1場「ようこそ異世界へ」
いえ、あんなものは愛ではありませんね。輝かしいものに対する醜く歪んだ執着心です。
そんなもののために私たちはこんな目に合わないといけないのですか。
*
姉の須々木 祭が帰って来た時の音が聞こえて、花火は顔を顰めた。
姉に何か言われる前に部屋に隠れよう。
だがそんな彼女の姿を祭は目敏く見つけると「コラ!」と呼び止めた。
「あんた、オープンキャンパスでもなんでも行って来なよ」
猫のような魅惑的な瞳は怒りで更に吊りあがっている。
祭は茶髪、耳にいくつも空いたピアスホール、下地で差が付くマイナス五歳肌な完璧な化粧をした所謂ギャル系の美人だ。
「いきなり何ですかアネキ」
対照的に花火は良く言えばナチュラルな五分メイクに、適当に括った黒髪ポニーテール姿だ。
彼女はチラリと姉の華やかな顔を見る。ここまで似てないとDNAすら恨んでしまう。
「可哀想だとは思うけどさ、ちょっと外に出ないと……。
腕太くなってきてる」
ギョッとなって花火は自分の姿を見た。
確かに杖を使うようになってから外には出歩かなくなった。
二の腕のあたりが太くなってきている。
「……っていうかお姉ちゃんここ最近はどこ行ってたの?」
大学生の祭は、大学生だからかいつもどこかしらに旅行に行っては「疲れた疲れたー!」と言いながら帰って来る。二年生になった今年から特に凄い。大学生が遊んでばかりいるというのは本当らしいと花火は思う。
どこ行ってたの、お土産は、と聞くとセンスの無いペンダントを渡された。
楕円形のデザインで、金の金具に赤い透明の石が付いている。小学生が喜びそうだ。
首からICカードを下げるのにちょうど良かったので使うことにしているが、会う人会う人皆失笑する。
「あんたのそのペンダントくれた人に会いに」
「えっ、人から貰ったもの私に寄越したの?」
「いーのいーの。
……ねえ花火さ、足動きそうにないの?」
祭の視線が花火の杖に移る。それに気が付き彼女は居心地悪そうに手を動かした。
「リハビリ行ってるけどね」
今年の2月、大学入試3日前のことだった。
彼女は事件に巻き込まれ左足を骨折した。
その時に神経もやられてしまったらしく彼女は足に力が入らなくなってしまった。
入試試験どころではない。
受験は出来ぬまま高校を卒業する。家族は大学受験を推奨しているので一応はそのつもりだが、足のことを考えると遠い所にある今の志望校を諦めざるを得ないだろう。
また志望校を探し、勉強する日々。
それは花火にとって多大な負担だった。
そのことを姉の祭は気が付いているらしい。
最近は、思案顔で花火の杖を見つめていることが多々あった。
「足治したいよね」
祭がポツリと呟く。妹は当たり前だろというように食い気味に返事をした。
「治るならね」
「そうだよね、治したいもんね」
そうだそうだ、と何度も頷きながら手を叩く祭。
なんのことだ、と花火は姉を睨む。だが彼女は視線に気が付きはしなかった。
「よし。じゃあ行こう」
「はあ? 今日リハビリの日じゃ無いけど?」
「違うよ。
そのペンダントくれた人のところ」
「何言ってんの?」
「いーから。
私明日からディズニーでミラコスタるからさ、先行っててくんない?
祭の知り合いですって言えばなんとかなるからねー」
何言ってるんだこの姉は。花火が呆れた顔をしていると祭は妹の背中を押した。
「じゃ、楽しんでー」
え、と声を出す間も無く花火は落下していた。
落下? ここ家なのに?
