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  【魔女の夢が終わる日】




 ◆◇◆




 十年後。




「どうしましたの? そんなしょぼくれた顔をしまして、貧相娘。──ああ、貴方の娘が貴方に似て貧相なのを嘆いておりますのね?」

「違うっ!! あたしの娘はまだ八歳よっ!! それにしょぼくれてなんかないっ!! お土産よ、お土産持ってきたの!!」

「あら? ──そういえばロシアに行ったのでしたわね」


 娘の手を引いて家に訪れてきたカレンを迎えて言継は茶を用意する。


「ねーちゃ、はいおみやげ!」

「あら? ──マトリョーシカ人形とはまた──」


 ぐ、と言継の喉がいびつに鳴る。それにカレンは苦笑しながらありがとうって言っているわ、と娘に伝えた。


「ラストリアル副局長は?」

「今朝、猪に呼ばれて出掛けて行きましたわ。みっともなくわたくしに縋って行きたくないと咽んでおりましたわね」

「仲いいようで何より」


 カレンはくすりと笑い、けれどふと気になったように言継の体を見やる。


「ふたりならできるかなって思ったんだけどね」

「ああ、子どもですわね。──これでいいとわたくしは思いますわ」


 〝魔女〟は子を孕みにくい。

 それはひとえに、〝魔女〟の力が子宮に宿るからではないかと魔女学の権威である言継の兄、伝継は考えていた。決して子ができないというわけではないが、極端に孕みにくくなるのだ。そして〝魔女〟の力が女性にしか宿らないことから考えても、〝魔女〟の力は子宮に寄生するように宿ると考えられていた。

 だから言継とプライドの夫婦に子はいない。

 けれど言継はそれでもいいと考えていた。


「わたくしはこの先も生き続けることになりますもの──死んでなお生き続ける母親の姿なんて見せたくありませんし、これでいいですわ」

「ふ~ん。副局長は?」

傲慢プライド? 欲しがってはおりますけれど……年齢を考えてほしいものですわ。あんな枯れ木ごときがわたくしとの子を望むだなんておこがましい」

「今もラブラブってことね~」

「何でそうなりますの?」

「違うの?」

「違いませんけれど……生意気ですわよ、貧相なくせに」

「貧相ゆーな!!」

「ひんそー?」

「覚えなくていいわ! 大丈夫、あなたはボインになるわ」

「ぼいん?」

「哀れだとこと」


 鼻を鳴らして嗤う言継にカレンはうるさい、と舌を突き出しながら怒鳴った。

 ──その瞬間であった。


「あら?」


 軽快なメロディーとともに着信音を知らせる電話に言継はカレンたちから離れ、受話器を手に取った。


「もしもし?」

『言継。体調はいかがですか?』

「問題はなくってよ。誰かさん」

『ワタクシが分からぬとは薄情な妻ですな?』

「名乗らないような無礼な人を夫に持った覚えはなくってよ──それで?」

『〝魔女〟の継承依頼です。次代へ継承する前に脳梗塞を起こしてしまったとのことです』

「わかりましたわ。──何処に行くの?」

『カナダです。なので今夜の飛行機には乗ります。準備をしてワタクシが帰るのを待っていてください』

「ええ。このわたくしを飛行機に乗せるのですもの、当然ファーストクラスでしょうね?」

『当然ですよ。愛しております』


 ──と、そのひとことを最後に電話を切ったプライドに言継は片眉を上げながら受話器を戻す。


「相変わらず不躾なご老人ですこと」

「──とか言いながら嬉しそうよ? ねー?」

「ねー」

「黙りなさい貧相母娘」

「貧相ゆーな!!」

「うふふ」


 言継は、嗤う。


 ──とても平穏な、日々。




 ◆◇◆




 二十年後。




 老いてなお背筋を曲げることなくまっすぐ伸ばしているプライドに、年を取ることなく若く美しいままの言継が寄り添う。さらりと、言継の背中で一本にまとめられた紫黒色の三つ編みが揺れる。


「体調は問題ありませんか?」

「貴方、それ今日三回目でしてよ。──もう大丈夫ですわ」


 ついゆうべ、封印の老朽化により甦り、暴走していた〝魔女〟から力を継承した言継は一晩中高熱にうなされていた。

 言継が〝魔女〟と成って三十六年。──見た目には若く美しい少女であるが、既に四十歳を迎えていた。そしてその体にはもう数え切れぬほどの〝魔女〟を、内包している。

 ──ただの人間である言継の体には大きすぎる、重すぎる力を。


「少しペースを落としましょう」

「落としたってどちらにしろいずれは継承しなければなりませんのよ?」

「ワタクシが生きている間には貴方にも生きて、存分に幸福になってもらわなければなりませんから」


 プライドはそう言って言継の腰を抱き寄せ、触れるだけの口付けを落とした。

 結婚して二十年。──あの偏屈で生真面目なプライドからは想像できぬほど、プライドは言継のことを深い愛情で包み込んでくれていた。

 ──この先己が寄り添うことのできぬ八百年近くの年月を埋めるように。


「……傲慢プライド


 言継は、やはり嘲ることしかできぬ己の口元を呪う。やはりまともに名を呼ぶことさえ叶わぬ己の喉を呪う。けれどプライドはそんな言継の嘲りごと、全て愛しむように微笑んだ。


