十一 【嘲りの魔女】
銀河という銀河を凝縮し、軟体動物のように蠢いている常闇の宇宙に浮かべた不安定な形状の【魔女】エイト。
その体の中心部には今、制圧隊の面々に囲まれながら腰に手を当てて立っている葉月言継とは異なる、けれど明らかに同一個体の葉月言継が埋め込まれていた。
遠目でも分かる。その葉月言継は、死んでいた。死んでいる。どうしようもなく──死んでいる。
死体だった。亡骸であった。屍である。ただの、屍。
「ど──どういうこと!? ねぇっ……どういうこと!?」
「どういうことも何も……言った通りですわ。〝未来の魔女〟エンドはこのわたくし、葉月言継の未来の──八百年後の姿ですわ」
そして、と言継は嘲笑を浮かべる。
「どうやらわたくしの中にいる〝魔女〟──〝言葉の魔女〟の正体は【魔女】エイトだったようですわね」
「…………それ、は……」
伝継が色の失せた、血の気の引いた顔で言継の顔を見やる。その震えている唇に言継はくすりと嗤う。
「何を怯えていますの? お兄様──みっともなくってよ。それよりも目の前の敵に集中しなさいな」
葉月言継という人間の器の中に在り続けていた【魔女】──これを倒さなければ終わりませんわよ。
そう言って言継は両手を閃かせ、不協和音を口にする。
紫色の魔法陣が制圧隊の面々の体に刻み込まれ、その身体能力を押し上げていく。
「【魔女】はこれまでの〝魔女〟と違って純粋な生命体ではありませんわ。従来の〝魔女〟と同じ──人間の、葉月言継の体に〝魔女〟の力が入っただけのもの」
人間は死ぬが魔女は死なない。
だからあの【魔女】はおそらく死なない──そう言って言継は目を細め、【魔女】をねめつける。
「今、おそらくあの【魔女】エイトは焦っている。焦って、葉月言継を押し退けて出てきたんですわ──」
「…………自分の元に戻ってきたはずの、八千八百八十七体分の〝魔女〟の力が、消えたからか」
「正解ですわお兄様、花まるマークを付けてさしあげますわ」
〝未来の魔女〟エンド──改め、〝嘲りの魔女〟葉月言継。
彼女は八百年もの年月をかけて世界中のありとあらゆる〝魔女〟の力を継承した。全てをひとつに、と謳った言葉の通りに。
けれど今──葉月言継の、【魔女】の中には〝魔女〟がひとつしかない。〝原初の魔女〟エイトただひとつしか、残っていない。
何故ならば八百年かけて集めてきた〝魔女〟は全て制圧隊が殺したのだから。
何故今の今まで出てこなかったのか定かではないが──何にせよ、今【魔女】エイトは焦っている。自分に戻ってきたはずの力が全て死に絶えてしまったことに焦り──葉月言継を、〝未来の魔女〟エンドを押し退けて今ここに現れた。
「あれを叩きのめしてもう一度〝未来の魔女〟エンドに戻すのですわ──それで、おそらく終わる」
全てが、終わる。
──そう言って言継は、やはり嗤った。
「…………」
カレンは色の失せた顔で茫然とサブマシンガンを握り締めた腕を力なく垂らす。
「…………」
王は蒼褪めた表情でノズルを【魔女】に──葉月言継に向けていいものかどうか迷っている。
「…………」
オセロットは沈痛そうに目を伏せて歯を食い縛り、機関銃を震える手で構える。
「…………」
伝継は、絶望にまみれた顔で言継の──妹の顔を見つめていた。
「…………それでも、貴方は揺らがないのですね」
プライドは──言継の前に立っているためにその表情は窺えないが、その声はとてもか細く今にも消え入りそうであった。
「ええ」
言継はプライドの言葉に首肯して、嘲る。
その紫黒色の目に迷いはかけらもない。嘲りしか浮かべられぬその口元とは比べ物にならないほど澄み切った──何処までも美しく、果てしなく煌めいている。まるで夕陽が沈み切って闇夜が忍び寄ろうとしている薄明の刻のように。
