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〈──■■■■■■〉
「ッ!!」
どくん、と言継の心臓が大きく脈打つ。
けれど先日のように胸が張り裂けはしない。張り裂かんと圧し入ってくる魔力を逆に絡め取って自分の魔力に編み込んでいく。
「──逃がしませんわよ!!」
「来たのか!?」
「オセロット!! 武器を!!」
プライドの鋭い一声にオセロットが背中の大荷物を地面に降ろし、麻の布を取り除く。そうして露わになった仰々しい銃火器類──それらに道を行き交う観光客たちがぎょっとするのも構わず、WHO制圧隊の面々は自分の獲物を手に取って装着していく。
「準備オッケー! いつでもいいわよ!」
「──わたくしの周りに集まりなさい!!」
きぃん、と言継を中心にして紫色の魔法陣が幾十──幾百、幾千にも展開されて球体を形成していく。その球形魔法陣から外れぬようオセロットたちは互いの腕をしっかり組み、言継を抱擁するように取り囲む。
きぃんきぃんきぃん、と魔法陣が奏でるいくつもの硝子がかち合って滑り落ちゆくような不思議な音に合わせて紫色の魔法陣が複雑な文様を描きながら回転していく。最初は歯車のようにゆったりとした速度で回転していたのが紫色の煌めきが増していくのに合わせて速くなっていき──鼓膜をかすかに引っ掻くような硝子が砕ける細かい音の連鎖とともにきりきり舞いする菖蒲色の鞠と化した。
ちかちかと紫色の光を散らしながら高速回転する菖蒲色の球形魔法陣という幻想的な光景に内部にいるカレンは思わずほわぁっと声を上げてしまう。
「もっと──もっと引き摺り出してさしあげるわ、貴方の力!!」
「生命力の補充に問題は?」
「ありませんわ──あの愚かな魔女の力を使ってさしあげてますもの」
言継は両手を閃かせて紫色の魔法陣をどんどん追加させながら、嗤う。嗤う。心底楽しそうに──嗤う。
「待っていなさい塵屑!! このわたくしを怒らせたこと、どうなるか骨の髄まで教え込んでさしあげますわ!!」
「……本音よね、これ」
「ええ。本音ですな」
プライドはやれやれと肩を軽く竦め、調子に乗って逆に絡め取られぬよう言継に注意した。ご老人と一緒にしないでちょうだい、という悪態とともに言継の手のひらがより一層煌めく。
「──行きますわよ!! ■■■■!!」
言継を中心にきりきり舞いしていた菖蒲色の球形魔法陣が一斉に広がり、紫色で染め尽くされていた視界が一気に開ける。
だが魔法陣の外に見える景色は、先ほどまでいた竹林ではない。
それどころか──地上ですらなかった。
「え……ええええぇええええ!?」
カレンの絶叫が響き渡る。
が、動揺に体勢を崩しかけたカレンを伝継がしっかりするよう鋭く叱咤する。だがカレンは一斉に大きく広がった魔法陣の外側に広がる世界──地面のない、青空のど真ん中。それに足を震わせるばかりであった。よくよく見て見れば足元も地面から紫色の──下が透けて見える魔法陣に挿げ替わっていて、カレンはもう気を失いそうであった。
「しっかりなさいな貧乳! 時間を移動するのですもの──これでは済みませんわよ!」
言継の嘲りは正しく、次の瞬間には青空がねじれていた。
「ふえっ」
かと思えば泥のように青空が溶け出し、溶けた青空の下から何処かの街並みが現れる。けれど街を行き交う人々は早送りされたビデオテープのようにせわしなく動き回っていてその姿を捉えることができない。
が、姿を捉えてみようなどと思う暇もなく街並みがばらけるジグソーパズルのように瓦解していき、その下から今度はどこぞの遊園地が飛び出してくる。
「目がっ……目が回るっ……」
「貴方はわんわんの顔でも見ていなさいな!!」
時間移動は、まだ終わらない。
熔鉄のように景色が熔けては氷河のように風景がせり上がってきて、光景が端から削りこそげ落とされておが屑と化しては津波のように情景が押し寄せてきて。
世界が変わる。
時代が変わる。
世代が変わる。
時間が変わる。
世界が融ける。
時代が揺らぐ。
世代が蕩ける。
時間が揺れる。
融ける。解ける。蕩ける。熔ける。揺らぐ。遊らぐ。揺れる。往れる。
未来に、往く。
◆◇◆
目どころか頭が掻き回されて内臓も全て洗濯機にぶち込まれてしまったかのような混沌、その極み。
その連鎖。その連結。その連携。
終わることなどないのではないかと錯覚せんばかりに長く──永く続いた時間軸移動。
それに、終わりがようやく訪れた。
「──っ!!」
「ぬお!」「きゃあ!!」「うわっ!!」「うおっ」「おっと」
時間軸を移動している最中は体の感覚という感覚全てが切り離されたかのように浮遊感に満たされていたのが唐突に重力を取り戻し、言継たちは地べたに倒れ込む。
「大丈夫か、みんな」
「だ……大丈夫。びっくりした」
最初に立ち上がったのはオセロットで、数分ぶりにも数時間ぶりにも数ヶ月ぶりにも感じられる久方ぶりの重力に馴染まぬ体をほぐしながら地面に倒れ込んでいる人間たちに手を差し伸べていった。
言継も伝継の手を借りながら立ち上がり、くらくらとする頭を押さえながら視線を周囲に向ける。
その、瞬間だった。
「ようこそおいでくださいました、古の救世主さまがた!!」
