③
◆◇◆
「改めて言うけれど、情けないですわよお兄様」
「俺の本業は大学の助教授! こっちは副業! ガランガル隊長やラストリアル副長と一緒にすんな」
プライドの部屋で起きた珍事が落ち着くのに半日ほどの時間を要し──すっかり顔色の良くなった言継は毛布にくるまりながら伝継を嘲っていた。
「コーンポタージュをどうぞ、言継さん」
「まあ。わんわんにしては気の利くこと」
王が差し出してきたマグカップを言継は両手で受け取り、ふうふうと息を吹きかけながらちびちびと飲み始めた。それを見て王は微笑み、ここオセロットの部屋に集っている他の面々にもマグカップを手渡していく。
「傲慢も情けないですわよ。もっと奪いなさいとか言っておいて最後には倒れてしまうのですもの。もういい加減老人ホームに入所したらいかが? ご老人」
「心配なさらずともこの通り、回復しておりますよ」
言継の血で汚れてしまった燕尾服からシンプルなワイシャツとスラックスだけの恰好となったプライドはそう言いながらソファの背凭れに深く預けていた背を起こし、軽く肩を鳴らす。
「びっくりしたわよ、もう。部屋は血まみれだし、ツタは倒れてるし、血まみれのツタの妹と副長がキスしてるし……」
「キスだなんて言わないでくださる? あれはただの補給ですわ。誰が枯れた老人とキスするものですか」
「照れちょるのう」
「照れわけないでしょう? 黙りなさい豚」
「シンプルにひどい」
へにゃりと眉を八の字にして落ち込むオセロットに言継はふんと鼻を鳴らす。
「……それで、何があったのです? 言継」
「予想はついておりますでしょう? ──〝未来の魔女〟から干渉がありましたわ」
その言葉に部屋は一気に緊迫した空気に満たされる。が、言継はそれを払拭するように嗤う。
「わたくしを暴走させたかったようですけれど、愚かなこと。このわたくしを他の魔女風情と一緒にしないでいただきたいものですわ」
「……しくったな。考えてみれば当然だ──言継だって魔女なんだ。それも何人もの魔女の力を継承して弱っている……干渉の可能性を考えるべきだった」
伝継は己のミスを悔い、あと少し到着が遅ければ妹が死に──自らの手で妹を封印しなければならなくなっていたかもしれないという事実に肩を震わせる。間に合ってよかった、と伝継の手が言継の頭を撫ぜる。
「……てかなんでラストリアル副長の部屋にいたの?」
「お黙り貧乳」
「ストレートに言うなっ!! 大きいからって偉そうにするんじゃないわよっ!! この牛チチっ!!」
「まあ、下品なこと」
「落ち着いてくださいカレンさん……私は小さい胸もいいと思いますよ」
「小さい言うな!」
王の体をばしばし叩いて憤慨しているカレンをよそに、プライドは頬杖をついて言継の顔をじっと見つめた。その視線に言継は気付くが、嘲りを崩さぬまま気まずそうに眉尻を下げてふいと視線を逸らしてしまった。
嘲りは変わらぬというのに分かりやすい言継のその感情にプライドは思わずくっと口を吊り上げてしまう。
「お兄ちゃんはまだ認めません」
「貴方には関係ないでしょう、葉月」
「お兄ちゃんはっ!! まだ!! 認めませんっ!!」
伝継は鼻息荒くそう叫んでギッとプライドを睨む。だがプライドは鼻で笑うだけでそれを意にも介さない。
「──それで、葉月とワタクシから散々生命力を奪ったのです。もう大丈夫なのですね?」
「ええ。干渉への抵抗と再生の連続はさすがに疲れましたわ」
〝死なない〟──その一点のみに目標を絞り、言継はひたすら未来からの干渉に反発し、反発しきれずに受けてしまった傷は再生し続けていた。干渉が途切れ、諦めたのかと思えばまた干渉があり──そうしてこの一週間でプライドの部屋は血で染め尽くされてしまったようだ。
その反動で言継は枯渇した生命力を補うべく、奪取するのに最も効果がいい経口補給をほとんど機能していない意識で選択し、伝継とプライドから生命力を奪い尽くしたのだ。
「死にかけましたけれど……おかげで分かったこともありますわ」
「分かったこと?」
「〝未来の魔女〟エンド──あれは〝死んでいる魔女〟ですわ」
〝未来の魔女〟エンドからの干渉──そのさなか、言継は己の体に圧し入らんと暴れ狂う魔力を必死に解析して少しでも多くの情報を得んとしていたそうだ。その結果──エンドは既に死んでいる魔女であることが分かった。
「死んでいるからこそ、無茶ができるのですわ」
人間は死ぬが魔女は死なない。
その矛盾が魔女を狂わせるが──逆に言えば狂った魔女は、どんなに力を駆使しようとその身が滅ぶことはないのだ。既に死んでいるがゆえに。既に狂っているがゆえに。
〝未来の魔女〟エンドもまた、既に死んでおり既に狂っているがゆえに──過去への干渉という、普通の魔女であれば即死級の大きな力を使うことができる。
「何を目的にして、何を理由にして、何を願望にしてこんな真似をしているのか──それは分かりませんでしたけれど、でも解決法は見つかりましたわ」
そう言って言継は目を細め、コーンポタージュを一口飲んでひと息入れてから口を開いた。
