五 【孤児院の魔女】
「最悪ですわ」
「それはこちらの台詞です」
イタリア北部に位置するとある古い教会──その、地下。
ろくに掃除をしていないのか、地下特有の湿気った匂いに混じってかびた臭気が充満しているそこで言継はベッドに寝そべりながら悪態を吐く。嘲笑を浮かべたまま。
そこから少し離れたところでは木箱にプライドが不機嫌そうに腕を組みながら座っており、かつかつとプライドの革靴が苛立ちを隠すことなく小刻みに石畳の床を叩いていた。
〝花吹雪の魔女〟が力を言継に継承し、その命を散らしてから一週間と少し──今度はイタリアの孤児院にいる〝孤児院の魔女〟に暴走の気配を読み取った言継が伝継とともに孤児院を訪れ──ふたりの会話を当然のように盗聴していたプライドとカレン、そして王の三人とはち合わせたのは今朝のことである。
「ここの魔女の力も継承するつもりだったのですか?」
「こほ……その痴呆、どうにかなりませんこと? 言いましたでしょう、継承は痛いから嫌ですわ。──暴走の気配がありましたのよ」
「暴走の気配」
「ここ最近の魔女の暴走を引き起こしている魔女を探ろうとしましたのよ。痴呆のように生前封印しか頭にない貴方と違って──あら、失礼。痴呆のように、ではなく痴呆でしたわね」
「おや、貧弱にも魔力が枯渇しかけている魔女の口から何か聞こえますなあ。負け犬の遠吠えは残念ながらワタクシには届かないのですよ──さっさと続きを話しなさい」
「……残念ながら何処の誰が暴走を引き起こしているかは分かりませんでしたわ。けれど魔力感知の応用で、魔力に乱れがある魔女は──つまり、暴走しかけている魔女は分かるようになりましたのよ」
結果を出さない貴方とは違うのです──そう付け加えるように嘲って、言継はまたもや咳き込んだ。
口元はいつもと変わらず不敵な嘲りを浮かべているというのに、言継の額には脂汗が滲み出ているし呼吸も荒く、鼓動は全力疾走したあとのように激しい。そんな様子を眺めながらプライドはアイスブルー色の目を細める。
「……はぁ……全く……ただ確認しに来ただけでしたのに──貴方のせいですわよ、傲慢」
「ワタクシのせいにするのではありません」
「貴方さえ来なければ普通にお話ができましたのよ? 貴方たちが大業な武器を隠しもせず見せびらかしながら闊歩してくるものだから──あの子たちがわたくしたちを〝敵〟とみなしたのですわ」
──そう。
言継は暴走の気配が近い〝孤児院の魔女〟を訪れ、その様子を見に来ただけであった。何者かの干渉があるようであれば探るつもりで、ただ死にかけているだけであれば次代への継承を促すつもりで──けれど〝孤児院の魔女〟に会う前にプライド一味が現れてしまった。
WHO制圧隊であることを隠そうともしていないプライドたちの姿に孤児院に住まう孤児たちは〝孤児院の魔女〟を害しに来た一味だと勘違いした。──多少は間違っていないだろうが。
そして、孤児たちによる言継たちの排除が行われたのである。
それは──壮絶と称するほかにない、熾烈な爆撃であった。もはや戦争と変わらぬほどの苛烈さにさすがの言継もその力を使い果たした。
「乞食風情がこのわたくしに不届きな真似、ここを出ましたら跪かせて啼かせてさしあげますわ……っ、ごほっげほっ!!」
「…………何故、ワタクシを助けたのです?」
普段言継に投げかけている、敵意と害意と殺意とに満ちた刺々しい声色とは違う──戸惑いさえ感じられる、静かな声に言継は嘲りをその口元に張り付けたまま紫黒色の目をプライドに向ける。
「理由が要りまして? ああ、貴方のようなご老人はコンビニなんかの年齢確認にもいちいち文句を仰いますものね」
