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二 【十字架の魔女】


 ドイツ北部、ヒルデスハイムの町──マルクト広場。そこにひとりの〝魔女〟が降り立つ。


「……騒がしいこと」


 日本人が〝ヨーロッパ風〟と形容する町並みがそっくりそのままそこに広がっているが、その美しい町並みも広場に集う人々の口さがない噂話のせいで色褪せてしまっている。


「〝魔女〟が暴走したって」

「うそ? どこの魔女?」

「聖マリア大聖堂にいる〝十字架の魔女〟だよ」

「やだ、あの人? いつも怒っている魔女でしょ」

「そうそう──あの掃除女な」

「つい昨日、日本で魔女が勝手に自殺して暴走したばかりじゃないの!」

「ほんと迷惑だよな──死ぬなら誰にも迷惑かけずに死ねってんだ」

「魔女なんて害ばかりで生きている価値もない」

「さっさと封印してくれないかねえ。安心できやしない」

「そもそもあの〝十字架の魔女〟が聖マリア大聖堂で働いていること自体俺は気に喰わなかったんだよ。何で魔女を保護せにゃならんのだ──」


 国際魔女法により魔女は保護され、魔女救済団(WHO)により守られる。そんなのは戯言でしかない。国際魔女法とは魔女を縛る法であり、WHOは魔女狩り団と訳するのが正しい捉え方である。

 ドイツに降り立った魔女、葉月言継は民衆の口さがない噂話に嘲笑を浮かべる。


「……お兄様が迎えに来ないと思ったら、暴走魔女が現れていましたのね。このわたくしを待たせるだなんてとんだ愚兄(ゴミ)だとこと」


 言継はやれやれ、と嘲りながらため息を吐いてピンヒールのかかとをかちりと鳴らす。


「仕方がないですわね。──聖マリア大聖堂だったかしら」




 ◆◇◆




 世界遺産としても名高い聖マリア大聖堂──そこへと通じる表参道とも言える、店が連なる通りの一角に言継は紫黒色の三つ編みを揺らしながら足を踏み入れる。

 普段であれば観光客で賑わっているであろうそこには人気がなく、代わりに薔薇の町とも称されるヒルデスハイムの美しい町並みに陰りを差し込むが如く、上空に巨大な逆さ十字架が浮かんでいた。

 それもただの十字架ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()構築された十字架であった。


「汚い」「汚い」「けがらわしい」「穢れてる」「汚い」「穢れてる」「穢らわしい」


 巨大な逆さ十字架を構築している無数の人間の頭部、そのひとつひとつが怒りに満ちた声でひたすら穢れを厭っている。それを目にした言継はやはり嘲り、どちらが穢らわしいのかと零す。

 ──そしてふと、人気のない通りの一角にひとりの人間がいることに気付いて言継は眉を顰める。

 そこにいたのは老紳士であった。

 老紳士と形容する以外にないほどに、老紳士であった。混じり気のない、腰まである絹のように滑らかで見事な白髪を後ろに流しており、口元にも白く整えられた口髭があつらえている。皺ひとつない燕尾服を嫌味なく着こなしていて、その背筋も驚くほどまっすぐ伸びている──ピンヒールを履いている言継と身長はそう変わらなく、おそらく百八十は超えているだろう。持ち手が銀細工の蛇となっている黒漆のステッキを右手に携えていて、それもまた老紳士によく似合っていた。


「──徘徊中のところ申し訳ないのだけれど、ご老人? 老人ホームにお帰りになった方がよろしくてよ」


 かつりとヒールを鳴らして言継は老紳士の隣に立つ。言継の嘲りをふんだんに含ませた──どころか隠す気さえない言葉に老紳士はぴくりと片眉を上げ、蛇が鎌首をもたげるが如く首を傾けて言継をねめつけた。

 老紳士の薄氷のようなアイスブルーの虹彩の奥に潜む、蛇のような瞳が言継の靴先から頭の上まで、舐めるように動く。友好的とはおよそかけ離れた視線を不躾に浴びているにも関わらず──言継から嘲笑は、やはり消えない。


「……残念ながらワタクシにはお菓子の持ち合わせがありませんのでね。迷子センターに行けば飴玉のひとつでも貰えるでしょう。ヒルデスハイム駅へ戻りなさい」


 嫌味を隠す気などさらさらないとばかりに老紳士は侮蔑の色を込めた眼差しで言継をねめつけながらそう言い放った。それに言継はさらに笑みを深くして嘲り、呆れたとばかりに肩を竦めてみせる。


「政府には認知症の研究にもっと投資して取り組んでほしいところですわね。そう思いませんこと?」

「若年性の認知症も昨今は増加の傾向にあるようですな。中には躾のなっていない幼児退行児も紛れているようですが。──ワタクシの隣にいるれ者もそうですね」

「まあ……妄執に取りつかれてしまう段階にまで進行してしまっているのですわね。わたくし、もっと認知症について勉強すべきであったと猛省いたしますわ」


 ──などと嫌味の応酬を老紳士と言継の間で行っていた時のことであった。一際高く怒声を逆さ十字架の無数の頭部が上げ、それに伴って突風が発生し──周囲の窓ガラスが軒並み割れ、びしりびしりと木造の建造物群にひびが入る。


