③
「このわたくしに傷をつけるだなんて真理への冒涜ですわ──このわたくしの存在、思い知らせて差し上げなければなりませんわね」
言継はやはり嘲笑を浮かべたままそう言い放ち──そっと指先で滑らせるように弧を描いた。
「■■■■」
ぼうんっと言継の指先から炎が弾丸の如く──いや、矢の如く一直線に錆人形目掛けて炎の軌道を空中に描きながら迸っていく。言継は間を空けず続けて不協和音を口にし、二本目三本目と連続で矢を放った。
「アアァアアァァア!!」
一本目、二本目、三本目──全ての矢が続けざまに錆人形の体を貫いてその体を焼き、錆人形から絶叫が上がる。口らしき部分が融けたように縦に広がり、薄闇の空洞しか見えぬそのぽっかり開いた口から金切り声がひっきりなしに上がっている様はどこぞの恐怖映画のポスターのよう。
言継はそんな様相を嘲りつつ、両手を広げて手のひらを錆人形に向けた。
「■■■■」
言継の手のひらに紫色の魔法陣が煌めき、同時に言継を中心に半径数十メートルにも渡る巨大な魔法陣が空を覆った。付近から図書館の様子を見守っていた野次馬たちから驚きと感嘆の声が漏れるが、言継はそれを無視して嘲りを浮かべたまま魔法陣をさらに煌めかせる。
キィーン、と耳に何かが詰まるような違和感を覚えて野次馬たちが耳を押さえて戸惑いを顔に浮かべるのと同時に空に浮かんだ巨大な魔法陣から氷のように冷たい雨が降り出した。夏色が未だ根強くこびり付いている京都にはあまりにも冷たすぎる、冬の雨。それに伴って周囲の気温も急激に低下していき、野次馬たちはぶるりと肌を震わせる。
「アアァあああぁアアぁああ!!」
錆びに錆びきった人形。
炎の槍で全身を焼かれ、その上全身に余すことなく氷のように冷たい水をばら撒かれてその表面にびしりびしりとひびが入り始めた。
「この程度ですの? 大したことありませんわね」
「ガガアアガガガアアガアアッガガッガ」
金属と金属が擦れ合う不快な音を鳴らしながらひび割れた体で錆人形はもはや声でさえもないただの音を空洞のような口から上げて、雨が未だ空に浮かぶ魔法陣から降り注いでいるというのに一滴たりともその雨粒を体に浴びていない言継を空洞のような両眼でねめつける。
「ガアガッガガガアアガアッガッガッガ」
「醜いこと。──構いませんわ、全力でかかってきなさいな。わたくしが捻じ伏せてさしあげますわ」
言継は嘲り、両手を交差させて構える。
それに対し錆人形は金切り声を上げながら体を小刻みに揺らし──吠えた。読んで字の如く、空洞のような口から錆が迸って図書館全体を覆う巨大な錆色の魔法陣を構築し、周囲を腐らせながら展開されたその魔法陣から錆で構築された何百、何千匹もの犬が濁流の如く躍り出た。
その錆びた犬の群れは錆びて濁った両眼をまっすぐ言継に向け──錆びた大気を駆け上がっていく。自分目掛けて襲い掛かってくる錆びた犬の群れを目にしても言継の嘲笑はやはり、崩れない。
「ふぅん。……〝腐蝕の魔女〟のことですもの。一瞬であたり一面を腐らせることも可能でしょうに──理性が残っていたのかしらね」
いじましいこと、と言継は嗤って手を交差させたまま不協和音を口にする。
「■■」
それで、終わりであった。
図書館の魔女にして〝腐蝕の魔女〟高無亜理子と、大学生の魔女にして〝言葉の魔女〟葉月言継。
ふたりの〝魔女〟の戦いは、終わった。
◆◇◆
「■■」
空に何重にも構築された膨大な魔法陣が煌めき、けれどその煌めきに見惚れる間もなく魔法陣から巨大な鉄柱が錆人形ごと図書館を圧し潰してしまい──それに伴う衝撃で大地が震え、体勢を崩し地面に倒れ込んでいた教授はその不協和音を耳にして顔を上げる。
空にあんなにも煌めいていた魔法陣も、その魔法陣から降ってきた巨大な鉄柱も既になく、そこには圧し潰された図書館の成れの果てと──魔女、言継の姿があるだけであった。
いや──言継の足元で錆人形の成れの果てが蹲っている。
人間は死ぬが魔女は死なない、と教授はそっと囁く。歴史の中で魔女の不死性は散々証明されてきている。鉄柱に圧し潰された程度であの錆人形が──〝腐蝕の魔女〟が死ぬわけないのだ。
どうするつもりなのか、と教授が見守っていると言継の背後に夕陽色に輝く巨大な魔法陣が展開された。けれどすぐ魔法陣は収縮し、集束して一本の長い夕陽色の槍を形成し──それは滑るように錆人形の背後へ移動する。
それに呼応するかのように、錆人形は既に人型すら保てていないその崩れ切った体で立ち上がり、言継に向き合う。
──そして夕陽色の槍が、錆人形ごと言継の胸を貫いた。
