十 【原初の魔女】
言継の魔法によって夕陽色の海を渡り、塔へ降り立った一行は天高く聳え立つ塔を見上げる。
「た……高いわね」
「一体何階あるんじゃろうか……」
「気が遠くなりますね……」
「あら? 何故かしら?」
塔を見上げて口を半開きにしていたカレンとオセロット、王に言継はさも馬鹿でも見たかのような顔で嘲る。
「ああ、一階一階登りたいのでしたらどうぞご自由に? わたくしは普通に飛んでいかせてもらいますわ」
「えっ!! あっ、そっか。大人しく登る必要はないんだ……」
「可哀想で涙が零れますわ。脳に行き届かなかった分の栄養がせめて発育に回れば……」
「だまれうしちちっ!」
キィー! と腕を振り回すカレンを王が背後から抱えてどうどう、と宥めている間に言継は天を仰いで嘲り──両手を広げる。
「待ちなさい。──その前に生命力の補充が常時行われるようにしておきなさい」
「…………」
「嫌だとは言わせませんよ。この戦い、貴方のサポートが要になるのです。補充と再生、それに増強。貴方は死なぬことを最優先にワタクシたちのサポートに徹するのです」
「ラストリアル副長の言う通りだ。言継、お前の攻撃は確かに万能で多彩、かつ強力だ。だが諸刃の剣すぎる──攻撃は俺たちがやる。いいな?」
言継はむう、と嘲りながら眉間に皺を寄せてプライドと伝継を睨む。だがふたりとも真摯な眼差しで言継を見るばかりで、決して譲らぬことを悟った言継は不機嫌そうにプライドの胸に手を置いた。
「枯らしてやりますわ」
「貴方にならいいですよ」
「言継を動揺させるようなこと言うの禁止。お兄ちゃん認めません。──言継、俺からも」
「お兄様のような貧弱インテリは引っ込んでいなさい」
プライドの体に紫色の魔法陣を刻み込んだ言継は伝継を一蹴して身を翻し、ほんの少しだけ熱い頬をぽふぽふ叩きながら再度、天を仰いだ。
「■■」
「わっ!」「うお!」「おおっ」
小さな悲鳴とともに言継たちの体が浮かび、言継はさらに不協和音を口にして自分たちの体に風を纏わせ、塔の壁を滑るように昇り始めた。
◆◇◆
それは、魔女だった。
魔女以外の何者でもなければ魔女以外の何物でもない。
それは、魔女だった。
「あれが……〝未来の魔女〟エンド」
誰かが、囁く。
そう──夕陽色の世界に佇む夕陽色の塔、その頂上。頂点。頂天。
そこに、それはいた。
夕陽色の髪。夕陽色の目。夕陽色の唇。夕陽色のドレス。夕陽色の爪──何もかもが夕陽色で染め尽くされている、それがいた。
「■■■■■■」
不協和音。
金属と金属が擦れ合うような。
硝子と硝子がかち合うような。
布地と布地が滑り合うような。
水滴と水滴が弾け合うような。
聞いていて不快になるような。
聞いていて心落ち着くような。
両極端を凝縮し圧縮しきった。
定まることのない不安定な音。
いびつで歪んだ声。不協和音。
──それは、立ち上がる。
「■■■■」
それは、嗤う。
夕陽色の唇を裂けさせて、嗤う。唇の隙間からは鋭く尖った牙が覗いている。それが動くたびに夕陽色のドレスが風にそよいで揺れ動く夕焼け空のように揺れる。夕陽色の髪も夕焼けに波打つ海のようにさざ波を立てる。そして、それの頭にある二本の羊のような、これまた夕陽色の角がそれの動きに合わせて仄かに夕陽の煌めきを帯びる。
それは、【魔女】であった。
【魔女】は夕陽色の目をまっすぐ──揺らめく体で、揺らぐことなくまっすぐ──プライドを見据えている。
「…………」
そんな【魔女】を前に〝魔女〟である言継は嘲りながら沈黙を守る。その紫黒色の目で【魔女】をまっすぐ見据えたまま。
ふたりの魔女の視線は交わらない。繋がらない。線にならない。
「……〝未来の魔女〟エンド。既に死んでいる魔女──そうでしたね?」
「ええ。間違いなく死んでいますわ」