「お喋りしている暇はございませんわね」


 突風に三つ編みを靡かせながら言継はそう言い、逆さ十字架に向けて足を踏み出した。それを老紳士が鋭く制止するが、言継の足は止まらない。


「〝十字架の魔女〟改め〝暴風の魔女〟──ユリア・アレンデーラ。聖マリア大聖堂の掃除女だったそうだけれど……掃除女なんてやっているご自分に嫌気が差したのかしら? 惨めなこと」


 そう言って嘲り、言継は慣れたように指先で空をなぞって不協和音ノイズを口にする。


■■(浮遊)

「!!」


 言継の体を小さな魔法陣がいくつも包み込み、ふわりと重力に逆らって浮かび上がっていくのを目の当たりにして老紳士の両眼が蛇のように鋭くなる。だが言継はそれに気付くことなく浮遊したまま逆さ十字架へ近付いていった。


「もはや魔女ではなくただの化物ですわね。哀れなこと」

「汚い」「穢れてる」「穢れだ」「穢らわしい」「穢れてる」

「まあ。このわたくしに向かって穢れてるだなんて」


 言継は嗤う。

 嗤い、嘲り、不協和音ノイズを口にする。

 ──そうして始まった逆さ十字架こと〝暴風の魔女〟と葉月言継、〝言葉の魔女〟の戦いを見上げながら老紳士は獰猛に目を細める。


「ラストリアル副長──ってなにあれ!? 魔女と……魔女!?」


 そんな騒がしく甲高い声と一緒に老紳士の背後からひとりの少女が駆け寄ってきた。口径が二〇〇ミリを超えているバズーカ砲を背負っている、老紳士よりも四十センチばかり小さい少女だ。ストロベリーブロンドの髪をツインテールにしていて非常に愛らしい少女であるが──よく見れば腰にもいくつかの銃器をぶら下げていて非常に物騒である。


「汚い」「キタナい」「きタなイ」「キタなイ!!」

■■(防壁)


 逆さ十字架が雄叫びと共に魔法陣を展開させ、そこから狂ったように吹き荒れるいくつもの竜巻を生成したのに対し言継は嘲笑を浮かべたまま淡い紫色の魔法陣を即座に逆さ十字架の周囲に構築して防ぐ。

 竜巻がどれほどの威力かは周囲に被害がないために読み取れないが、竜巻を押し込めている言継の魔法陣がびりびりびりと震えているところを見るに相当な威力なのかもしれない。


「一方は〝十字架の魔女〟として……もうひとりは誰?」

「ワタクシが知るわけないでしょう。──外国の魔女であるのは間違いないでしょうが。どうやら〝声〟……〝言葉〟? そのあたりを操るようです。リストから探しなさい、テラー」


 蛇のような視線を言継から外さないままに、老紳士は眉間に深い皺を刻み込んでそう呟く。その呟きにストロベリーブロンドの少女は頷き、スマートフォンを取り出して操作し始めた。──よく見ればふたりの襟元で鈍く輝いているバッジは全く同じものであった。

 金色に輝く星の下で二匹の狼が交差しているような紋章であるが、これは〝魔女救済団〟──WHOのシンボルである。

 そう、つまりこの老紳士とストロベリーブロンドの少女はWHOの人間なのだ。

 老紳士の名前はプライド・ラストリアル。見事な白髪のせいでとてもそうは見えないが、これでもまだ五十のWHO制圧隊副長である。

 少女の方はカレン・テラーと言い──驚いたことにこのあどけない容姿で既に二十七歳を迎えている、WHO制圧隊隊員だ。WHO制圧隊とはドイツに存在するWHO本部の中でも特に戦闘に長けた者たちが集うグループで、主に暴走魔女の封印を行っている。


「あった。〝大学生の魔女〟もとい、〝言葉の魔女〟──日本の魔女だって」

「ふむ。言葉を司る魔女ですか」


 スマホの画面に表示されている言継の顔写真を横目で見ながら老紳士──プライドは目を細めて考え込むように口を閉ざす。


■■(風圧)──■■(無風)──駄目ですわね、さすがに暴風を司る魔女相手では風では勝てませんわね。生意気なこと」

「穢れテル」「穢れは」「穢れハ落とさネバ」「穢レは、斬り刻ム!!」

「!!」


 言継の張った魔法陣の中で空気が吹き荒れ、言継の全身に夥しい数の切り傷が迸って血が噴き出る。カマイタチというやつであろう──だが言継は全身を血と傷に染め上げてもなお、その嘲笑を決して繃すことなく冷静に不協和音ノイズを口にした。

 途端に傷口が服ごと再生していく言継の姿にプライドとカレンのふたりは目を見張る。


「あの魔女──傷を再生することもできるの?」

「……──テラー、封印の準備をもうひとつなさい」

「え……で、でもあの魔女ってたぶん──」

「準備なさい」


 有無を言わせぬプライドの低く高圧的な一声にカレンはびくっと肩を震わせ、わかったと了承する。そうして銃器を地面に降ろし、準備を始めたカレンに目をくれることもなくプライドはまっすぐ──射抜くように、射殺すように紫黒色の三つ編みを揺らしている魔女、言継の姿をねめつけていた。


「──……残念ですよ。なかなかいい性格をしている小娘だと思っていたのですがね」


 魔女であるのが残念です。

 そう零してプライドはステッキの持ち手である銀細工の蛇を親指で押し込んだ。かちりと、ステッキが鳴る。


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