②
けれど、と言継はまた想う。
〝ありがとう〟──そう言って天へ昇っていく彼女たちの顔は本当に晴れやかであった。魔女と成り、魔女に縛られその人生を滅茶苦茶にされた彼女たち。それを解放できたことは言継にとって悪い気のしないものであった。
同じ魔女だからこそ。同じ苦しみを持つ仲間だからこそ。
──だからこそ言継は、どうしても許せなかった。
魔女を恐れる人間のエゴ、ただそれだけのために魔女に永遠に苦しんでもらう道が──〝生前封印〟が。
暴走してしまった魔女はもうどうしようもない。だから封印する──それは仕方ないと言継も思っている。継承というのは自分の意志が伴わなければ行えないのだ。──言継を除いて、だが。
ゆえに自我を失い、狂ってしまった暴走魔女に継承は不可能。継承ができないのであれば死なない魔女は暴走し続けることしかできない。──だから封印はやむを得ない。
「……だというのに、傲慢ときたら」
いつ暴走するか怯えて暮らすよりはいっそ今のうちに全て封印してしまえばいい──そんな乱暴な理屈で今を必死に生きる魔女を狂うしか赦されない永遠の牢獄に封じ込めるなど、と言継は嘲りながらも憤慨してばふばふとプライドの枕を両手で打ち付けた。
けれど、と言継はため息を吐きながら想う。
最終的にプライドは己が魔女に強いてきたことの重さを自覚してくれた。見て見ぬふりをして無視し続けることもできただろうに──プライドはそうせず、苦渋を噛み締めるような顔で言継と向き合った。
──だから言継はプライドを赦した。
〝魔女〟の悲劇性を理解し、魔女への憎悪を胸の奥に燻らせていながらもこの数ヶ月──プライドは常に言継の味方で在り続けてくれた。言継の代弁者となり、魔女否定派が多くを占めるWHOの軌道修正を図りにかかっていたのだ。
──魔女の暴走が続いているためにその軌道修正は残念ながら未だ叶わずにいるが。
「……やはり〝未来の魔女〟をどうにかしなくてはなりませんわね」
〝未来の魔女〟エンド。
それを何とかせぬ限り魔女の暴走は止まらない。だが今の言継では未来に行く、それだけで死んでしまう。死に、未来の世界で暴走すればあるいはどうにかなるかもしれないが──過去に干渉し、魔女を暴走させることのできる絶大な力を持つ魔女である。逆に言継が倒されかねないと言継は考えていた。
──そもそも言継が未来に行くこと自体、プライドや伝継たちは全力で反対しているのだが。
「どうしましょうかしら……」
ひとりきりで無為に考えている時でさえ崩れぬ嘲りに辟易しつつ、言継は両手を大きく広げてベッドに寝転がる。
〈──■■■■■■〉
「え!? ──ッアアァアアァァアア!!」
言継の頭の中で唐突に響き渡った不協和音。
言継の紡ぐ不協和音よりもずっといびつで、ずっと不明瞭な声──それに言継が驚くのも束の間で、次の瞬間には胸が文字通り張り裂けて血が噴き出た。
言継の中に、何かが押し入ろうとしている。
「アアアァアア──ああぁっ──■■──■■!!」
激痛に悲鳴を上げながら不協和音を紡いで傷口を再生していくが、言継の中に圧し入ってこようとする何かが言継の体をどんどん切り裂いていく。傷口をこじ開けて圧し入ろうとするかのように、次から次へと言継の体に傷が走っては大きく裂けて血が噴き出る。
言継はただ悲鳴を上げる。
絶叫する。絶叫する。絶叫する。
けれど不協和音も、絶叫の合間に紡ぐ。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。絶叫する。紡ぐ。紡ぐ。絶叫する。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。絶叫する。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。絶叫する。紡ぐ。紡ぐ。絶叫する。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。絶叫する。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。絶叫する。紡ぐ。紡ぐ。絶叫する。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。絶叫する。絶叫する。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。紡ぐ。絶叫する。紡ぐ。紡ぐ。絶叫する──……