「いちいち侮蔑を言葉に付け加える貴方ほど害悪ではございませんよ」
と、そこまで言ってプライドはそっと首を傾け、言継の変わらず嘲笑を浮かべ続けている顔をじっとねめつけた。
「……嘲らなければ喋れないのですか?」
「これでも昔よりはマシになりましてよ。それに、ご老人? 何もないただの人間のくせにそんな偏屈な性格をしてらっしゃる貴方よりマシでしてよ」
言継はそう言ってまた嘲り、続けて全てが〝言葉〟と〝嘲り〟に統合されてしまうとはいえ、魔女の力を継承したことによって多少は融通が効くようになったのだと語る。
「──……」
「まあ。もしかして同情してくださっているのかしら? ご老じっ」
いつものように嘲りを口にした言継の首にぐ、とプライドの骨張った手が喰い込む。いつの間にかプライドはベッドに寝そべっていた言継の上に馬乗りになっており、憎悪を込めた眼差しで言継を睨み下ろしながらその首を絞めていた。
「驕るな、魔女。ワタクシを助けたからとワタクシが絆されるなどと考えないことです」
「っ……げほっ、こふっ!!」
首に喰い込んだ手はすぐ離れたが、ただでさえ摩耗しきって衰弱していた言継には結構なダメージであったらしく激しく咳き込んだ。──その口元に、やはり嘲りを浮かべたまま。
「…………〝魔女〟など、全員封印されてしまえばよいのです」
言継に馬乗りになったまま、プライドはアイスブルー色の目を憎悪に揺蕩わせて囁く。それは言継に語りかけているようで、独り言のようでもあった。
「次代へ継承することなく……全員、全員海の底に沈めばよいのです」
「…………」
「貴方も……海の底に沈めばよいのです」
魔女など、永遠の苦しみの中に閉じ込められていればいい。
それはまるきり私怨のこもった言葉であったが──言継は、否定しなかった。嘲りはしても──否定はしなかった。
「何故……ワタクシを助けたのです」
〝孤児院の魔女〟改め、〝稲光の魔女〟ロゼルージュ・ロズリンヌ。慈悲深い魔女として知られている孤児院の院長であるが──その人間性ゆえに、孤児院に住まう孤児たちの魔女に対する信望心はたいそうなものであった。だからなのか、孤児たちは魔女を守るための武器を蓄えていた。
銃火器類は当然のこと、爆薬まで揃えていた孤児たちによって言継たちは危うく、死にかけたのである。
魔女への攻撃許可は所持していてもただの人間への攻撃は厳禁されているWHO制圧隊の面々は反撃することもできず、その身を銃弾と爆弾で散らしかけた。それを救ったのが言継であったのだ。
──尤も、あまりにも激烈な爆撃から身を守りながら自分と、そしてWHO制圧隊の面々を再生・再構築していくというのはかなりの重労働であったらしい。孤児たちの攻撃が止むころには言継の魔力はほとんど尽きかけており、もはや言継の方が暴走しかねない状態であった。そうして倒れた言継ごと、孤児たちは訪問者を全員孤児院の地下に閉じ込めたのだ。
──そして地下にいくつかある部屋のうち、このかび臭い部屋に綴じ込まれたのが言継とプライドのふたりであった、という顛末である。
「…………先日、言いましたね。〝魔女〟とは〝絶望〟だと」
「ええ。覚えていましたのね。意外だとこと」
「死にたいと思ったことはないのですか?」
「今も死にたくてたまらないですわよ?」
「っ……」
言継の、さも朝の挨拶を交わすのと変わらぬ調子で当たり前のように口にしたその言葉に、その嘲りに──プライドは言葉を失う。
「貴方、〝十字架の魔女〟と〝墓場の魔女〟……それに〝花吹雪の魔女〟の最期の言葉を聞いておりましたわね? みな、言っていたではありませんか。〝ありがとう〟と──〝やっと解放された〟と──ご老人の記憶力に頼るのは酷でしたかしら?」