とても軽やかで明るい歓迎の言葉と同時に言継たちの頭上を、大量の色とりどりの花びらが舞う。
「えっ?」
「な……なんじゃあ?」
突然の歓迎に戸惑いながら視線を巡らせてみれば白を基調とした不思議な服を身に付けている人間が言継たちを取り囲むように大衆となって集っていた。言継たちには見慣れぬ、電子回路のような文様が光彩となって煌めいている不思議な服である。だが中には何故か言継たちの服とそっくりそのまま同じ衣装を身に付けている人間もちらほらいて、みな一様に輝くような笑顔で言継たちを眺め、手を振っている。
「見て、本当に同じ服だわ!」
「いちご色の髪って本当だったんだ! あんな綺麗な髪初めて見た……!」
「あの子が〝魔女〟なのね。伝承通りの女の子だわ」
「すっげー!! マジでいきなり現れた!!」
「転移ゲートもないのに本当に来た……あれが〝魔女〟の力なんだな」
がやがや、がやがやと口々に言継たちを指差して囁く人々にプライドは目を細める。
「……八百年後、の世界ですか?」
「ええ。間違いなく八百年後の──〝未来の魔女〟エンドがいる世界ですわ」
言継はそう言いながら空を仰ぐ。
青空はある。だが何かに阻まれている。
──いや、阻まれているのではない。薄い──硝子のような、透明な膜に覆われているのだ。言継たちのいる、中央部に舞台を設置した何らかの集会所のような場所──そこを丸ごと覆うように膜が張られている。その膜の境界線ギリギリまで人々が所狭しとすし詰めになっていて、言継たちに向けて小さな硝子のプレートを向けては手を振り、歓声を上げている。
透明な膜の外側は芝生が広がっていたり花畑が広がっていたり、はたまた湖や森林が広がっていたりと自然豊かであるが──よく目を凝らしてみればこの透明な膜に覆われたドーム状の何かと似たようなものがいくつも遠くに見えた。ただ、中にあるのは町のようでここのように開けた広場にはなっていない。
「──八百年の永き旅、お疲れ様です。我々一同心より歓迎いたします」
その時、かつりと舞台の上にひとりの女性が上がって来て言継たちは一斉に警戒の色を顔に宿す。だが女性の方は言継たちと敵対するつもりは一切ないらしく、丸腰であることを示すように両手を広げた。
アッシュブロンドと言うのだろうか──灰色の髪を肩口で真っ直ぐ切り揃えている理知的な女性である。
「はじめまして、私の名〷〷〷〷〷──失礼、私の名前はエイリス・ウォンと申します。どうぞエイリスとお呼びください」
途中、発音が複雑すぎて聞き取れぬ言葉があったが──女性、エイリスが胸元の小さなボタンを撫でた瞬間には明瞭になっていた。
「まず、ご説明させてください。古の救世主さまがたがおいでになられたここは救世主さまたちの時代より八百年後の〝ニホン・キョート〟に位置する場所でございます」
「……わたくしたちを知っているということは、わたくしたちがこの時代に来るということが歴史にでも残されていたのかしら? そこの白髪娘」
途端に、歓声が沸き上がる。
口々に伝承の通りだと、嘲りだと、羨ましいと、素敵だと──舞台の周囲に集っている人々が沸く。だがそれはエイリスが静かにするよう鋭く叱咤したことで静まった。
「申し訳ございません。──その通りでございます、古の魔女さま。八百年前よりこの時のことが伝承されており、我々は〝その時〟が来たら古の救世主さまがたをお迎えしてご案内するよう教育されてきました」
「え……えっと、つまり……八百年前の、WHOかな? それが……あたしたちのことを歴史に残すようにしてきて……てか本当に八百年後なの? ここ八百年後なの?」
未だ未来に来たという実感を持てずにいるカレンが王に縋りつきながら戸惑う。が、それは王も同じ心境であった。
見慣れぬ光景に見慣れぬ服を着た人々は確かに王たちの知っている世界とはまるで違う。だがそれが〝八百年後の未来〟と言われても──とても信じられるものではなかった。
言継の行った時間軸移動──あの気が狂いそうになるほどのちぐはぐすぎる歪んだ世界、あれを経ていなければドッキリか何かだと断定していただろう。
「混乱させてしまい申し訳ありません。こんな仰々しい出迎えをする予定ではなかったのですが……みな、どうしても会いたいと切望しておりまして」
「……それはどうでもよくってよ。それで? 案内すると仰っていたけれど貴方はわたくしたちを〝魔女〟のところに案内してくださるのね?」
言継の言葉にエイリスは嬉しそうに頷く。
「はい。僭越ながら私が案内役を務めさせていただきます」
「……ようわからんが、ここは本当に八百年後の世界で……わしらが八百年後に来ることは伝わっちょったんじゃな。そんで、〝未来の魔女〟エンドの元へ連れていく準備も整えちょったと……」
「そういうことになりますわね。何故この時代の魔女ごときにわたくしたちが未来にまで来なくてはならないのか甚だ疑問ですけれどもね? ねぇ? 何故貴方がたが魔女をどうにかしようとなさらないのかしら」
言継の嘲りにまたもや歓声が上がるが、それを言継は無視する。
そしてエイリスも無視した。
「申し訳ございません、古の魔女さまの仰る通りでございます──けれど、私たちには無理でした」
そう言ってエイリスは哀しそうに目を伏せる。
「──私たちには、エンドさまをお救いすることはできませんでした」