*
気が付くと花火は絢爛豪華な城の中にいた。
華美なドレスを着た女性たちや、ハリのあるスーツを着た男性たちが唖然としてこちらを見ている。
全員見るからに外国人だ。何故……。
「え……」
夢か? ゆっくりと花火は立ち上がる。
だがその体を捕らえられた。
緑色の目をした冷たい顔の異国の男だ。
銀ボタンの黒いかっちりとした衣服からして警備隊か何かか。帽子の下に黒い髪が見えた。
花火とそう歳は変わらなく見えるが鋭い目つきには隙がない。
彼は口を開いて花火に何か言ってくるが、花火には理解できない言葉だった。
「あ、アイキャントスピークイングリッシュ……」
男は意味を理解しようとしたのだろう。黙って花火を見つめていたが、同じく理解できなかったようで彼女の腕を引いていく。
「うぇ、ウェイト!! プリーズ!」
彼は首を振るだけだ。
花火の発音が酷くて理解してもらえないのか、それとも英語が通じないのか……。
「ロイヤー!! アイムジャパニーズ!!」
外国で警察に捕まった際に言うといいと聞いたので花火は叫ぶが男が僅かに眉をしかめただけだった。
仕方ない。ここは大人しくこの男について行こう……。花火は諦めて杖をついて歩き出した。
ここがアメリカならこの男がミランダ警告を読み上げてないことでなんとか逃れられるだろうが、果たしてここはアメリカなのだろうか。
*
10分ほどで連れて来られたのは殺風景な部屋だった。
床、壁、木の机と椅子しかない。
男は花火をその部屋に入るように腕で指示した。
それと同時にまた別の男が現れた。白い長い髪を後ろに結んでいる。歳は花火より年下かもしれない。男というよりはまだ少年のようだった。
その彼が口を開く。思っていたよりも低い声だったがなんと言ったかはやはり分からなかった。
花火を連れている男は何か返事をしていたが、やがて怒ったように何かを言いながら乱暴に彼女の体を押した。
不意にされた行動に花火は大きくよろける。急にされた仕打ちに唖然とした。
男はそのまま何か言いながら花火を立ち上がらせ部屋に入れる。
なんでこんなことされたのか分からない花火は呆然としていたが、ふと脳裏に浮かんだ光景に脂汗が浮かんできた。
体に走った衝撃と汗と涙で歪む視界。汚れたコンクリートに流れる血。
花火は杖をぎゅーっと握りしめる。
心臓がバクバクいっていた。足が痛む。
悲しくないのに目頭が熱くなった。
その時突然、ドタドタとした足音と共に誰かが駆け込んで来た。
これまた男で、30くらいだろうか。赤毛に薄水色の瞳。やはり西洋的だ。
彼は花火の顔をしげしげと見たあと、警備の男に何か訴えかけ始めた。
だが交渉は決裂したのか赤毛の男は鼻を鳴らしながらズカズカと花火に近付いてくる。
先程のことを思い出して彼女は距離を取ろうとするがそれより早く腕を掴まれた。
「マツリ」
「……えっ……」
男の指がペンダントを指差す。
「マツリ」
……ああそうか。花火はハアと息を吐く。
そもそも祭に、自分の知り合いですと言えと言われていたではないか。
「……祭の知り合いです……」
花火が泣きながらそう言うと赤毛の男はウンウン頷いて花火の肩を叩いた。
「嫌な目に遭わせたね」
「……ん……? え……?」
いきなり日本語で話している……。
花火が警戒しながら男を見ると「言葉わかる? 魔法使ったんだよ」と言ってきた。
「……魔法?」
「ハハ。祭ちゃんも同じ反応してた……。
俺はジェイド。祭ちゃんの知り合い。
君、妹の花火、だろ? 祭ちゃんから少し聞いたことある」
「そうです。そう……。私、いきなりここに」
「だ、だよね。
祭ちゃんが連絡もなしに連れて来るもんだから気が付かなかった」
ジェイドがハハハと笑う。
祭のやることに巻き込まれ迷惑を被るのはいつものことだがここまでのことをされたのは初めてだ。
花火は小さく「ここはなんなんですか」と尋ねた。
「ここは……異世界かな」
「……異世界……?」
まさかそれって、パンズラビリンスみたいなこと?
花火は唖然とした。
異世界に何故姉が……。
「ようこそ異世界へ」
そう言って両手を広げたジェイドの背中を、警備の男が小突いた。
「さっきから何勝手なことを」
「勝手なことをしたのはそっちじゃないか」
「不審者を捕らえるのが勝手なことだというのですか?」
「見るからに祭ちゃんの知り合いだって分かるのに、こんなところに連れて来たそっちがおかしいと思うけど」
男はジェイドを睨みつけながら黙る。
花火はそっと睨む男から距離を取った。
ピリピリしているようだし近付きたくない。
「そういうことだから姫様に言っておいてよ。おかしなことするなって」
ジェイドは行こうか、と花火の肩を叩いた。
彼女はやっとの思いで杖をつきジェイドの後を歩く。
男の横を通る時筋肉が硬直したが彼は何も言わなかった。
*
日本とは全く別の次元に世界。ここは正にファンタジーというのに相応しい剣と魔法の世界だ。
その中の小国、サマー国は何百年もの間、突如として「異次元の穴」が空いてしまうという現象に悩まされていた。
この穴にうっかり落ちてしまうと異次元へ行ってしまい二度と戻って来られないと言われていた。
だが1ヶ月前のある日、異次元の穴から出てきた女がいた。彼女はただ呆然と立っていたらしい。
それが祭だった。
サマー国の者は皆それはそれは驚いたらしい。
生きた人間が行き来できるとは思わなかったのだ。
祭の登場と同時に異次元の穴の出現率は大幅に減り、異次元間の移動のコントロールが可能となったそうだ。
祭はサマー国の人々にとってスーパーヒーローとなった。
「それで今も祭ちゃんにはたまに仕事を手伝ってもらってるんだよね……雑用で申し訳ないけど助かってるんだ」
ジェイドがニコニコしながらお茶を飲む。
彼は異次元の穴の研究者であり、祭の身元保証人のようなものらしい。
二人は広い客室で向かい合ってお茶を飲んでいた。
花火は姉がそんな事に巻き込まれていたことに驚きを隠せなかった。
しかし祭の数奇な運命を思えばあり得ない話でもない。
姉は昔から危険なことに首を突っ込んではヘラヘラ笑いながら事態を収めてしまう。
地元で暴れるヤンキー集団をまとめ上げ、ヤクザまがいの男たちから商店街を救い、不良高校生に誘拐された友人を救いに行った。
彼女は物語の主人公のようなことをやってのけるのだ。
「……大丈夫? いきなりあんな所に連れてかれて怖かったでしょう。可哀想に……」
あんな所とは……やはり牢屋に入れられそうになっていたのだろう。
花火が大丈夫ですと言うとジェイドは優しく微笑んだ。
「アイツは姫様側だし、ヨタカの命令を聞いてるだけだろうけど……。何考えてるんだかなあ。
そもそもなんで姫もアイツを任命したのか……」
彼はぐちぐちと何か呟いている。
その1つの単語に引っかかりを覚える。
姫様……? 花火は首を傾げる。
姫?
