②
「……傲慢」
ふと、シーツを握り締めていたプライドの骨張った手に言継の陶器のように滑らかでほっそりとした手が重ねられる。
そこでプライドはいつの間にか生命力の譲渡が終わっていることに気付き、虚脱感に頭痛を覚えながらも視線を言継の方に向ける。
言継は、やはり嗤っていた。
けれど──その紫黒色の目が、ひどく優しいものであった。
「うら若き婦女子に搾り取られて悦ぶだなんてとんだ変態だとこと」
台無しである。
だが、不思議なことに──プライドの骨張った手に重ねられている言継の手の温もりが、その侮蔑でしかない嘲りを〝ありがとう〟のひとことに変換してくれているような気がしてプライドは眉間に皺を寄せる。
「──勘違いしないことです」
「まあ。ツンデレのつもりかしら? 気持ち悪いからやめてくださる?」
「殺しますよ」
びきりとこめかみに青筋を立てたプライドに言継はくすくすとおかしそうに嗤い、ベッドから起き上がって軽く伸びをした。
「あんなに豪語したのですもの。まさか今度は貴方が倒れることになりませんわよね? 傲慢」
「貴方と一緒にしないでください」
そう言いながらプライドも立ち上がり、背筋をまっすぐ伸ばして言継をねめつける。言継に生命力を随分と奪われたというのにその足腰に砕ける様子はない。さすがはWHO制圧隊──〝魔女狩り〟といったところだろうか。
「それは重畳。──さて、行くとしましょうか」
言継はそう言うが早いか、不協和音を口にして施錠されている部屋の扉を開錠した。そうして並び立って部屋を出たふたりは別室に閉じ込められていた伝継とカレン、王の三人も嘲りとともに救い出し──地上へと這い出るのであった。
◆◇◆
「ああ、やはり寿命が尽きかけておりますわね」
「来るなっ!! 先生をどうするつもりだっ!!」
十代半ばくらいの孤児が窓際の、地下にあったベッドとは比べ物にならないほどに豪奢なベッドに伏せっている美しい女性を庇うように立ちはだかり、叫ぶ。
「どきなさい」
「来るなっ!! 先生は俺たちが守るっ!!」
「殺しているの間違いでしょう」
「っ……」
言継の嘲りに孤児は一瞬怯むが、しかしぎっと言継を睨み返してなおもそこから退こうとしない。他にも──二十代と思しき青年からまだ十にも満たぬであろうあどけない幼子まで多種多様な孤児たちがベッドの周囲を取り囲み、魔女を守っている。
「どういうこと? 病気なの?」
「いいえ。彼ら、偽りの申告をしておりましたのよ──彼女、既に八十歳を超えておりますわ──なんて頭の悪い子たちだとこと」
「え!?」
言継の言葉にカレンは驚き、ベッドに伏せっている魔女を見つめる。ベッドに伏せっている女性は顔色こそ悪いが二十代の美しい女性にしか見えない。その隣で伝継が納得したようにため息を漏らす。
「なるほど。年齢を偽って申告していたのか」
人間は死ぬが魔女は死なない。
そして、魔女は老いない。──不老不死。不老不死という名のハリボテ。
実際には老いる。最盛期の姿のまま、老いる。老いて──死ぬ。死んで、暴走を迎える。だからこそ魔女は年齢を正確に把握しておかなければならない。寿命を迎え、死ぬ前に次代へ継承しなければならない。
「国際魔女法が施行されたのは一九八八年──つい最近ですわ。傲慢、ここから申告があったのはいつですの? それくらいはさすがに分かりますわよね? エリートのWHOさま?」
「鬱陶しいですよ。──〝孤児院の魔女〟が認定されたのは十年前ですね。ふむ……当時、魔女が孤児院にいるという噂が近隣の町で広がっておりました。それを受けてやむを得ず申告したというところでしょう」
「……その時に年齢を偽ったんだな。寿命がそろそろ近いと分かったら次代への継承を促されるから」
伝継の言葉に孤児たちはびくっとその肩を震わせる。
「……年齢偽造したのはお前らだな? 何故……ってのは聞かなくても分かるが、とんでもないことをしてくれちまったな……もうお前らの〝先生〟に意識、ないだろ? あとは死んで暴走するだけだ……違うか?」
「違うっ!! せ……先生はちょっと疲れてるだけだっ! すぐ……すぐ元気になる!!」
「八十超えた老婆に何を期待していますの?」
言継の冷たい嘲りが、孤児たちに突き刺さる。
「いくら見た目が若くても中身は老婆。枯れ木でしかなくってよ。ねぇ? ご老人?」
「ワタクシはまだ五十ですが?」
「まあ。もしかして五十歳を若いと思ってらっしゃるのかしら? おもしろいこと!」
「……魔女ゆえにやむを得ず嘲っているようには聞こえないのですが?」
「うふふ」
言継は、嘲る。
眉間に皺を寄せて自分をねめつけてくるプライドを心底おかしそうに──楽しそうに、嘲る。
「さて、傲慢? あの魔女はもう死ぬしかありませんわ。意識がない以上、既に次代への継承は不可能ですわ」
