10場「……何が起こってるの……」
自室の椅子に腰掛けボンヤリとしているとヘイルが部屋に入って来た。
何故かジャケットを脱いでいる、シャツだけの格好だ。
「元気がありませんね」
「そうですか?」
「沈んだ顔をしている」
彼の手が花火の顎を優しく持ち上げた。
当たり前のようなその仕草に花火は顔を赤くする。
「……姉と少し……」
「喧嘩ですか?」
「いえ。私が一方的に妬んでいるだけです。
……そうです。姉は何も悪くない。本当の原因は姉じゃなくて私が……。
事件に巻き込まれたせいです」
そう言ってから彼女は、ヘイルに全て話してしまおうか、という気持ちに駆られた。
この人なら花火の苦しみを分かってくれるかもしれない。
しかし、彼女はそれ以上話を続けなかった。
勇気が出なかった。もし、ヘイルにまで哀れまれたら……花火が可哀想じゃなくなる居場所が無くなってしまう。
「疲れているせいも、ありますね」
「そういえば迷子になられたとか……」
「う……。いや、覚えていたはずなんですよ?
ただ気が付いたら逆方向に行っていたみたいで」
花火が言い訳を終えるよりも前に、ヘイルが彼女の顔を覗き込んだ。
「……ヨタカに会いませんでしたか?」
「……いえ……。アベリア王子には会いました……」
「ああ。そうですか……随分と迷い込んでいたようで」
「何故ヨタカという方に会ってはいけないのですか?」
今まで幾度となくして、はぐらかされてきた質問だ。
しかし今回ばかりは逃すわけにはいかない。
花火はヘイルの手をしっかり掴む。
「教えてください……。何故なんです」
「それは……。
私の口からは教えられません」
「あの人は不老不死だって聞きました。そのせいですか? それで、呆けているから?」
「……彼は不老不死に狂わされているんです」
ヘイルは自身を掴む花火の手を掴み返した。
愛おしげに彼女の頬を撫でる。
「あの男からあなたを守りますよ。
……仕事としてではなく、あなたを愛する者として」
ヘイルの唇が花火のおでこに触れた。
彼女は自分が彼から求められていたことを思い出し、鎖骨まで赤くする。
ああでも。花火はギュッと苦しげに目を瞑った。
「わ、わたしは。でも、ごめんなさい。私は日本に帰らないといけないから。
あなたに凄く……惹かれています。あなたは私を哀れまないし、肯定してくれる。
物語の王子様みたいな人だから。
でも私はここにはいられない……」
これが花火の結論だった。
ヘイルと恋人同士になれたら、それは素晴らしいことだろう。
だが彼女の居場所はここではないどこかなのだ。
「なるほど……」
彼女の苦悩の返答を聞いたヘイルは1つ頷いた。
「それは残念ですが……仕方ありません。
あなたの意思で来て欲しかったですよ」
「え?」
どういう意味? と花火が聞く前にヘイルは彼女の顎を掴むと深い口付けをした。
以前されたような優しいものではない。
柔らかな舌が、花火の口腔内に入ってくる。
ヘイルの舌はまるで別の生き物かのように暴れ回り絡み付き、花火の思考を奪っていく。
体はあっという間に溶けていた。椅子ではなく、ヘイルの体に寄り掛かっている状態だ。
弱々しく跳ねる腰をヘイルは優しく撫でている。
それは宥めるようなものではなくむしろ煽るような触れ方だ。
頭が溶ける。
花火が霞む視界の中そう思った時、1つの違和感に気が付いた。
舌が、挟まれている?
ぎゅうと挟まれ撫でられる花火の舌。
霧散していた思考がまとまっていく。
ヘイルの舌はどうなっている……?