「…………」
「生きるも地獄。死ぬも地獄。唯一の逃げ道は〝継承〟のみ」
魔女に成れない殿方が羨ましいですわ。
そう嘲りながらプライドを見上げ──言継はまた咳き込む。
「こほっ……こんな話はいいですわ。傲慢、ここの魔女の子細は知っていまして? WHOですもの──知っていますわよね?」
「……〝孤児院の魔女〟改め〝稲光の魔女〟ロゼルージュ・ロズリンヌ、四十二歳。病気報告などは受けておりません」
「お兄様と同じ情報しか持ち合わせておりませんのね。役立たずだとこと」
「黙りなさい。──何が言いたいのです?」
「おそらくここの魔女は──……」
と、そこで言継はまたもや激しく咳き込んで言葉を途切れさせてしまった。プライドはそんな言継から離れてベッドの端に腰掛け直し、苦しそうに喘いでいる言継を見下ろす。
「……随分摩耗しているようですね。ワタクシとしてはこのまま貴方を封印したいところですが……魔力の回復手段は?」
「あら? 枯れ木かと思っておりましたがなけなしの人情くらいはありましたのね」
「黙りなさい。大人しく答えなさい」
「黙ればいいのか喋ればいいのか、どちらなのか分かりませんわよ? 耄碌するのも大概にしてくださいませ──魔力とはすなわち生命力。食べる、眠る、休む──それくらいですわね」
「……体力のようなものですか」
「ですわよ。ごほっ……せっかくだいぶ癒えていたものが今日で台無しですわ」
「貧弱ですな」
「わたくしが助けなければぽっきり折れていた枯れ木に言われたくありませんわね」
「…………、…………」
プライドはむっつりと眉間に皺を寄せて黙り込み、そうして静かになったプライドに何事かと言継が視線を向ければ、プライドのアイスブルー色の目と視線が合った。
そうして、告げられた。
「ワタクシの体力を奪いなさい。貴方であればできるでしょう」
「……!」
「貧弱小娘と違ってワタクシは鍛えておりますのでね。貴方に分けてさしあげるくらいの体力はあります」
「…………」
プライドの薄氷のような目には相変わらず、言継への──〝魔女〟への昏い憎悪が揺蕩っている。だが同時に言継というひとりの魔女に対して何らかの覚悟を決めたような──そんなひどく複雑な信念も込められていた。
それを見て、言継は嗤う。
「■■■■」
「ッ!!」
紫色の魔法陣がプライドの全身を蛇のように這い、生命力を奪っていく。そしてプライドの体から奪われた生命力が魔法陣を伝って言継の元へと流れ、言継の体を満たしていく。
骨の髄を炙られているような、そんな灼熱の疼きと全身を襲う虚脱感にプライドはベッドにただ置かれているだけの粗末なシーツを握り締めながら必死に耐える。
魔女に生命力を分け与えるなど、己の喉首を掻き切ってでもやりたくない真似であった。だがしかし──プライドにはどうしても無視できなかった。
無視できなかったのだ。
ただただ嘲り続けるしかできない言継を。
「ぐ、っ……!!」
魔女など魔女である、ただそれだけで罪。魔女に成る前のことなどプライドにはどうでもよかった。魔女である、それだけがプライドにとって憎悪するに十分な理由で、それ以外は必要なかった。
いや──必要ないものであるべきだとプライドは思い込もうとし続けてきた。
魔女が人間に迫害され続けていることも。魔女が人間の思惑によって使い潰されていることも。魔女が望まない継承によって魔女に成っているものばかりだということも。
プライドは、無視し続けてきた。魔女にほんのひとかけらでも同情してしまえば──プライドの抱え続けていた〝憎悪〟に陰りが生まれてしまうからこそ。
だがもう、それは限界であった。
言継という嘲ることしかできぬ、ただの少女を前に。




