③
◆◇◆
「うべっ!!」
べちゃりと、公園の砂浜にカレンの顔面が突っ込む。
「──っ」
くたりと膝を折って倒れそうになった言継の体を伝継が慌てて支え、カレンの方も王が慌てて立ち上がらせた。
「ここは……さっきの公園……いや、少し様子が違うのう」
「はぁ……はぁ……けほっ、今の──わたくしたちの時代の、公園ですわ。こほっ、わたくしはあの【魔女】と違って時間軸どころか座標位置まで操作するだなんてできませんから……ああ、忌々しい」
「じゃあここは俺たちの時代なんだな。──帰って、きたのか」
──帰ってきてしまったのか、と伝継は苦しそうに唸る。
「そんな不細工な顔をなさらないでくださる? お兄様──まだまだこれからですのよ?」
伝継から離れて深呼吸をしながら言継は嗤う。
やはり──嗤う。
それを伝継は苦しそうな顔で見つめ、カレンたちも何とも言えぬ神妙な面持ちで見つめる。ただひとり──プライドだけは言継に背を向けて何かを案じているようだった。
「傲慢? 時間軸移動の衝撃で痴呆がとうとう始まりまして?」
「言継」
プライドは緩慢な動作で言継を振り返ってそのアイスブルー色の目をまっすぐ言継に向ける。何かの決意に満ちた──芯の在る、強い眼差しだった。
薄氷と言うよりはもはや青白い炎。全てを焼き尽くす完全燃焼の炎。それが言継を燻り焦がし焼き尽くさんと、見据えていた。
言継の紫黒色の目が動揺に揺れる。
「……傲慢?」
「貴方、ワタクシと結婚なさい」
「──は」
──え?
と、言継の目が点になる。その口元はやはり嘲りが浮かんだままであったが。
カレンのきゃっという小さな悲鳴と、伝継のごはっという吐血めいた悲鳴が混ざって聞こえてきたかと思えば次の瞬間には伝継が倒れていた。だが言継にはそんなことを気にする余裕など、なかった。
「……は……え……えっ? け……っこ……え?」
「いいですね。ドイツに帰りましたら手続きをしましょうか」
「えっ……はっ……え?」
嘲りが言継の意志とは関係なしに這って出ようとするも、動揺しきってしまった言継の声帯はそれを声にしてくれない。
〝魔女〟さえ凌駕するほどの動揺であった。
「なんっ……なんっ」
「……? 何です? はっきり言いなさい」
その物言いがようやく言継の動揺しきった精神を少し落ち着けてくれたのか、言継はきゅっと眉間に皺を寄せてプライドを睨む。──その頬を赤く染めたまま。
「いきなり何かと思えば何ですの!? このわたくしが貴方ごときと結婚? 枯れ木と? 枯れ果てたご老人と? セクハラもいいところですわ、おぞましい!」
「貴方、ワタクシを愛していますでしょう」
「ふぁ」
「ワタクシも貴方を愛しておりますよ。何ら問題ございませんでしょう」
「ふぇ」
──またもや〝魔女〟を動揺が上回り、言継の口元には嘲りが浮かんだままにせよ言継は動揺しきった顔で何をどう言えばいいのか分からず目を回していた。
茹で蛸と化した言継をそのままに、プライドは冷静な面持ちでオセロットの方に視線を向ける。
「さて、ドイツに帰らなければなりませんね。今後のことを考える必要があります──オセロット。携帯は?」
「壊れてもうたわそんなん」
「でしょうね」
プライドはため息を吐き、倒れている伝継に冷たい視線を向けて起きなさいとこれまた冷たい声を浴びせかけた。
「おいおい……仮にもお嬢ちゃんの保護者じゃぞ。わしが妻の父君に挨拶に行ったときなんかのう……」
「認めて貰えなければ奪い去るだけです」
「ふわ」
「……もうやめちょけ。ツタが死にそうじゃしお嬢ちゃんが爆発しそうじゃ」
カレンはきゃあきゃあ楽しんじょるし王はニヤついちょる──そう言ってオセロットは苦笑しながら伝継の横にしゃがみ込み、瀕死の伝継の頬をむにむにと引っ張る。
「とりあえずどこかで休まんか? 休みがてらドイツに連絡取って帰らにゃあの」
「……ガランガル隊長、俺はもう駄目です」
「お前が駄目でもお嬢ちゃんは行ってしもうてるぞ?」
そう言ってオセロットが指差した先には、プライドに腕を掴まれて引き摺られるように歩きながら公園の出入口へと向かっていく言継の姿があった。
「ダメェエエェェェ!!」
跳ねるように垂直に飛び上がった伝継は全力疾走で言継とプライドの繋がれている腕を引き裂きにかかる。そのあまりの勢いに言継がビクッと肩を跳ねさせた。もはやモンスターである。
「復活したならばよろしい。葉月、休める場所はありますか?」
「はなっ、離しなさいお兄様っ! おっさん臭いですわ!!」
「おっさんじゃない! ──確かファミレスがあったはずです。ひとまずそこで休みましょう。ドイツへの連絡もその時にします」
──そうして一行はファミレスに移動し、休憩がてらもう随分取っていなかった食事をすることになったのだが──店員に案内されて席に着いた瞬間、一気に疲れが押し寄せてきたようで一行は雪崩れ落ちるように背中を背凭れに預けた。
武器を携帯しており、おまけに言継の魔力が枯渇寸前であったために再生しきっていないぼろぼろの服のままであったために店員に通報されかけたというのはここだけの話である。WHOであることを示す腕章をオセロットが持っていなければ逮捕されていたところであった。
