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愛していると、言われた。
あまりにも突然の事だった。脈絡もなかった。
思考が数秒止まって、そうして失礼だと思った。気持ち悪いと思った。
初めて他人に告白をされた日だった。
確かその日の夕飯はシチューで、私はそれが大好きなはずなのに口から戻してしまったことを覚えている。
その次に愛していると言われたときは、そこまで気持ち悪いとは思わなかった。
その代わり虫唾が走った。抑えきれない苛立ちに相手を怒鳴りつけた。お前なんかに分かってたまるか、そう私は喚いた。
その晩、私は眠れずに過ごした。ずっと体を虫が這うような、身を食い千切られるような気がしていた。そういえば、その日も夕飯はまともに食べられなかった気がする。
大学を休学した。今まで普通のレールに乗ったふりをして生きてきたのが途端、辛くなった。両親には大学の勉強以外に取得したい資格の勉強と趣味の写真を1年やってみたいのだと説明した。何も意見してこなかったから、両親は驚いた。驚いただけで、何も問わなかった。頑張れよ、と言われた。
その頃の私はもうおかしくなってしまっていて、血が繋がった家族でも他人と捉えるようになっていた。できるだけ触れられないように生活した。
休学と同時にそれは悪化した。同じ空間で息を吸うことですら儘ならなくなっていった。親戚の家に母親と行った時、過呼吸で初めて救急車に乗った。耐えられなかった。ずっと蓋をしてきたその嫌悪感は再び見てしまえば最後、汚い物として私に襲い掛かった。
それから私は勉強だと言って朝早くから図書館に逃げ込んだ。毎日、田舎の図書館の勉強ルームを独占していた。午前中かつ近くの学校の試験期間外ともなれば、どこかは空いている。何とか息ができるその場所は私の救いになった。
図書館には2人の図書館司書が居た。初老の女性と若い男性だった。男性がいるのは珍しいなと思った。
毎日通っていると、図書館司書の女性に話しかけられた。通い始めて1ヵ月経つ頃だった。家の外で人とまともに話すのは久しぶりで、変な声が出てしまった。それをきっと彼女は不振に感じたのだろう、それ以来話しかけられることはなかった。
世間話くらいできればよかったのに、もう私は社会に適合できないのかもしれないと嘆いた。
それから2ヵ月経つ、クリスマスの夜に図書館司書の男性に話しかけられた。
それが彼との初めての会話だった。
「何を読んでいるんですか」
確かそう彼は私に話しかけた。肩を叩くこともその前に一言声をかけることもなく、覗き込んできた彼に驚いた私は大きく仰け反った。頭を真っ白にして黙っている私に、彼はクリスマスも朝から本を読みに来てくださるなんて本もとても喜んでいますよ、と嫌味染みたことを言った。(それはまぁ、私がひねくれているからそう感じたのかもしれない。)
なんと返したかは覚えていない、本が好きだからとかそんな適当なことを言ったような気がする。
とにかく彼は適当な私にとてもしつこく接してきた。体に触れられようものなら、耐えきれなくなって私は彼と距離を取ったのだろうが、彼は私に触れることも本を触ることもなかった。適当な返答に嫌気がさし、どこかに行ったかと思ったが彼はすぐに戻ってきた。今日は向井さんに本を読んでいていいよって言ってもらって、と笑うと私の向かいの席で本を読み始めた。
結局、閉館の時間まで彼は私の目の前でずっと、幻聴が聞こえるようなネチネチした恋愛小説をずっと読んでいた。私が数週間前に読んだ本だった。
次の日もその次の日も彼は私の前の席で本を読んだ。もちろん、1日中なんてことはクリスマスの夜以来なかったのだけれど、それでもまるで日課のように彼は私と同じ空間で本を読み続けた。
年末年始の休館日明けでもそれは変わらなかった。
1月の後半に差し掛かる頃には私は彼と同じ空間で本を読むことを苦にしなくなった。いや、もうとっくにそうだったのかもしれない。
彼の顔をまじまじと見て、そうして彼の居る空間は私にとって唯一苦ではないことを自覚した。
次話は11月3日20時にUP予定です。