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◆◇◆
天歴八十八年──西暦が廃止され、新たに天歴として暦が刻まれるようになってちょうど八十八年の晩秋。
「エンドさまは東の大海洋を支配領域とされておられます。海の上に巨大な塔を建てられ……そこにお住まいでございます」
エイリスに連れられ、円状のソファーに淡い水色の膜が張られたような乗り物に乗せられた言継一行は〝未来の魔女〟エンドがいるという東の大海洋──八百年前の言継たちの時代で言う太平洋に向けて移動していた。
振動も風もなく、それどころか運転手もなく滑るように移動する円状のソファーにカレンと王、そしてオセロットが忙しなく視線を彷徨わせている中、プライドと言継、伝継の三人はエイリスに〝未来の魔女〟エンドについて尋ねていた。
「〝未来の魔女〟エンドは既に死んでいる魔女のはずなのだけれど……それにしては被害を受けている色がございませんわね」
「はい。エンドさまのおかげで〷〷──暴走魔女も減少の一途を辿り、今年の初めにはとうとう最後の魔女がエンドさまのもとへ往かれました。それ以来、暴走魔女による被害は一切ありません」
「……最後の、魔女?」
「ああ! 申し訳ありません、語弊がございました。──より正確に言うならば、現在この世界において〝魔女〟はエンドさまただひとりでございます」
エイリスのその言葉に。
そのありえない言葉に。
「……どういうことです? 封印魔女は?」
プライドは蛇のようにエイリスをねめつけながら低く唸る。が、エイリスはプライドから声を掛けられたことに喜ぶばかりで恐れる様子がない。
「封印されている魔女も含め、全ての魔女が解放されました! それもこれも──エンドさまのおかげでございます!」
「──……随分、魔女を慕っているようですな?」
「あっ、申し訳ありません……古の騎士さま。私、実はエンドさまにお会いしたことはないのです。WWWが取り押さえた暴走魔女をエンドさまの元へお連れする時に顔を合わせるとのことですが……私たちは一度もエンドさまを拝見したことがなくて」
けれど、とエイリスは満面の笑顔を浮かべる。
「ずっと憧れでございました! 八百年前の魔女伝説と、魔女に寄り添う騎士さまの物語……そしてエンドさまの〝夢〟!」
「……夢?」
──と、そこで円状のソファーが電子音を上げながら停まった。どうやら目的地に着いたらしく、降り口を展開させながらエイリスが先導して外へ促してくる。
言継たちが降り立った場所とは違い開発されていないのか、そこはすっかり荒廃しきった港町の様相を醸し出していた。何十年どころか何百年経っているのではないかと思うほどに道路も建物も瓦解しきってしまっている。元は信号機であっただろう鉄の塊が蔓に覆われているのを見上げてプライドは何故こうなっているのか問う。
「東の大海洋にエンドさまの支配領域が創られた時……支配領域を侵さぬようにしようと、人々の立ち入りが禁止されたそうです」
そう言いながらエイリスは荒廃した港町の中を進んでいく。それに倣って言継たちも荒れ果てた道路に足を取られそうになりながら歩を進めていった。
──そうしてしばらく歩いていると、やがてエイリスが止まる。
「ここから先の領域がエンドさまの支配領域となります」
エイリスはそう言うが、視界には相変わらず荒廃しきった港町と──そしてその先に広がる青々とした大海原があるだけである。
怪訝そうにする言継たちに構わずエイリスは先んじて足を一歩踏み出し──その姿が、消えた。
「えっ!?」
「──……成程。ここから先は次元が違っておりますわね。異次元空間を創り上げるだなんて……死んでいるからこそできる芸当、というわけですわね」
冷静に空中に指を這わせながらそう囁く言継にプライドは眉間に皺を寄せる。
「……そんな危険な芸当を仕出かす〝魔女〟を、未来の──あの人間どもは心の底から信頼しているようでしたな」
「ええ。〝未来の魔女〟エンドがまるで善人だとでも言わんばかりでしたわね。──あの魔女、過去に手出しこそしてもこの世界には手出ししていないのかしら? 卑劣なこと」
「それだけじゃない。あの女の言うことを信じるならこの世界には今、〝魔女〟が〝未来の魔女〟エンドしかいないってことになる」
伝継の緊迫した声に言継は嘲りながらも首肯する。
「色々想定はできますけれど、結局は机上の空論──行かなければわかりませんわ」
「……そうだな」
八百年後の世界。
〝未来の魔女〟エンドのいる世界。
──けれどそこは人々が平穏に暮らす、魔女がひとりしかいない平和な世界だった。
喜ぶべきことであるはずなのになぜだかこみ上がってくる不安に伝継は拳を握り締め、言継の隣に立つ。
「──行くか」
「ええ」
言継は紫黒色の目を細めて嗤い──足を踏み出した。
その瞬間、世界が夕陽色に染まった。
「!?」
「──夕焼け?」
先ほどまであんなにも青々と広がっていた空が茜色に染まり、海の向こうには今にも沈まんとしている巨大な夕陽があった。伝継と言継に続いて足を踏み入れてきたプライドたちも驚きに目を見張る。
それほどまでに──何もかもが夕陽色に染まっていた。
夕陽が夕陽色をしているのは当然のことながら──空も海も、言継たちの立っている地面も、そして言継たちさえも夕陽色に染まっている。
夕陽。夕陽色。夕焼け色。夕暮れの色。終わりかけの、色。
何もかもが夕陽色に支配された、世界。
夕陽色しかない世界。
それが、東の海に広がっている。
「ようこそおいでくださいました──ここが〝夕陽の魔女〟改め〝全能の魔女〟エンドさまの創り出した領域でございます。そして」
──あれこそがエンドさまの住まう塔でございます。
夕陽色の世界で待ち構えていたエイリスが微笑みを浮かべながら海の果てを指差す。
そこには、ひとつの塔があった。
天を劈かんばかりに聳え立つ──夕陽色の塔が。
「私はここまでしかご案内できません。……申し訳ございません。……どうか、どうかエンドさまをお救いください」
エイリスはそう言って頭を深く下げた。さらりと夕陽色に染まったエイリスの髪がなだらかに揺れる。
「……残念だけれど。わたくしたちはあの魔女を助けに行くのではなくってよ。わたくしたちの時代を滅茶苦茶にしている下劣な魔女を討伐しに行きますの」
「──ええ、それでいいのです」
それで、いいのです。
そう言いながら顔を上げたエイリスはとても哀しそうな──哀切を帯びた眼差しをしていた。
「エンドさまは終わることのない〝夢〟を見ておられます」
「……〝夢〟?」
「はい。私たちはみな、心の底より願っております」
──魔女の夢が終わる日を。
その言葉を最後に、エイリスはまた頭を深く下げ──そのまま夕陽色の世界から去っていってしまった。
残された言継たちは夕陽色だけでなくエイリスの哀愁にも染まったかのようにしばらくの間、沈黙をその場に落としていた。
──しかしやがてプライドが夕陽色に染まった髪を靡かせながら海に向けて歩き出し、それに惹かれるように言継たちも歩き出す。
夢の終わりは、近い。
【夢現の魔女】




