
花火はユッカ姫の部屋に訪れた時のことを思い出す。
アベリア王子を見たユッカ姫の動揺は尋常ではなかった。
きっと王子を心の底から恐れているのだ……そしてその恐れは死への恐れへとすり替わる。
思い返せば初めてユッカ姫に会った時も彼女の様子がおかしくなって足が痛み出したではないか。
「俺は姫様が身の危険を感じると姿が竜に変わる」
「……ああ……」
身の危険を感じるのと死への恐怖を感じるのは近しいものだ。
だからここに連れて来られる前、花火の足が痛んでいる時にヘイルの姿も変わったのだ……。
「ラズリさんは……?」
「ああ、ラズリさんは」
「私のことは今は良いでしょう。
取り敢えず、あなたの状況は分かりましたか?」
ラズリの質問に花火は「だいたいは」と答えた。
疑問はまだまだ湧き出ているが、何から聞けば良いのかわからない。少し冷静になる時間が必要だ。
「また来ます……。少しの間ここにいてください」
「おや、どちらに?」
「ここに長居していると怪しまれる。
王子の元へ一度顔を出さないと」
「犬になるのに……?」
「それでもだよ。
彼女のことは頼んだ……おかしなことをしたら死ぬと思え」
「はいはい」
ラズリは鼻を鳴らし、花火に一礼するとベッドからは見えない奥へと行ってしまった。
向こう側に出入口があるらしい。
ラズリがいなくなった途端ヘイルは花火に抱き着いた。
「ウギャ!!」
「分からないことが多くて不安だったよね。ごめん。
でももう大丈夫だよ。呪いは解ける」
そう言ってヘイルは花火にキスをした。
優しく甘い……愛する人にするようなキスだ。
「……何を」
「大丈夫だ。俺が君を守るよ」
「へ、イル! ちょっと」
「どうかしたの?」
「変なことしないって……」
「恋人同士の触れ合いは変なことじゃないよ」
彼の唇が花火の白い首筋に触れる。
それだけで背筋が震えた。
花火の反応に気を良くしたのかヘイルは、細い腰骨をなぞり始めた。それにまた花火は震える。
なんでこんな過剰に反応してしまうのだろう。
そんな疑問もヘイルの僅かな指先の動きで消えてしまう。
思考が霧散していく。
怖い。
思考がまとまらないのが、ヘイルの指先が、唇が、怖い。
「やめて、止めて。怖い」
「花火?」
「怖い、お願いです。やめてください」
「あっ、ご、ごめん。ごめんね」
サッとヘイルは花火から離れた。
ホッと息を吐く花火。背筋の震えが止まる。
「ごめん、調子に乗った……。
嫌だったね。ごめんね……ごめん……」
彼は必死に謝り、伺うように花火の顔を覗き込んだ。
花火にあったのは嫌悪感ではない。恐怖だ。
触れられることは、嫌ではなかった。
怖かったのは触れられた後の異様な感覚だ。
快楽でない……思考がまとまらなくなり、考えようとすればするほど泥沼の中でもがいているように沈んでいく感覚。
あれは一体……。
「……怖かった?」
ヘイルの瞳は不安げだ。
先程までの強気な姿勢はどこへ行ったのだろう。
「……もう、大丈夫……」
「ごめん。……花火に嫌われたくないんだ……。
怯えないで、俺のこと怖がらないで」
縋るような彼の言葉に花火は頷いていた。
微かに震えながらもそっと彼の手を握る。冷えた手だった。
「花火……。
君は本当に……」
冷たい指が花火の手を握り返す。
彼はその手を持ち上げると、花火の白い手の甲にキスを落とした。
「好きだよ」
またヘイルは花火を抱きしめた。今度は優しく、花火のことを気遣うように。
不思議と花火の中から恐怖感は消えていた。
思考がまとまらない異様な感覚はあるが、だがそれに恐怖を感じてはいない。
それよりもヘイルの温度が嬉しかった。
「もう怖くない?」
花火は返事の代わりに彼の背中に手を回した。
「早く、諸々片付けなきゃいけないね」
囁きながら彼は花火の背中を摩る。
何を片付けるんだろう……。僅かに気になったが、思考は霧散し疑問は温かな水底へと沈んでいった。