教授は目を見張るが、よくよく見れば槍は言継の体を貫通してはいない。錆人形の体を貫いて言継の胸に刺さった槍は──そのまま、言継の体内に呑み込まれている。
ごほ、と言継の口から苦痛の色を帯びた呻き声が零れ落ちるが言継の顔には嘲笑しか浮かんでいない。
やがて槍は錆人形の体を完全に貫通しきり、槍が抜けたことで崩れ落ちる錆人形をそのままにずぶりずぶりと言継の体の中に全て呑み込まれた。
ごほごほ、と嘲笑を崩さぬまま咳き込みながら言継は胸を押さえる。それに教授は慌てて駆け寄っていき、声を掛けようとするが──その前に崩れ落ちた錆人形の成れの果てからふわりと薄桜色の淡い輝きを帯びた〝何か〟が這い出るのを見て足を止める。
〈──ありがとう、〝言葉の魔女〟〉
「──ご気分はいかが? 高無亜理子さん」
薄桜色の〝何か〟に向けて言継は嘲りながらそう言い、その言葉に教授ははっと〝何か〟に視線を向ける。
その〝何か〟は淡い薄桜色の光を全身に帯びていて輪郭もゆらいでおり、かつ透き通っていたために見辛かったが──確かに教授もよく知る図書館の司書、高無亜理子そのものの姿をしていた。しかし教授の知る生前の彼女とは違い、その顔に嘆きの表情はない。
憑き物が落ちたかのようにすっきりとした──とても晴れやかな笑顔で高無亜理子は──元、〝腐蝕の魔女〟はそこに浮かんでいた。
〈──ごめんなさい。図書館をこんな風にしてしまって〉
「それはどうでもよろしくてよ。歴史が腐ったところで困るのは人間だけですもの。それよりも貴方、何故暴走したのかしら? いくら根性の腐っている貴方でももう少し時と場所は選ぶと思ったのだけれど」
言継は高無亜理子を嘲り、見下すがそれに高無亜理子は気を悪くすることなく申し訳なさそうな笑顔を浮かべて静かに語り出す。
〈──わからないのです。突然、〝何か〟に魔女の力を引き上げられるような感覚があって……気付いたら、魔女の力に圧し潰されて死んでいました〉
「あら? 自殺したわけでも──人間に殺されたわけでもなく?」
〈──いいえ。あれは……たぶん──……〉
高無亜理子はいつも通り図書館で司書業務に勤しんでいたところ──体内に宿る魔女の力が突然何者かによって引き上げられ、それを抑え込もうとしている間に魔女の力に喰われて死を迎え──そうして暴走に至ったのだという。
そしてその〝何者か〟はおそらく他の魔女だろうと高無亜理子は語った。
言継は目を細めて嘲りを浮かべたまま考え込むように沈黙する。
〈──ああ……そろそろ、逝かないとだめなようです。──改めて、ありがとう。〝言葉の魔女〟……やっと、解ほ──〉
──その先の言葉を紡ぐことなく、高無亜理子は天に昇っていった。
安らかな笑顔で。心の底から、幸せそうな笑顔で。彼女を知る者たちの記憶に残る、常に自分自身や周囲に対して嘆いていた悲観主義の姿はどこにもない。
何で私ばかりこんな目に遭うの?
いつだってそう嘆き、嘆き苦しみ、嘆き悲しみ、けれど嘆きながらも仕事に従事していた魔女。図書館の魔女。腐蝕の魔女。──嘆きの魔女。
その痕跡を少しも感じさせることなく、高無亜理子は笑顔で逝った。
「……言継くん」
教授はそこでようやく言継に声を掛け、言継は考え込むのを止めて嘲笑を教授に向けてなあに、と返してくる。
「〝図書館の魔女〟の力を受け継いだのか? 力の継承は魔女同士では不可能であったはずだが」
「ええ。普通の魔女はね。けれどわたくしは違ってよ──〝言葉〟を司るからかしらね。これまでにも二人の魔女の力を継承しててよ」
人間は死ぬが、魔女は死なない。
魔女と成った人間がちゃんとした死を迎えるには人間としての肉体が死を迎える前に次代の魔女となる人間へ力を継承させなければならない。
その継承にもいくつかの制約があり、ひとつに〝魔女へ力の継承は行えない〟というのがある。継承しようとして力が反発し合い、どちらの魔女も肉体の死を迎えて暴走を迎えたことが歴史の中にはあるのだ。
しかし言継にはその制約が通じないらしい──どういったロジックなのかは理解できないが。
「さて」
言継は槍を呑み込んだ胸元をそっと指先でなぞりながらひとつ深呼吸をし、用は済んだとばかりに身を翻して歩き出した。かつりかつりと瓦礫の上を器用に歩きながら立ち去っていく言継の後ろ姿に教授はひとこと、何処に向かうのかと問う。
それに対する言継の答えは簡潔であった。
「ドイツですわ」
後処理は貴方がたがしなさいな──そう続けて言葉にし、言継は嗤う。
言継は嗤う。
嘲り、嗤う。
意味もなく。
意図もなく。
意識もなく。
意義もなく。
意表もなく。
ただ、嗤う。
【嘆きの魔女】