③
「言継!! 継承なさい!!」
「! ──■■!!」
人間は死ぬが魔女は死なない。
頭を真っ二つにされ咽びを停止させた人形の頭部。──そのような状態になってもなお、死なない。死ねない。魔女は、死ぬことを赦されない。
その絶望から解放する唯一、夕陽色の槍が人形の頭部ごと言継を貫いた。ごほ、と吐血する言継の体をプライドがしっかりと支え、けれど槍に貫かれた衝撃で維持できなくなったのか魔法陣の足場が硝子のように音を立てて割れ──物言わぬただの死体となった人形の頭部とともにプライドたちは、いつの間にか静かな瑠璃色の美しいエーゲ海に戻っていた海に落ちた。
「──言継!! しっかりなさい!! もっとワタクシの生命力を奪いなさい!!」
「げほっ……ごほっこふっ」
魔法陣の足場は壊れてしまったものの、プライドの生命力を常時奪取する魔法陣は未だプライドの体に残っていた。言継を支えて立ち泳ぎしながらプライドはもっと自分の生命力を使うよう言継の頬を叩きながら叫ぶ。
けれど言継は吐血するばかりでうまく生命力を奪えず、苦しそうに喘ぎながらプライドの体にしがみついた。そんな時でもなお、嘲りを崩さない彼女の口元にプライドはぎりっと歯を食い縛る。
「言継!! しっかりなさい!! ──しっかりしろ!!」
「う、ぐっ……くふっ」
じわり、とプライドの体に刻み込まれた紫色の魔法陣が仄暗く輝く。同時に自分の体を襲う倦怠感がかすかに強まったことにプライドはひとまず息を吐き、言継の体を抱え直してしっかり抱き留めた。
「言継!」
「大丈夫か? プライド、お嬢ちゃん」
少し離れたところでプライドたちと同様に海に落ちてしまっていた伝継たちも泳いできて、言継に自分たちの生命力も使うよう言う。が、継承したばかりの言継にその余裕はないらしく必死にプライドにしがみついたまま、ただひたすら吐血してはプライドの生命力を奪取していた。
「──…………言継」
〝図書館の魔女〟〝十字架の魔女〟〝墓場の魔女〟〝花吹雪の魔女〟〝孤児院の魔女〟──そして〝海底の魔女〟の六人。昔に継承した分と言継自身も加えて九人分の〝魔女〟が今の言継の中にいる。
それは果たしていいことと言えるのか──伝継には分からなかった。これまでにないほど苦しみ呻く妹の姿に、伝継はただただ海の中で拳を握りしめる。
〈──ありがとうおねえちゃん。……ううん、ありがとう、〝永遠の魔女〟〉
「!」
さざ波と言継の荒い呼吸が鬩ぎ合う中あどけない、とても幼い声が唐突に響いてきてプライドたちは弾かれたように視線を上げる。
人形の頭部は既にエーゲ海に呑まれ、海底に向かって沈んでいっている。ただの亡骸として。だが──その中に封じ込められていた魂は解放され、薄桜色の輝きとなってエーゲ海の上に浮かんでいた。
十歳を超えるか超えないかのとても幼く──美しい、フランス人形のような少女であった。現代では写真館に行かねば着れぬような豪奢なドレスを着こなしているところを見るに──もしかしたら相当昔に封印された魔女なのかもしれない。
「こほっ……永遠の、魔女?」
「貴方は黙って生命力の補充をしていなさい。──貴方はいつ封印された魔女なのですか?」
〈──ん……わかんない。おとうさまが魔女になればずっときれいなままだよって……でも、いたいの。すごく、いたいの。くるしくていたくて、いたいいたいって……いたいいたい、いたいっていっぱいいっぱいさけんで……でもおとうさまは、わたしを〝狂い魔女〟って言いながらけんできってきたの〉
「……〝狂い魔女〟──暴走魔女の古い言い回しだな。最低でも十七世紀ごろの言い方だ」
魔女学の助教授である伝継が冷静に少女の着ているドレスや言い回し、発音の仕方などを分析していつの年代に封印された魔女なのかを推測した。伝継が言うには、魔女狩りの最盛期であった時代──同時に不老不死への憧れも高まっていて、魔女の力を継承したいと望む女性や自分の妻や娘に継がせたいと考える男性が多かったらしい。
「……継承に失敗したんだな。結果、きみは暴走……狂い魔女となってしまったわけだ」
継承には痛みが伴う。