その問いに答えるかのように、ヘイルの唇が離れていく。
ハ、と熱い息を零しながら彼は色っぽく微笑み舌を出した。
彼の舌は二股に分かれていた。
まるで蛇の舌のように。
何故……。
花火が何か言おうと口を開く。
だがその唇から溢れたのは悲鳴だった。
痛みだ。
また例の痛みが襲って来たのだ。
「花火さん……」
皮膚を突き破る痛み。
また鱗が生えて来ている。しかもいつもよりも痛みの範囲が広い。
どうしてこんなことに。花火は半ばパニックになりながらヘイルの手を握った。
「いつもより激しいですね」
「……なんて……?」
「姫のアベリア王子への恐怖は愚かしいですが、こうなると脅威ですね」
何を言っている?
花火は顔を上げた……そして、また悲鳴が出た。
ヘイルの額か二対のツノが生えていたのだ。
ほんの数秒前までなかったのに。
「ヘイルさん……!?」
「何回か成ると痛みは消えます。体がその形になることに慣れるんです。
でも……成らせるわけにはいかない」
彼はそう言って、花火のスカートを捲り上げた。
必死で抵抗するが先程されたことのせいで力の入らない花火の抵抗はまるで無駄だった。
左足にビッシリと生えた鱗が灯りに照らされる。
ヘイルは鱗をそっと撫でた。
「思っていたよりも進みが早い」
「やめて、見ないで」
「申し訳ない。でもどれくらい進んでしまったか把握しないと」
「そんなの知らない。やめてよ。
私は何もしてない……。見ないでってば!」
花火は必死に体を捩り、手のひらでヘイルの顔を覆おうとした。
彼はその腕を掴みあっさり封じ込めてしまう。
「暴れないで。
これは呪いのせいだ。あなたは何も悪くない。
痛みはもう無いね?」
彼は花火のスカートを戻し、顔を近づけた。
深く息を吐き花火は頷く。
長いツノが目に入った。黒く歪んだ大きなツノだ。
「……何が起こってるの……」
ヘイルは呪いに関して知っている? 涙で濡れた瞳が見開かれた。
「知りたいよね。俺も教えてあげたい……。
ただここは危険だから安全な場所に行かないと」
弱々しく震える花火の体をヘイルは軽々持ち上げた。
そして首にかかる赤い石のペンダントとポーチを忌々しそうに外す。
「他の男の物は置いて行こうね」
「どこ行くの?」
「ひとまず……この城の中で安全な場所」
彼が笑う、その背中には巨大な翼があった。
翼竜のような大きな翼が。
今のヘイルの姿は悪魔によく似ている。
「大丈夫。俺が守るよ……愛してる」
呆然としている花火にヘイルはまた口付けを落とした。
その行動に彼女は戸惑う。
「……あなたとは付き合えないって言った」
「そうだね。残念だよ。自分の意思で俺を選んで欲しかった……。
でも意思は関係無い」
「……関係無いって……」
「俺の物にすると決めたんだ」
花火の混乱はピークに達した。
ヨタカのこと、自分の身に起こっていること、ヘイルの身に起こっていること、そして彼の言っていること。
全てが理解不能だ。
「私の話聞いてくれないの? 私は……ここにはいられないから、帰るから、あなたとは付き合えない。
恋人同士にはなれないよ」
「諦めるのが早いか遅いかの違いだよ。
今、ここで諦めて恋人になるか、50年後諦めて恋人になるか……年数は違えど結果は同じ。
なら早くに恋人同士になって幸せになるべきじゃない?」
何を言っているのだ。
花火は何度も口を開閉させる。息が浅くなる。
「だから私は、日本に帰るんだって……」
「日本に帰りたいんじゃなくて、お姉さんのいないところに行きたいだけなんじゃない」
「ちが……う」
「どうかな。君は随分彼女にコンプレックスを抱いている。
まあ……周りはお姉さんの方を持て囃すからそうなるのも無理はないか。輝く太陽に人は惹かれるものだし。
……けど俺は偽物の太陽なんていらない」
ヘイルの手が花火の顔を覆う。
彼女は自分が魔法にかけられているのだと気付き手足を振って抵抗したが、やはりそれは無駄に終わった。
ヘイルが手を外すと花火の体から力が抜けていく。
「俺は君が欲しいんだ」
意識の薄れていく花火の頭をヘイルが優しく撫でた。




