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零 【はじまりのおはなし】
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西暦も天歴も使われなくなった、それどころか人類さえ滅亡の危機に瀕している世界。
暴走し続ける〝魔女〟によって干上がり、枯れ果ててしまったかつて太平洋と呼ばれていた場所の底の底。
そこで夕陽色に輝く〝種〟を、葉月紡継は発見した。
「これは……」
紫黒色のくるぶしまである長く、波打つ髪を揺蕩わせている翡翠色の美しい目を持った少女、紡継は夕陽色の、宝石のようにも見える手のひらほどの大きさのそれに手を伸ばそうとする。
──だがしかし、その瞬間紡継の翡翠色の目が深い海色に煌めく。瞳までも海色に煌めき、不思議な輝きを放つその目で紡継は夕陽色に輝くそれを見つめる。
そして紡継は、理解する。
そして紡継は、決意する。
「…………〝時間の魔女〟、おりますか?」
「はあ──い──〝慧眼──の──魔女〟──ど──うし──たの──?」
紡継の呼び掛けにひょこりと、少し離れた場所で地中から掘り出した、遠い過去に使われていたのであろう不思議な機械を弄っていた浅黒い肌の少女が応える。
彼女は〝時間の魔女〟にして〝叫きの魔女〟、ミュルリヤ・テンと言う。
そして紡継もまた、魔女であった。〝慧眼の魔女〟にして〝憂いの魔女〟、葉月紡継。
──それだけではない。
紡継は、魔女に成らなかった葉月言継のはるか遠き子孫でもあった。
「お願いがございます」
「な──に──?」
紡継は触れぬよう自分の服で包み込んだ夕陽色のそれを手に、〝時間の魔女〟に向き直る。
「わたしをこれとともに過去へ。貴方の命でもつて」
「わか──った──」
〝時間の魔女〟は、笑顔で頷いた。
それを分かっていたかのように紡継もまた、憂いを帯びた微笑みを浮かべる。
「いつ──に──?」
「八百年前に──わたしの先祖である、葉月言継さまがいる過去に」
「わか──った──それ──で──どうす──るの──?」
「これを──全ての始まりである、【魔女】を埋め込みます──そして、〝魔女〟に成ってもらいます」
紡継はそう言って服の中で輝いている夕陽色のそれを見据える。
それは、【魔女】であった。
紀元前八十八年に降り立ち──けれどその体を幾千にも分かたれてしまった【魔女】の、〝核〟であった。
「〝時間の魔女〟──貴方はわたしを過去に送ったと同時に死んでしまう──けれど、わたしがこれを葉月言継さまに継承させた瞬間──貴方は、〝魔女〟ではなくただの〝人間〟として人生を歩んでおります。──なのでどうかご安心ください」
その憂いを帯びた微笑みに、けれど〝時間の魔女〟は何故だか安心できなかった。
「──〝慧眼──の──魔女〟──は?」
「……わたしは魔女に成らなかった葉月言継さまの子孫です。魔女と成った葉月言継さまは結婚こそすれど──子をもうけることはありません」
葉月言継。
本来ならば彼女が魔女に成ることはない。
魔女に成ることなく、平穏な人生を歩み──日本人の夫との間に子をもうけ、そうして家族に囲まれながら平穏な最期を迎えることになっている。
だが、そこに紡継は一石を投じてその人生を狂わせるつもりであった。
魔女に成るはずのない葉月言継を、魔女に成らせる。
「それ──って──」
「……ええ、わたしは消滅することになります。存在さえ、なかったことになります」
──けれどそれしかないのです、と紡継は憂う。
「この【魔女】を受け入れ──その上で全ての〝魔女〟を内包する〝器〟……それは葉月言継さましかいないのです」
魔女の夢を終わらせるには、これしかない──そう言って紡継は深い海色の眼差しを〝時間の魔女〟に向けた。
その深い、あまりにも深く──底の見えぬ海色に〝時間の魔女〟は逡巡しかけていた自分を抑え、覚悟を決めたように頷く。
「わか──った──どう──せ死ぬ──もの、座標──も──合わせ──るよ」
「ありがとう、〝時間の魔女〟……いいえ、ミュル」