言継の継承もそうであるし、通常行われる魔女から次代への継承も大きな苦しみが伴っている。魔女が継承した後に死ぬのは自然の摂理であるが、継承された次代がその大きすぎる力に耐えきれず死に、暴走するというのも珍しいことではなかった。
〈──ずっと、いたかったの。くるしかったの。おとうさまに〝狂い魔女〟と言われてきられたあともね、いっぱいのひとにきられて……いたいいたいって言っているのにだれもきいてくれなくて……せまいところにとじこめられて、いたいいたいいたいってさけんでいるのに、いたいいたいいたいいたいいたいって泣いているのに……〉
だれもたすけてくれなかった。
ずっとずっと、いたかった。いたかった。いたかった。
ずっとずっとずっと、死にたかった。死にたかった。死にたかった──そう囁いて少女は、虚ろな視線を言継に向ける。
〈──ずっとずっといたくていたくて……ほんとうにいたくて……くるしくて……いたいいたいって……くるしいくるしいって……死にたいって……ずっと思ってたらね、おねえちゃんがたすけてくれたの〉
終わらない痛み。消えない苦しみ。
死にたいと、そればかりを考える永遠の責め苦。
それから掬い上げてくれたのが言継の構築した、夕陽色の槍だったという。あの槍に貫かれた瞬間──全ての痛みから解放されてようやく楽になれたのだと少女は語った。
〈──ありがとう、〝永遠の魔女〟〉
「……その永遠というのは何なのですか?」
〈──永遠は、永遠だよ。おねえちゃんは永遠に──魔女だから〉
「……どういうことです?」
〈──あのね、せまくてくらくてつめたくて、いたいところにずっといたとき……声がしたの〉
「声?」
〈──すべてはひとつに、って〉
全てはひとつに。
そんな声がしたかと思えば自分を縛っていたものが破壊され──それでもやはり消えぬ痛みにのたうちながら暴れ回ったとのことであった。
〈──ほんとうにほんとうに……いたかった〉
人間は死ぬが魔女は死なない。
そんな魔女を封印するということは即ち、魔女と成ってしまった人間を魔女の中に閉じ込めたままにしておくということになる。死んでも死に切れぬ苦痛の牢獄に閉じ込め、けれどそれを意思にして助けを求めることさえできず──〝暴走魔女〟などと短絡的に形容されて害悪とみなされ、封印される。
──そういうことなのだ。
ぎゅ、と言継を抱えているプライドの手に力がこもって言継はかすかに視線を動かす。言継を抱えながら立ち泳ぎをしているプライドの表情はやはりいつもと変わらぬ仏頂面であったが──その薄氷のような目が、かすかに揺れているように言継には見えた。
「…………ねえ、貧相な小娘その二」
「ちょっと、その二ってまさかその一があたしだからとか言わないわよね!?」
「あら、ごめんあそばせ──貧相な小娘ほど貧相ではありませんでしたわね。そこの将来有望な小娘──〝永遠の魔女〟とわたくしを呼んだのは何故ですの?」
「ちょっ……!! あっ、あたしだってBくらいはあるんだからねっ!!」
「カレンさん落ち着いてください」
キャンキャン吠えているカレンをよそに、プライドから生命力を分け与えてもらったことでだいぶ回復したらしい言継がプライドにしがみついたまま少女をねめつける。
〈──永遠は、永遠だよ。おねえちゃんのね、たましいを見たらわかるの。おねえちゃんは──〉
と、そこで少女はぱっと弾かれたように天を仰ぐ。それは──誰かに名を呼ばれて反応したような、そんな仕草であった。
──そして少女の目が大きく見開かれ、ぼろりとその両眼から薄桜色の真珠のような涙が零れ落ちる。
〈──おかあさまっ!!〉
真珠の涙がよく映える花開いたような笑顔で少女は両手を大きく広げ──何かに導かれるように、光の粒子となって天へ昇っていった。
──そうして〝海底の魔女〟、後に記録より〝鳴動の魔女〟ミリア・クレイマーと判明する少女は逝った。
「…………」
あとには、沈黙だけが落ちる。
艦艇から救助用のボートが出されて軍により引き上げられるまで──言継たちは海に揺られながらただただ、沈黙していた。
【咽びの魔女】