「ああぁ……つか、れたぁ」
「……本当に、私たちは戦って……帰って、きたのですかね?」
机に突っ伏して大きなため息を零すカレンの隣で王が不安そうに表情を曇らせた。未来の世界へ行き、未来の人間たちに歓迎され、未来の魔女の元へ案内され、数多の魔女と戦い、原初の魔女と戦い──果てには過去に飛びさえした。
あまりにも目まぐるしすぎて夢だと思うのも仕方ないというものである。
だが、夢ではない。
夢では──ないのだ。
残念ながら──夢ではないのだ。
「──……現実ですわ。紛うこごなく、紛れもなく現実ですわ」
〝未来の魔女〟エンド。
〝原初の魔女〟エイト。
全ての〝魔女〟を継承しきった【魔女】──それは、葉月言継であった。
八百年という年月をかけて全ての魔女から力を継承し、【魔女】と成った葉月言継であったのである。
「全くもって情けないことですわね。七十億も人類がいておいて、わたくしただひとりに頼らなければ〝魔女〟を滅ぼせないだなんて」
「…………言継」
伝継が疲れたような──いや、実際疲れているのだろう。ひどく顔色の悪い顔で昏い声を出す。
「本当に……やる、のか? 別にお前がそんなことをやらなくても……」
「やりますわ」
そう、決めましたの。
──そう言う言継の目は確固たる信念に満ちていた。嘲りこそ崩れないが、その嘲りを塗り潰してしまうほどに強い──強すぎる覚悟に満ちていた。
「でも……八百年なんて無茶よ! あんた二十歳でしょ? 老衰だとしてあと六十年か七十年よ! 死んじゃったら魔女は──」
人間は死ぬが魔女は死なない。
ゆえに人間の肉体が死を迎えようと魔女の力がそれを赦さない。ゆえに死なない。死ねない。生きながらに死に続ける。生ける屍となる。
ゆえに魔女は狂う。
「あら? 貧相娘、貴方未来で何を見て?」
──立派に発展した都市があったではありませんか。
そう言って嘲る言継にカレンははっとしたように未来の世界のことを思い出す。
確かに、未来の世界では〝死を迎えて暴走した魔女〟による被害を受けた様子がなかった。それどころか──未来に住まう人間たちみな、魔女のことを尊敬しているようであった。
そして何より。
──夕陽色の塔で実際にまみえた【魔女】は、自我こそ失っていれど理性のある魔女であった。
「さすがはわたくしといったところかしら? わたくしでなくては成し遂げない偉業ですわね。貴方たちは跪いてわたくしを崇拝すべきでしてよ」
「…………」
「──もう分かっているのでしょう? これしかないのですわ」
〝魔女〟を滅ぼすには、これしかない。
葉月言継が【魔女】から力を継承する。葉月言継は〝魔女〟の力を継承してひとつにしていく。全てをひとつにした葉月言継は〝魔女〟に生命を吹き込んでプライドたち一行に全て滅ぼさせる。そうして【魔女】しか残らなくなった葉月言継は過去に飛び、幼い葉月言継に【魔女】の力を継承して、死ぬ。
──循環。
──ループ。
──繰り返し。
──終わらない連鎖。
──終わることのない〝時間〟の牢獄。
その中に【魔女】を封じ込めるしか──倒す術がないのだ。
「全く、死なない存在を滅ぼすというのはこんなにも苦労することなのですわね」
「…………」
「それに……貴方、分かっていまして? 何も苦労することになるのはわたくしだけじゃなくってよ。なにわたくしひとりに押し付けようとしているのかしら?」
「え?」
きょとんとするカレンに言継は鼻で嗤う。それにカレンがむっとするのも束の間、言継から伝継を挟んだ席に座っていたプライドが口を開いた。
「未来の世界は魔女に対する忌避がなく、それどころか魔女を支援する体制が整っておりました」
「あ、確かに……あっ、そっか」
──あたしたちが今から変えていかないとだめなんだ。
そう言ったカレンにプライドは頷き、オセロットも元気よく親指を立てて笑った。
「そういうことじゃの!! ──お嬢ちゃんが覚悟を決めたんじゃったら、わしらもそれに応えにゃあならん」
オセロットはそう言って伝継に視線を向ける。
「ツタ、お前が要になる。こん中で〝魔女〟について一番知っちょるんはお前じゃけぇの──体制を変えるんはわしとプライドがやるが、世論を変えるにゃあお前が要にならにゃあならん」
「──ええ。分かっています」
伝継はぎゅっと眉間に皺を寄せて言継の頭を胸に抱え込み、言継が喚くのも構わずその頭を胸に押し付けた。
伝継はいずれ死ぬ。いくら医療技術が発展しようと、不死はありえない。〝魔女〟でさえあのいびつな不死っぷりなのだ──人間が夢見る不老不死などあるわけがない。
だから伝継は死ぬ。言継を置いて、死ぬことになる。
だから、と伝継は目をきつく閉じた。
「──せめてお前が、余計なことに手を患うことなくただ目的だけを目指せるよう、やるよ」
──〝兄〟として妹に遺せるのは、それしかないから。
そんな伝継の小さな、けれど言継の覚悟と何ら変わらない決意に満ちた声に言継は伝継に抱きかかえこまれたまま、静かに頷く。
──魔女の夢が終わる日を夢見て、現在を生き抜く。
【最期の魔女】