いつからそうなったかは分からないが、〝孤児院の魔女〟は次代へ継承することをせず年老い、そうして普通の人間がそうなるように寝たきりの老人となってしまった。継承には自我が必要であり、継承の苦痛に耐え得るだけの体力も必要となる──それが望めない以上、〝孤児院の魔女〟にはもはや暴走を待つか、封印されるかの二択しか残っていなかった。
プライドは、目を伏せる。
以前の彼であったならば躊躇することなく生前封印を選んでいただろう。だが、今の彼にはもう、魔女の──言継の人格を無視することはできなかった。
「…………貴方は、どうなのですか」
「わたくし? 当然、嫌ですわ。だって痛いのですもの。何で死にかけの老婆ごときのためにわたくしが痛い思いをしなければなりませんの? ──けれど」
永遠に死に続けるのはわたくしも嫌ですもの。
そう言って言継は、やはり嘲った。
「…………」
永遠に死に続けることの恐怖。
それは魔女ではないプライドには到底理解の及ばぬものであった。だがしかし、言継とともに出会ったこれまでの魔女の反応からしてそれがとてもつない地獄であるということだけは──分かった。
魔女否定派。それを率いる者として、プライドはこれまで数多くの魔女に生前封印を促してきた。時には強引に施したりも、した。
──それは一体、魔女にとってどれだけ恐ろしいものだったのか。
──感情がひとつしかないがゆえに読み取りきれぬことではあったものの、読み取ろうとさえしなかった己を顧みて、プライドは片手で両目を覆う。
「傲慢」
「葉月、テラー、王。孤児たちを押さえなさい。武力行使の責任はワタクシが取ります。──言継」
それは少しぎこちない、未だ憎悪の抜けきらぬ迷いが含まれた呼び方ではあったが言継はそれをほんの少しだけゆるやかな嘲りでもつて受け入れる。
「何をなさってますの、お兄様。さっさとそこの乞食たちを取り押さえなさいな。そこの貧相な小娘とわんわんも早くなさい」
「ひんっ……!? しっ、失礼ね!! これでもBはあるわよっ!! それにあたしはあんたよりも年上よっ!!」
「わんわん……? 私のこと、でしょうか?」
「…………ラストリアル副長」
「何ですか」
「妹は渡しませんよ」
「何かおぞましい勘違いをされているようですな」
「傲慢に同意いたしますわ。愚兄、いいからさっさと乞食たちを拘束なさい」
プライドと言継からの心底蔑み果てたような冷たい眼差しに伝継は頬を引き攣らせ、了解と頷いてカレンや王とともに孤児たちの取り押さえにかかった。
「やめろ!! 近付くなっ!!」
「おっと、ここで爆弾使うつもりか? 後ろの〝先生〟も巻き込むぞ?」
「ぐっ……」
「こっちにはお前たちの武器がある!!」
拘束され、投獄された際にWHO制圧隊から取り上げていた武器を構えて孤児たちは殺意のこもった眼差しで伝継たちを睨む。だが、それに伝継たちが怯むことはなかった。
「残念。あたしたちの武器は対魔女用に改造されているものだから普通の銃器とは扱いが違うの。そのままじゃ撃てないわよ」
「えっ……」
「王!!」
伝継の鋭い呼び掛けに王の体が揺らぐように消え、次の瞬間にはベッドの前に立ちはだかっていた十代半ばくらいの孤児の体を床に叩きつけていた。そうして孤児の手から伝継のショットガンを取り上げ、そのまま銃口を頭に向ける。
「下がりなさい。この子が死ぬことになりますよ」
「な、っ……お、お前らっ!! 人間に対して危害を加えるのは禁止、されてるはずだろっ!!」
「私たちを殺しかけておいてよく言えますね」
「ほんとそれ。相手に銃を向けるんなら、自分が銃を向けられる覚悟も決めときなさい」
そう言いながらカレンが覚束ない手つきで銃を握っていた幼い孤児の手から自分の獲物を取り上げた。
「……あなたがたはきっと、〝先生〟を死なせたくなかっただけなのですよね」
孤児を取り押さえながら王は静かに言葉を紡ぐ。
「老いて……次代へ継承しなければならないとしても、きっとあなたがたは自分の恩人である〝先生〟に死んで欲しくない一心で〝先生〟に継承させることなく隠し、守り続けてきた……そうですよね」
「ううっ……」
「……けれど〝先生〟は人間ではない。魔女です。あなたがたは……それをもっと、ちゃんと理解すべきでした」
そう言って王は哀しそうに目を伏せ、視線を上げる。
「……ツタさんの妹君……言継、さん」
「ご苦労、わんわん。いい子だとこと。──お兄様も貧相な小娘もそのまま乞食たちがおかしな真似をしないようにしていなさい」
貧相言うな、とがなるカレンを無視して言継はベッドへ近付く。ベッドに伏せっている魔女はこれだけの騒ぎが起きているにも関わらず、目を覚ます気配がない。見た目こそ美しく若い女性だが──中身は寝たきりの老人そのものなのだ。当然である。