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◆◇◆
「ケガレて」「ケガレ」「ケガケガケガレレ」「けがれ」
逆さ十字架に蠢く無数の顔が両眼から血の涙を流し──怒りの形相で言継をまっすぐ睨み据えて、嘶いた。
突風がヒルデスハイムの町中を駆け巡るのと同時に緑色の巨大な魔法陣が逆さ十字架を中心に町中に展開された。自分たちの体を煌めく魔法陣の実体なき線が貫いたことにそれまでふたりの魔女の戦いを傍観していたプライドとカレンは警戒に目つきを鋭くする。
「町を吹き飛ばす気ですわね──さすがは風に吹かれるしか能のない魔女だとこと。そんなに風と共に在りたいのであればわたくしが叶えてさしあげますわ」
■■■■と、言継の口が啄むように謳う。
町中に張り巡らされた逆さ十字架の緑色の魔法陣、それを塗り潰す勢いで紫色の魔法陣が何重にも構築され、展開されていく。
そうしてものの数秒も経たないうちに紫色の魔法陣はルーレットの如く高速回転しながら緑色の魔法陣ごと、逆さ十字架を包み込んでしまった。それは一見すれば紫色の絹糸で巻かれた手まりのようで、その美しさに地面で身を低くしていたプライドとカレンは思わず魅入る。
けれど直後に瓦解した魔法陣の手まりから零れ落ちた逆さ十字架は──無残、いくつもの頭部が潰れて血みどろになってしまっていた。十字架としての体も既に成していなくて、ただ血みどろの頭部が無数に蠢いているだけのただの集合体と化していた。それはぼとりと家の屋根に落ち、言継も続いてその屋根に降り立つ。
「ご自分の攻撃をご自分で受けた感想はいかがかしら?」
と、そう口にしておきながら答えなぞ聞くつもりはなかったようで言継は■■と、また不協和音を口にする。
〝図書館の魔女〟と対峙していた時と同じ、夕陽色の魔法陣が言継の背後に展開されてその──これまで言継が展開してきた紫色の魔法陣とは違う色合いにプライドは眉を顰めた。言継が口にする不協和音は聞きとるのも難しく、内容を理解するのにも間が開くほどの不協和音であったが──少なくともこれまでに用いてきた魔法とは類が違うであろうということはプライドにも瞬時に理解できた。
そしてその理解の通り、夕陽色の魔法陣は滑るように逆さ十字架──〝十字架の魔女〟の背後に移動して一本の槍と化し──そのまま、逆さ十字架ごと言継の胸を貫く。
「えっ!?」
「…………」
驚きに短く悲鳴を上げるカレンとは対照的に、プライドは厳しい顔をより一層厳しく歪めて言継を射殺さんと睨み据えていた。
そうしている間にも逆さ十字架を貫いた夕陽色の槍はずぶりずぶりと言継の胸に呑み込まれていき──苦痛に喘ぎながらもやはり嘲笑を浮かべたままの言継はやがて、その全てを体内に収める。
「げほっ……ごほっ……」
〈──ありがとう、〝嘲りの魔女〟〉
言継が咳き込んでいる間にかつて〝十字架の魔女〟と呼ばれていた成れの果てから薄桜色の仄かな輝きを持つ、透き通った体の美しい女性が現れた。その見覚えのある姿にカレンははっとユリア・アレンデーラと口にする。〝十字架の魔女〟の本来の姿──人間としての姿、それがそこにあったのだ。
「今──まさか今、あの魔女継承したの? 〝十字架の魔女〟の力を? そんな!! 魔女同士は継承できないはずじゃ──」
「継承の方法も従来のものとは違っておりましたな。──ふむ」
カレンとプライドがついていけぬ展開に窮している間にも言継とユリア・アレンデーラの会話は進んでいく。
「はぁ……っふぅ。──それで? 貴方はいつも憤っていたとのことだけれど、憤りすぎて脳の血管でも切れたのかしら?」
〈──私はいつも通り、全てに憤っておりました。穢れている大聖堂にも、穢れている十字架にも、穢れている人々にも──何もかもに憤りながらひたすら十字架を磨いておりました〉
けれど、とユリア・アレンデーラは目を伏せる。
〈──突然、心臓が握り潰されたのです。……いいえ、人間に殺されたわけではありません。あれはたぶん……他の〝魔女〟の手によるもの……〉
「……〝図書館の魔女〟もそう言っていましたわね」
一体どこの誰が突然自分を殺したのか、それはユリア・アレンデーラには分からないようであったがおそらく〝図書館の魔女〟の時と同じ力によるものではないかと予測してきた。言継は嘲りを崩さぬまま指を唇に這わせ、考え込むように押し黙る。
けれど残念ながら……言継に議論の時間を天は許さなかった。
〈──ああ、ごめんなさい……もう、逝きます。〝嘲りの魔女〟……どうか気を付けて、また魔女の暴走が起きると思われます……どうか、どうか貴方の往く道が少しでも苦しみのないものであることを──〉
──それを最期に、ユリア・アレンデーラは逝った。