「うう──ん──たの──しかっ──たよ──ツム」
ふたりの魔女は互いの額を合わせて微笑み合う。
そして〝時間の魔女〟が、白銀色に輝く巨大な魔法陣を練り上げた。己の命でもつて。
白銀色の魔法陣に彩られながら紡継は、血をその体から溢れさせている〝時間の魔女〟をまっすぐ見つめる。その視線に〝時間の魔女〟は満面の笑顔で応え──命を、削り切った。
「──いってらっしゃい、ツム!!」
その言葉を呼び水にして白銀色の魔法陣が紡継を絡め取るように収縮し、その体を包み込みひとつの繭となる。
紡継の視界も白銀色で染まり、〝時間の魔女〟の最期を見届けることは叶わなかった。それを惜しみながらも紡継はすぐ意識を切り替え、はるかな過去の葉月言継に想いを馳せる。
◆◇◆
冬の気配をかすかに帯びた風が落ち葉を踏み荒らすようになった季節の、ある日──その公園にはひとりの少女しかいなかった。
砂場で何かを作るでもなくただ砂の山を積み上げているだけの幼い少女。
四、五歳くらいだろうか。紫紺の仄かな煌めきを宿した紫黒色の長い髪をゆるく太い三つ編みにしておさげにしており、その髪と同じ紫黒色の虹彩は太陽光を受けて宝石のような輝きを見せている。
「♪ ♪ ♪」
楽しげにリズムを口ずさみながら砂を両手ですくっては砂山のてっぺんに落としているその少女以外に、公園に人の気配はない。
少女はひたすら砂をすくい上げては砂山にかけ、時折固めるように砂山を叩いてはまた砂をかけていく。この年頃の幼子というのはただ砂山を作るだけの作業でも、自分だけの宮殿を創り上げているかのような壮大さをその瞳に宿している。まるでそれが使命なのだと言わんばかりに砂山を高く高く、より高く築き上げることに熱中するのだ。
けれどそんな少女はふと、自分の築き上げた砂山に影が差し込んできたことに気付いて頭を上げる。
──そこにはひとりの、女性がいた。
少女と同じ紫黒色の髪をくるぶしまで伸ばしていて、その髪は波打つように揺蕩っている。女性の目は深い海色をしていて、憂いを帯びた表情で少女を見下ろしていた。
「……おねえさん、だーれ?」
「──はじめまして、葉月言継さま」
──そしてごめんなさい。
貴方に全てを、押し付けることになってしまう。
そう言って女性はスカートのすそを持ち上げて中にくるむようにしまい込んでいた夕陽色の美しい、宝石のような輝きを放つ何かを零した。
零して、少女の手のひらに落とす。
反射的に夕陽色の何かを受け取ってしまった少女はきょとんとしたように見下ろす──が、次の瞬間それが少女の胸を貫いた。
「あうぅっ!!」
少女が激痛に悲鳴を上げる──が、夕陽色のそれは少女の胸から抜けない。それどころかずぶりずぶりと、中に埋め込まれていく。
同時に、世界が震える。
世界の在り方が変わる。
同時に、未来が確定される。
未来がどうなるかが決まる。
同時に──葉月紡継の体がちりちりと、指先から塵になっていく。
葉月紡継というひとりの人間が存在するはずの未来が抹消される。
「──ごめんなさい、けれどどうか」
──魔女の夢を終わらせてください。
葉月紡継は、激痛に呻く葉月言継を見下ろしながら憂う。
たとえ自分の存在が消えることになろうとも、葉月紡継は終わらせたかった。〝魔女〟という存在により悲劇が生まれ、悲劇が連鎖し、そうして滅びゆく世界を変えたかった。葉月言継というひとりの人間を犠牲にしてでも──自分という存在を抹消してでも──葉月紡継は、魔女の夢を終わらせたかった。
「──どうか貴方の旅路に幸多からんことを」
これから永遠に循環してゆくことになる目の前の少女が少しでも幸福なひとときを得られることを願って、葉月紡継は消滅した。
光の粒子になって天に昇ることもなく。
〝死〟さえ迎えることなく。
──葉月紡継は、消滅した。
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────────────……誰も知らない物語。
これにて完結です。
ここまで読んでくださりありがとうございました!