◆◇◆
「何故ついてくるんですか?」
「俺の部屋に言継がいなかったからだよっ!!」
「……貴方の自宅の方にいるのでは?」
「電話しても出ないんだよっ!!」
「敬語が崩れていますよ。──それで何故ワタクシについてくるのです?」
「お兄ちゃんは!! 認めませんっ!! まだ!!」
「……何の話ですか」
WHO制圧隊が魔女の暴走を鎮圧し、再封印すべくヨーロッパを離れて一週間と少し。ようやく帰ってこれたプライドは自室へ戻る途中、何故か付き纏ってくる伝継にため息を漏らしていた。
そうして自室へ辿り着いたプライドは鍵を取り出そうとし──血の匂いがすることに眉を顰めた。決して少量ではない血が流れている。それには伝継も気付いたようであたりを見回している。
「っ、まさか」
と、そこで伝継が顔面蒼白でプライドを押し退け、扉に手を掛けた。
鍵は、掛かっていなかった。
何故鍵が開いているのかプライドが怪訝に思うよりも早く──ふたりの視界に、赤色が飛び込んできた。
無垢な赤色ではない。
無雑の赤色ではない。
錆びて色褪せた赤色。
血という名の、赤色。
血色に染まった部屋。
血色に染まった言継。
「言継!!」「言継!!」
伝継とプライドの絶叫が、重なる。
「言継っ!! 言継っ……」
憔悴しきった顔で伝継が血色に染まったベッドに力なく伏せっている言継の元へ駆け寄り、その体を抱き起こす。言継の体は血で汚れていない箇所を探すのが困難なほどに血まみれであった。だというのに血という血がすっかり抜け落ちてしまったかのように白くなっているということは分かった。そして──とても冷たかった。
「言継!!」
伝継のまなじりから涙が零れ落ちる。伝継の頬を伝って顎に溜まった涙が言継の白く冷たい頬に落ち、乾いて頬に貼り付いてしまった赤黒い血にほんの少しだけ鮮やかさが戻る。
それを呼び水にして、言継の血に濡れた瞼がゆっくりと持ち上がる。
「言継っ」
「■■■■」
「えっ?」
言継の紫黒色の目と再びまみえたことに喜んだのもひと刹那、言継の腕が伝継の首に回り──血に濡れた言継の唇が、伝継の唇を塞いだ。
隣で険しい顔をしていたプライドがぎょっとするという珍しい光景を、けれど伝継は確認する暇もなく言継ごと後ろに倒れた。
「──情け、ないですわ……よ、お兄……さま」
倒れてしまった伝継から唇を離した言継は息も絶え絶えに罵倒するが、伝継の方は何やらげっそりとやつれたような顔で倒れたまま動かなくなっていた。
言継ははあ、と苦しそうに息を吐きながらかすむ目を必死に巡らし──隣で茫然としていたプライドと目が合う。
「──寄越しなさい」
「……!!」
プライドは、抵抗しなかった。
抵抗することなく言継の体を抱き留め──唇に吸い付いてくる言継を、受け入れた。途端に全身から力という力が吸い上げられていく感覚にプライドは体勢を崩しかけるが、それは矜持が許さなかった。
倦怠感と虚脱感、そして喪失感に全身が震えを覚えるが、プライドはそれでも言継の体を引き離すことはしなかった。それどころか言継の背に腕を回し、より深く──より密接に肌を触れ合わせた。
「プライド!! なんじゃこの血の匂、い──は──……」
「えっ、何この部屋!? 血まみれっ……えっ、何してるの!? ──えっ、ツタ!?」
「ツタさん!? ラストリアル副長、一体何が……」
血の匂いを嗅ぎつけてか忙しなく部屋にやってきた制圧隊の面々に、言継がするりとプライドの口内から舌を引き抜く。──が、その舌先には未だ紫色の魔法陣が残っている。
舌先に魔法陣を載せたまま、言継は視線を制圧隊の面々に滑らせ──この中で最も体力が有り余っていそうなオセロットに、留まる。
「もっと奪いなさい」
だが言継の視線がオセロットに留まったのも束の間、次の瞬間にはプライドの手が強引に言継の顔を自分に向けさせて咬みつくように言継の唇を塞いでいた。