淡い光の粒子となって天に昇っていく〝十字架の魔女〟を言継と──そしてカレンは、眺める。
「……前に見た時のユリア・アレンデーラとは全然違う……前はあんなに、憤ってばかりいたのに」
カレンは屋根の上にいた、涙ながらの笑顔を浮かべて天に召されていったユリア・アレンデーラを脳裏に思い浮かべつつ戸惑いの表情を浮かべた。自分の知る〝魔女〟との剥離具合、それに。
──そして隣から返事がないことに気付いてカレンは視線を屋根の上から横に落とし、けれど直後に鳴り響いた轟音にまた屋根の上に視線を向けた。
「がっ……!!」
「封印させていただきますよ」
プライド・ラストリアル。
WHO制圧隊──別名、〝魔女狩り団〟の副長プライド。
彼のステッキから伸びた、鈍い銀色に輝く細く長い刃が言継の肩を貫いていた。言継は即座に不協和音を口にしようと口を開くが、その前にプライドの左手が閃いて人差し指ほどの長さしかない小ぶりのナイフが言継の頬を掠った。
「っ……■」「させません」
傷口の再生を図ろうとまた口を開いた言継に、プライドはさらに二本の小さなナイフを取り出して言継の両太ももに突き刺す。ずぶりと深く突き刺さったそれに言継は眉を顰めるが、やはりその口からは嘲笑が消えない。
「このっ……■」「させないと言ったでしょう」
ナイフの突き刺さった両太ももから血が噴き出るのも構わず足に力を込めてプライドから距離を取り、再生を試みようとした言継にプライドは、やはり暇を与えようとしない。
三本、四本とプライドの懐から取り出された幾本ものナイフが言継の体の関節部に突き刺さり、言継の体を血で染め上げていく。
「ごほっ!」
次から次へとナイフが言継の体に突き刺さっていくが、それは決して言継の急所を狙いはしない。仕込み杖の鋭い切っ先で言継の動きをけん制しながらナイフでじくじくと言継を痛めつけているような──そんな粘着質な攻撃である。
「テラー!! 封印の準備をなさい!!」
「!」
「へっ、あっ、えっ!?」
突然の命令にカレンは目を白黒とさせながらもバズーカ砲を脇に構え、距離を取って言継に照準を合わせた。それを目にして言継は小さく嘲る。
「老人ホームから逃げ出して徘徊しているご老人なのかと思いましたけれど、WHOの狗でしたのね」
「貴方こそ魔女であったとは──心底納得いたしましたよ。ワタクシとしたことが一目で貴方を魔女と見抜けなかったことを猛省するばかりです」
「けれどやはり貴方はWHOをお辞めになって老人ホームに入った方がよろしくてよ。わたくしが暴走しているように見えているようですもの」
「ふむ? これはまたけったいなことを」
何故暴走している状態でなければ封印してはいけないのですか?
──そう含むように言って、プライドは仕込み杖をフェンシングの容量で突き出し言継の腹部を──致命傷にならない程度に浅く切り裂いた。ぶしゅりと噴き出す血に言継は再生を試みようと不協和音を紡ぐが──やはり、魔法として成立する寸前にプライドが邪魔に入る。
「ぐっ……生殺しにして、弱ったところを封印するおつもり? 魔女の人権は一体何処へ行ったのかしらね」
「人権? 魔女に人権とはまたおかしなことを言いますな。魔女は魔女──死なないのに、生きる権利など必要ですかな?」
「……!」
人間は死ぬが魔女は死なない。
人間の肉体が滅びれば魔女の力だけが残り、それが暴走へと誘う。それならば。
それならば、人間の肉体が滅びる前にまとめて封印してしまえばよい。
──そう言い切って、プライドは人権など認めぬとばかりに蔑んだ目で言継を見据えた。
「魔女など害悪でしかありません」
「うら若き婦女子を生傷だらけにして悦んでいる変態の方が害悪だと思うのだけれど?」
「貴方はうら若き婦女子ではありません──魔女です」
ひゅん、と風切り音が空気を裂いて言継の両肩にナイフが突き刺さる。もはや言継の体はナイフまみれで、引き抜こうとする言継の手をプライドが仕込み杖で切り裂くために全身血まみれであった。言継は荒い呼吸をしながらも嘲笑を崩さず、どうにか魔法を駆使する隙を得ねばとプライドを注視する。
「テラー! 鎖大砲を撃ちなさい!!」
「あっ……でもラストリアル副長!! その魔女、たぶん──」
「撃ちなさいと言っているのです」
ぎろりと、眼下にいるカレンを睨み下ろして冷酷に言い放ったプライドにカレンはぐっと息を詰め、躊躇しながらも腰を低く構えた。WHO制圧隊に入隊して五年以上経つカレンではあったが──未だに、プライドに対する恐怖心が拭えずにいる。
プライド・ラストリアル。
〝魔女〟を憎悪し、数多の〝魔女〟を封印してきた男。
ばすんっ、とバズーカ砲が爆ぜて何十本もの鎖が撃ち上げられる。先端が鉤爪のようになっている鎖はまっすぐ言継まで伸び、言継が避ける間もないうちにその体を鎖で雁字搦めにしてしまった。