「──貴方たち、しょぼくれていないでさっさと動いてくださらないかしら? 早く【魔女】を抑えてくださらないとあの葉月言継は苦しみ続けるままですのよ?」
「……!」
伝継ははっとしたように【魔女】の中にいる葉月言継に視線を向ける。
その肌に色はない。唇は青白く、その瞼は閉じられていて開く気配はない。言継自慢の長く太い三つ編みもくすんで色褪せてしまっている。
死んでいる。明らかに、死んでいる。
だが──人間は死ぬが魔女は死なないのだ。
あの状態であっても、葉月言継はまだ死んでいないのだ。生ける屍として、永遠の苦痛の中にいるのだ。
「っ……」
伝継は零れ落ちそうになる涙を堪え、震える手でショットガンを構える。それでいいのです、と言継の優しい声が鼓膜を撫ぜた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
怒りだろうか。哀しみだろうか。焦りだろうか。
意味のない不協和音を上げて常闇の触手を振り回しながら【魔女】が常闇色の魔法陣を展開してきた。
瞬時に言継が紫色の魔法陣を展開し、常闇色の魔法陣から大瀑布の如く押し寄せてきた闇を防ぐ。だがびしりびしりと紫色の魔法陣にひびが入り、そのひびから零れ落ちてきた闇が言継の手に落ち──じゅわりと、焼け爛れた。
「あァッ……!!」
「言継!! ──酸か!!」
「王!! 威力最大で液体窒素を噴出しなさい!!」
「はい!!」
闇をも白く凍らせる極寒の如き絶対零度。
言継の補助を受けたことによって増強された王のノズルが言継の築いた魔法陣ごと、闇を凍て付かせた。
即座にオセロットとカレン、伝継の三人が天に向けて銃火器を爆ぜさせる。大気が痺れるほどの轟音を聞きながら言継は焼け爛れた手を再生させる。
「先に行きます!! 貴方たちはこの氷を破壊していなさい!!」
オセロットたちが銃火器を爆ぜさせたことによって砕け散り、割れた氷の隙間からプライドが駆け上って【魔女】の元へ駆けた。それに追従するようにオセロットたちは銃火器を爆ぜさせ続けて氷を破壊していく。
「■■」
どごんっ、と音を立てて言継たちを覆い尽くしていた氷が一斉に爆ぜた。
伝継がはっとしたように言継を振り返って無茶をするなと怒鳴るが、言継はそれに対してさらに怒鳴り返した。
「温存している場合ですの!? ──こんな氷如きに手間取っている場合ではありませんわ!!」
言継はぱん、と両手を叩いてさらに大きな魔法陣を展開する。
「■■■■」
その不協和音と同時に魔法陣がプライドと戦闘を繰り広げていた【魔女】の元へ移動し、その体を覆い尽くす。
と、次の瞬間にはがちりと【魔女】の体が停まった。それを見てプライドがはっと背後を振り返る。
「がふっ」
言継は吐血し、胸を押さえる──だが倒れはしない。倒れず、意志の強い眼差しでまっすぐ【魔女】をねめつける。
プライドはぎりっと歯軋りして視線を【魔女】に戻して仕込み杖で斬り掛かる。
「王!! ──液体窒素をぶっ放せ!!」
「っ、でもあの【魔女】には言継さんの──」
「いいからぶっ放せ!! ──終わらせるんだ!! 言継のために!!」
「っ……分かりました!!」
王は逡巡するようにノズルを握る手を震わせ、けれど意を決したように葉月言継の死体ごと【魔女】の体を凍らせる。同時に、オセロットたちの銃火器が爆音を立てて爆ぜた。
「──■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
ばきりと【魔女】を抑えていた魔法陣が破壊され、【魔女】が呻き声のようにも聞こえる不協和音を上げながらぐじゅぐじゅに崩れてしまった触手を振り回す。