「週末は何処に行きましょうかね」

「……貴方ももういい歳なのですからゆったりとした船旅くらいしかできないのではなくって?」

「船旅ですか。ふむ、世界一周のクルーズに出るのもいいですね」

「お兄ちゃんも行きたい」

「貴方は引っ込んでいなさい愚兄」


 言継とプライドの間に割り入るようににょっきりと現れた伝継に言継は冷たい声を浴びせる。本気で。


「貴方はアメリカで講演でしょう、葉月」

「ぐっ……」


 五十を過ぎて男盛りに磨きがかかり、老若男女問わず幅広い層から支持を得るようになった学者である伝継は日々世界を飛び回り、〝魔女〟についての理解を求めて講演をしている。だがそうなっても言継へのシスコンぶりは不変で、暇さえあれば言継とプライドの邪魔をしに行ってこうして言継に罵倒されていた。


「──ところでお兄様、貴方がまた彼女と別れたってわんわんから聞きましたけれど?」

「あ? 王のやつ告げ口しやがったのか……まぁな」

「どうせ貴方がわたくしのことばかり気に掛けているのを咎められたからでございましょう? ──シスコン・マザコンな男は嫌われましてよ」

「ああ。それでいいんだ。──俺はお前が八百年間滞りなく在り続けられるようにすると決めた。それをシスコンだなんだつって怒るやつと添い遂げるつもりはねぇよ」


 そう言う伝継の目は、確固たる信念に満ちていた。

 ──かつて八百年生きることを決め、覚悟した言継とそっくり同じ、目であった。


「…………本当にどうしようもない愚兄ですこと」

「〝お兄ちゃんのばか、ありがとう、大好きっ〟だな、お兄ちゃん分かってるぜ」

「大好きは余計ですわ」

「大好き以外は正解と」

「黙りなさい傲慢プライド


 ──と、そこで弛緩したように伝継とプライドは笑い、言継は嗤った。

 

 ──とても平穏な、日々。




 ◆◇◆




 四十年後。




 言継は、嗤う。


「情けないですわね──たかだか九十歳でもう限界ですの?」

「──礼など不要です。ワタクシとしては百二十あたりまで貴方と添い遂げるつもりだったのですがね」

「まあ。そんな干乾びたスルメになってまでわたくしの隣に立とうだなんておこがましいこと」

「──泣かないでください」


 言継は、嗤う。

 ──その膝にすっかり痩せ衰え、起き上がることさえ叶わぬ体となってしまったプライドの頭を載せて。

 言継は、嗤う。


「──本当に泣き虫ですね、貴方は」

「泣いてなどおりませんわ。妄想も大概になさい」


 言継は、嗤う。

 ──嗤うことしかできない。

 だがプライドには分かっていた。言継のその紫黒色の目からは大量の、目に見えぬ涙が次から次へと溢れ出してきていることを。

 プライドは愛おしそうに言継を見上げて微笑み、その頬にもはや感覚のほとんどない手を震わせながら伸ばす。

 その手を言継の若々しく美しい、少女の手が包み込んで愛しむように頬ずりする。


「言継」

「なあに? 傲慢プライド




「──八百年後、迎えに行きます」




 ──愛しておりますよ、言継。


 その言葉を遺して、プライドは瞼を閉じ──融け込むように眠りについた。

 途端にずしりと重くなった手を、それでも握り締めたまま言継は嗤う。

 やはり──嗤った。


「──あラ?」


 ぽたりと、膝元のプライドの頬に赤い雫が落ちて言継は首を傾げる。そしてああ、と合点がついたように自分のまなじりに触れた。

 血の涙が、零れ落ちていた。


 ──この瞬間言継の体もまた限界を迎え、人間としての死を迎えていた。


 ──だが言継は狂わない。狂うわけにはいかなかった。狂うことを赦すわけにはいかなかった。

 強靭な精神でもつて。

 屈強な理性でもつて。

 強硬な信念でもつて。

 剛強な覚悟でもつて。

 ──幸福な記憶でもつて。

 ──最期の約束で、もつて。

 ──言継は己の〝死〟を呑み込んで暴れ狂わんと蠢く〝魔女〟を抑えつけた。


 魔女の夢は、まだ終わらない。


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