「ここはどこなんですか?」
「城だね」
「……城って……まさか王と鳥の城みたいに仕掛けや罠が大量にあって意に沿わない者を捕らえる、みたいな……。そんな、やめてください」
「どうしてそう思ったの!? 違うよ!
普通の城。城で普通ってよくわかんないけど。
俺は一応アベリア王子側の人間だからね。必然的に祭ちゃんも王家預かりの身分ってなるわけだよ」
なるほど。だから姫が。
花火は納得すると共に別の不安が出てくる。
「だ、大丈夫でしょうか。姉は静かにするということが大の苦手なのですが」
「あんまり大丈夫じゃないけど大丈夫だよ。
それで、君のことなんだけど」
彼はふっと息を吐いた。
花火ははい、と小さく返事をする。
「一応君もお姉さんと同じ立場ってことにしよう。
俺の協力者」
「どういうことですか? 帰りたいのですが……」
「あれ、足治したいんじゃないの?」
そういえば祭がこの世界に連れてきた時足を治す話をしていた。
「治るんですか?」
「分からないけど……そっちの治療法が効かないから俺を頼ったんだろうし。
一応診るだけ診てみようか」
そう言ってジェイドが椅子から立ち上がったので花火も体をずらして足を見せた。
ロングスカートを膝まで捲る。
「……あ」
「な、なんですか」
「魔法……で、しか治らない。
何かは分からないけれど魔法の痕跡があるんだ。
足が動かないのはそれが原因のはず……」
「え? でもお医者さんはビタミン剤とボツリヌス菌と赤外線で治るって……」
「ボツ? なに?
いやこれ呪われてるよ」
呪い?
花火の頭上にハテナが散る。
なんで呪いなんか……。そしていつの間に?
ずっと日本に住んでいた花火に思い当たる節は無い。
……だが、また姉の"事件"に巻き込まれた。そんな気がした。
「呪いか……。困ったな、こういうのは特定が難しいんだ。専門家は今いないし……。
そういえば祭ちゃんは? 今日見てないけど」
「姉はミラコスタるので来てません」
「ミラコスタる!? なにそれ!?」
「はあ、要は遊んでるんですわ」
「なんで!? 妹だけこっち連れて来ちゃったの!?」
「そうなりますな」
ジェイドはウウウウと唸りながら髪を掻きむしった。
彼も相当姉に振り回されているのだと花火は察して思わず哀れみの目を向ける。
「まあ元気出してください。良いことありますよ……」
「なんで他人事なの!?
もー……仕方ない。えーっと、しばらくこっちの世界にいてもらうことになってもいい?」
「えっと、あと3分くらいなら……」
「短っ! あの、最低でも1ヶ月あると嬉しいけど……」
「わかりました」
「良いんだ……」
「どうせ浪人生ですから」
ただ一応両親には伝えないとな……花火はポケットから携帯を取り出そうとして気がつく。
そういえば杖とその身だけでこの世界に来てしまった。
「……身支度整えたいので一度家に帰りたいです……」
「あー……あの、異次元の移動ってすごく大変でさ……。
あんなにホイホイ使えるの祭ちゃんか、俺の師匠くらいなんだよね……でも師匠は今いないし、祭ちゃんも……」
「えっ!? じゃあ私Netflixから離れて生活しなきゃいけないんですか!?
そんな殺生な! ここにTSUTAYAがあるっていうなら話は別ですけど!」
「何言ってるかよく分からないけどそんなものは無いよ。
まあ、ミラコスタるが終われば祭ちゃんも来るだろうし」
どうだろうか。マイペースな姉のことだ。
もしかしたら花火のことなど忘れて次はユニバるかもしれない。
俄然不安になり顔面蒼白になる彼女にジェイドはパステルカラーの菓子を差し出した。
「これでも食べて元気出して」
「なんで他人事なんですか……」