「……だが理性は……失っていないようだ。自我があるのかどうかは定かではないが……少なくとも、他の暴走魔女のように〝人型〟を失いはしてない」
【魔女】エンド。未来の魔女であり、夕陽の魔女であり、全能の魔女であり、死りの魔女。既に死んでいる、魔女。
けれど暴走はしていない。人型も保っている。──意識と意志、そして自我が残っているのかどうかは定かではないがともあれ、言継たちがこれまでに面してきた暴走魔女とは明らかに違っていた。
【魔女】は嗤う。
「■■■■■■」
【魔女】は嘲る。
「■■■■■■」
【魔女】は──紡ぐ。
「■■■■」
「!! 来ますわよ!!」
【魔女】が不協和音とともに夕陽色の魔法陣を展開したのを見て言継もまた、不協和音を口にしてプライドたちの保護と増強を図る。
プライドたちが武器を構え、矛先を【魔女】に定めるのと同時に展開されていた夕陽色の魔法陣が収縮して【魔女】の中に吸い込まれていく。
次の瞬間、【魔女】の腹が裂けた。
「えっ!?」
【魔女】の腹から人間と変わらぬ、何処までも赤く鮮やかな鮮血が噴き出して【魔女】の体を赤く染めていく。けれど【魔女】は、嗤う。それでも嗤う。
──嗤うことしかできぬ言継と同じように。
「…………」
言継はきゅっと眉を顰める。
そうこうしている間に【魔女】の裂けた腹から──錆色の塊が生まれ落ちた。ずるりと腹から這い出てきた錆色のそれはゆらりと鎌首をもたげるように起き上がり──言葉になっておらぬ不協和音を上げる。
「……!? あれは──〝腐蝕の魔女〟!!」
地面を這い、這った後を腐らせながらこちらに近付いてくる錆色のゴーレムのようなもの──それに言継が驚きの声を上げた。
かつて龍國大学の図書館で戦い、その力を継承した〝図書館の魔女〟の成れの果てである錆人形、それであった。
「腐蝕の魔女って……ツタの妹が日本で継承したっていう魔女よね?」
「ええ。……何故そんなものを造り出してきたのかは知りませんけれど……あの腐蝕は放っておくとまずいですわ──空気さえも腐らせることができますのよ」
「わけわからんが……迷うちょる暇はないのぉ! カレン、ツタ!! 撃つぞ!!」
「わかった」「ああ」
銃火器チームが一歩前に出て一列になる。その背後から言継が銃火器に不協和音を吹きかけるのと同時に、夕陽色に支配されたそこが咲き乱れる。苛烈かつ熾烈な紅焔の花びらであたり一面が染め尽くされ、夕陽色の寂寞さを塗り潰さんと激烈かつ猛烈な爆炎の轟音があたり一帯を支配し尽くす。
「! ──止めなさい!! 様子がおかしい!」
プライドの鋭い一声にオセロットたちは銃火器の銃口を天に向けて掃射を止める。途端にそれまで咲き誇っていた紅焔の花吹雪が消え失せ──そこには、蜂の巣となった錆人形だけが残されていた。全身に風穴を開けながら軋んでいる錆人形の背後では【魔女】が相変わらず嘲っていて──その体に傷付いた様子はない。唯一、錆人形が這い出てきた腹部だけが無残に裂けているだけだ。
──そしてごじゃりと、錆人形が崩れ落ちるように地面に散らばった。
散らばって、砕けた。
硝子のように。
胡蝶の夢のように。
──光の粒子となって、消え失せた。
「……!? ……──死んだ?」
茫然としたような声が隣から聞こえてきてプライドが視線を向けると、言継が信じられないような目で錆人形のいた場所を凝視していた。
けれど【魔女】は思考する隙を与えない。
「■■■■」
今度は【魔女】の胸から血が噴き出す。そして、憤怒の形相を浮かべる頭部で構築された巨大な十字架──〝十字架の魔女〟がそこから這い出てきた。
「今度は〝十字架の魔女〟!? ──どうなってるの!?」
「…………」
カレンの喚きに、言継は反応しない。
ただただ目を見開いて──【魔女】を凝視する。