「わたくしが〝未来の魔女〟を継承しますわ」
そのために未来に行きます──そう言って嗤う言継にプライドはアイスブルーの目を剣呑な色に染めた。
「未来へ行けるのですか?」
「ええ。あの魔女がまた干渉してきた時──その力を逆に利用するのですわ」
言継ひとりの魔力では言継が死んでしまう。
だがそこに、既に死んで力に制限がない魔女の力が加われば──言継はさほど摩耗することなく未来の世界へ飛ぶことができる。
「なるほど。ですが言継、分かっていますね?」
「貴方は連れていきませんわよ? 何が哀しくて枯れた老人と一緒に未来へ行かなければなりませんの?」
「言継」
プライドの射殺すような眼光に言継はぐっと息を呑む。が、言継は負けじとプライドを睨み返した。
「少しは頭を使ってはいかが? 未来へ行く、その分には問題ありませんわ──干渉があった時にその力を利用すればいいだけですもの。けれど傲慢? 継承してしまえばそれはわたくしの力になりますのよ? 時間移動できるほどの無茶をこなせない生身のわたくしの力に。──おわかり?」
「ええ。一方通行ということでございましょう? 未来に行けても過去に戻ることは叶わないと、そういうことでしょう」
未来へ行くことはできる。
干渉してくる〝未来の魔女〟の力を利用することによって。既に死んでいるがゆえにその力に制限がない魔女の力を最大限利用して、〝時間〟の能力を駆使することができる。
だが過去には戻れない。
力を継承してしまえば〝未来の魔女〟は消えてしまうが、同時にどれだけ力を引き出しても問題ない既に死んでいる魔女もいなくなる。〝時間〟の能力を駆使すればその大きすぎる力に耐えきれず死んでしまう言継しか残らない。
その、意味。
「もう二度とここには戻れませんわよ」
「それがどうしました? 第一、貴方如きに暴走魔女を抑えられるわけがないでしょう。虚弱すぎる貴方ひとりでは逆に倒されて暴走してしまうのが目に見えております」
「──そうだぞ言継。お兄ちゃん置いていこうだなんてひどいこと考えるなよ? お兄ちゃん泣くぞ」
プライドと伝継のふたりはさもそれが当然で、自然の流れであるかのように言継とともに未来へ行く道を選んだ。
言継はなおもふたりを連れていくなんて嫌だと嘲りの言葉に載せて嗤う。必死に嗤う。嗤いながら、必死に抵抗する。嗤うことしかできない身で──ふたりを必死に遠ざける。
けれどプライドと伝継は譲らない。揺るがない。変わらない。
「黙りなさい言継。貴方とともに行くと言っているのです。大人しく受け入れなさい」
「大好きで大切な妹と永遠に離れ離れになる方がお兄ちゃん死ぬ。マジで死ぬ」
変わらない。揺るがない。譲らない。
「っ……」
「──わしも行くぞ。ここまで来たんじゃあ、最後まで付き合うたるわ」
「あたしも。……魔女は嫌いだけど、ツタの妹は嫌いじゃないし……こっちに残ったってどうせ家族も友達ももういないもん」
「私がいますよ、カレンさん。もちろん私も微力ながら力添えさせていただきます」
オセロットも。
カレンも。
王も。
「……っ」
言継は嘲りしか浮かばぬ唇を噛む。──が、それをプライドの指が止めた。
「噛むなと言っておりますでしょうに」
「……うるさいですわ」
感謝したくても感謝できない。嘲りに塗り潰されて。
謝罪したくても謝罪できない。嘲りに塗り潰されて。
けれどその嘲りに惑わされる人間は、ここにいない。
そのことに伝継は胸が温かくなるのを感じて思わず微笑んでしまった。どんなに抵抗しようと嘲ることしかできぬ言継を実の両親が厭うたのを始まりにして言継の周囲からは人が消えていってしまった。口を開けば嘲りしか出てこない人間を誰が許容しようか。マゾの気がある人間しか寄り付かないだろう。〝魔女〟に興味のある人間しかまともに会話してこぬだろう。
だからこそ言継は、独りであった。
だが──今はもう独りではない。兄にとっては寂しくも嬉しい妹の変化に伝継はただ、微笑む。
「……仕方ありませんわね。精々わたくしのために頑張りなさい、下僕たち」
「はいはい。──干渉が次、いつ来るかは分からないよな?」
「分かりませんわね……最後にあった干渉は二日前ですけれど……諦めてはいないご様子でしたわ。きっとまた来るでしょう──その時がチャンスですわね」
「ふむ。ではいつ干渉があってもいいよう整えておく必要がありますね。オセロット」
「ん。分かっちょる──WHOにはわしから掛け合うておく。後任も決めてもらわんとのう」
「未来の世界ってどんなところだろ……暴走魔女が好き放題してるし、ろくなことになってなさそうだけど」
「そうですね……もしかしたら人類は私たちだけになるかもしれませんね」
八百年後。
そこに住まう、死んでいる魔女。
それが奔放に過去を搔き乱すことのできる世界。
──どんな世界なのか皆目見当もつかないものの、誰ひとりとして未来に行くことについて躊躇は憶えない。
譲らない。揺らがない。変わらない。
誰の目にも、迷いはなかった。
【死りの魔女】