「げふっ……■■……ごほごほっ!!」
「言継!! ワタクシから奪いなさい!!」
「っ……■■■■!!」
いつの間にか言継の隣にまで後退してきていたプライドにそう一喝され、言継が息も絶え絶えに不協和音を口にすると同時にプライドはその唇を奪った。
「──全力でやってしまいなさい!!」
「■■」
言継の練り上げた鮮やかな紫色の魔法陣──それが夕陽色の空を覆い尽くす。
【魔女】がそれを見上げるように崩れた触手を振り上げて不協和音を上げ、常闇色の魔法陣を練り上げる。
けれどその魔法陣が完成しきる前に紫色の魔法陣から紫黒色の鉄槌が堕ちた。
塔が、揺れる。
夕陽色の世界が、揺れる。
けれど言継はまた──叫ぶ。
「──傲慢!! トドメを刺してあげて!!」
「!?」
揺れる世界に体勢を崩さぬよう保っていたところに掛かってきた言葉にプライドは怪訝そうな顔をし、【魔女】に視線を向ける。
【魔女】を圧し潰したはずの鉄槌はいつのまにか飛散しており、そこには圧し潰されて見るも無残な有様となっている【魔女】エイトと──その中から這い出ようともがいている、葉月言継の亡骸があった。
もがいてはいるが、そこに自我はない。意志はない。意識も、思考も、感情も、何もない。既に死んでいる──けれど死に切れていない、ただの死体である。
〝死〟を迎えたくとも葉月言継の体にいる【魔女】エイトがそれを赦してくれない。死ねない。死にきれない。ゆえに、もがく。ただ死にたくてもがく。
「──……」
ふと、葉月言継の死んで蝋細工のようになってしまった虚ろな紫黒色の目がプライドを向く。
プライドをまっすぐ──見据える。
死してなお、嘲りから解放されぬその顔でプライドをただただ、見つめる。
「…………分かりました」
プライドは、駆け出す。
右手に魔法陣も何も載せておらぬ、ただの仕込み杖を構えて。
「────すみません」
それは何に対する謝罪なのか。
プライド自身でも分からぬまま、プライドは剣の切っ先をまっすぐ葉月言継の胸に突き刺した。
かふ、と葉月言継の口からもはや血とは呼べぬ、かつては血であっただろう腐り果てた何かが零れ落ちる。
──けれど葉月言継は、満足そうだった。
満足そうに──プライドをまっすぐ眺めて、目を細めていた。
「──■■■■■■」
「……!」
次の瞬間──夕陽色の世界が、脈打った。
どくん、どくん、どくんと脈打つ。夕陽色の空が脈打つ。夕陽色の海が脈打つ。夕陽色の大地が脈打つ。夕陽色の塔が脈打つ。夕陽色の──夕陽が脈打つ。
「えっ!? な、なにっ!?」
「……人間は死ぬけれど魔女は死なない。あの葉月言継も例外ではありませんわ──傲慢がトドメを刺してくださったおかげで【魔女】エイトからの支配は抜け出せたようですけれど、それでは終わりませんのよ」
脈打つ世界の中で言継は冷静にそう言い、制圧隊の面々に自分の傍に集まるよう言う。
「何が起きるんじゃ?」
「時間軸移動ですわ」
何でもないことのように言継が口にしたその言葉、それにプライドと伝継のふたりは目を伏せる。──どうやら察して、いたようだ。
「時間軸移動って……いつに?」
「行けば分かりますわ。これだけ広範囲ですもの──わたくしたちも巻き込まれることは必至。精々、時間のはざまに取り残されないようしっかりわたくしに掴まっていることね」
その言葉に怯えてか、がしっとカレンの手が言継の腕を掴む。それに続いて他の制圧隊の面々も言継の体に掴まり、時間軸移動に備えた。
「■■■■」
どくりと、夕陽色の世界がひときわ強く脈打って──融解する。
世界が、融ける。融けて混ざり合ってひとつの巨大な魔法陣となり──葉月言継ごと、言継たちを包み込む。




