③
「やめなさい!! 貴様──まだ暴走していない魔女からも力を……!!」
「邪魔なさらないで、傲慢!! 生前封印を企んでいる貴方に言われたくありませんわね──そこをどきなさい塵屑!!」
言継が一際高く嘲笑うのと同時に伝継とオセロットのふたりがプライドの体を拘束し、ふたりの魔女から距離を取った。それを見計らうように夕陽色の魔法陣が〝花吹雪の魔女〟の背後に移動し、槍となる。
「オーロラ!!」
老婦人が、悲鳴を上げる。
「おばあさン、ありがとう!! わタシ──おばあさんと一緒にいる時ダケは、本当に幸せだっタ!!」
魔女は、歓ぶ。
「葉月!! ──オセロット!!」
プライドは、憎悪を滾らせる。
夕陽色の槍が、魔女の体を貫いて言継の胸に突き刺さった。
「あ、あふっ──」
「がふぅっ……!!」
魔女は、痛みに鮮血を溢れさせながら歓ぶ。
言継は、痛みに鮮血を吐き出しながら嘲る。
ふたりの魔女が浮かべる笑顔。
類は違うものの、血を零しながら等しく笑顔を浮かべているふたりの魔女の姿は──この世のものとは思えないほどに異様なものであった。
魔女を貫き、血濡れて赤く染まった夕陽色の槍が言継の体内に収まるまでにそう時間はかからなかったが──凄惨たる光景を目の当たりにしてしまった老婦人と、そして次代の魔女と成る予定であった少女は腰を抜かしてその場にへたり込んでいた。
「あ……ああ……オーロラ……オーロラ……」
槍に貫かれ、鮮血を花屋の床に広げながら自らもその鮮血の中に沈んだ魔女に老婦人が力の入らぬ腰を引き摺りながら近寄っていく。〝花吹雪の魔女〟と呼ばれ、地元から愛されていた美しい女性の、もう二度と光を映さぬその瞳に老婦人はようやく〝死〟を悟り──涙を溢れさせ、咽び泣いた。
〈──泣かないで、おばあさん〉
「っ!!」
魔女の亡骸に縋りついて咽び泣いていた老婦人の頭上からとても落ち着いた、優しくもどこか哀愁を感じさせる声が響いてきて老婦人は弾かれたように顔を上げる。
そこには、今にも消え失せてしまいそうなほどに淡い〝花吹雪の魔女〟──オーロラ・フランソワの姿があった。
「オーロラ!」
〈──やっと解放された。もう、笑うなんてごめんだわ。ありがとう、〝集束の魔女〟〉
「ごほっ……がふっ……集束の、魔女? なにかしら、そのセンスの欠片もない呼称」
継承を終え、けれど継承の余韻から抜けきることができずに吐血と嘔吐を繰り返していた言継がオーロラ・フランソワの口にした自分の呼称に嘲笑を浮かべる。
オーロラ・フランソワは、笑わない。
もう、笑わない。もう──歓ばない。
〈──間に合って、よかった。ごめんなさい──次代に継承するわけにはいかなかった……あの子が、わたしのようになるなんてごめんだわ……〉
オーロラ・フランソワはそう言って腰を抜かしたまま動かない少女に視線を向け、笑いはしなかったものの優しく目を細めた。
「……貴方に纏っていた暴走の気配──〝死〟の気配。それは貴方が好き放題してきたゆえのつけで病に侵されたから……わたくしはそう思っていたのだけれど、病によって暴走の気配が強まるにしては進行が速いようでしたわ? 特に、今日は」
伝継に支えられ、椅子に力なく凭れかかりながら言継は口内に溜まった血をハンカチに吐き出しつつそう問いかけてくる。その言葉にオーロラ・フランソワはゆるりと頷いた。
〈──元々わたしはもうすぐ死ぬ身だった。けれど……この一週間、わたしの病を急激に活性化させて……力を暴走させようとする気配が、あったわ〉
「その気配というのは何かしら? まさか貴方まで分からないとは言わないでしょうね?」
〈──……おそらく、世界中のどの魔女よりも──あなたよりも、強い魔女〉
「……このわたくしよりも? 貴方、生前快楽に耽りすぎたせいで脳味噌も蕩けちゃったのではなくって?」
〈──気を付けて。その魔女は、おそらくあなたを狙っている〉
「…………」
〈──あなたばかりに重荷を背負わせてごめんなさい。生前封印をもっと早くに申し出ていればよかったのかもしれないけれど……その勇気が、出なかった。永遠に生き続けるだなんて……恐ろしかった〉
「そうでしょうね。貴方如きの貧弱なメンタルではすぐ気狂いになってよ。……けれど傲慢の提案した生前封印を受け入れた時の貴方……本気でしたわね? 歓びによって受け入れたのではなく、本気で──」
〈──そろそろ次代が決まりそうだったから……ママがそうさせられたように、わたしも次代へ継承せざるを得ない状況に追い込まれる前に……生前封印を受け入れちゃえばいいと、思ったの〉
その言葉に反応したのはカレンで、継承せざるを得ない状況とは何か問う。その問いに対しオーロラ・フランソワから返ってきたのは──母親の、苦悩であった。
母親もまた、歓びしか持たぬ魔女としてその身を弄ばれ続けていた。そうして死へと至ろうとしていた母親は、当初娘への継承を拒んでいたらしい。暴走しても構わないから、封印されても構わないから──当代で終わらせると、そう母親は決意していたようだ。
だが魔女を失うことを惜しんだ者たちが──母親とオーロラ・フランソワを、同じ部屋に閉じ込めた。
母親が死に至り暴走すれば間違いなく娘を殺す状況を作った。
「っ……」
カレンは、息を呑む。
歓びか、命か。
娘を歓びしか持たぬ体にするか、娘の命を奪うか。
どちらがいいか? 答えられる者などいるわけがない。母親は苦悩の末──娘を魔女にしてまで、娘に自分と同じ歓びしか感じぬ責苦を味わせることになってまで、その命を守ることを決めた。
それを責められる者が──何処にいようか。
〈──わたしはもう逝くわ。おばあさん、今まで本当にありがとう。〝集束の魔女〟……気を付けなさい。事態はどんどん加速していくわ〉
これはあなたの物語。
──魔女としてのわたしの勘でしかないけれど。と、そう付け加えてオーロラ・フランソワは眠るように目を閉じ、逝った。
淡い輝きとなって消えていった魔女を見送って、言継は荒い呼吸を繰り返しながら言葉の内容を反復し、熟考する。この世で最も強い魔女──それが魔女を暴走に誘っている、その事柄について。
「ああ……オーロラ……」
老婦人が亡骸を──もう魔女ではなくなった、ただのオーロラ・フランソワの亡骸をそっと抱きかかえて静かに涙を零す。その様子を眺めて──カレンは意を決したように前に進み出て言継と向き合った。
「〝魔女〟って何なの?」
その、あまりにも根本的すぎる問いかけに、言継はやはり嘲笑うことしかしない。
「WHOのくせにそのような初歩中の初歩のことも知りませんの? ──〝魔女〟とは〝絶望〟ですわ」
「……絶望」
「だってそうでしょう? 魔女に成った時点で終わりですもの──死ねば生ける屍として永遠に狂い続ける羽目になりますし、まっとうな死を迎えようと思うならば次代へ自らの命でもつて継承するしかない──その上、生きている間も地獄ときたものですわ」
言継は、嗤う。
やはり──嗤うことしかしない。
そんな言継を前にカレンは色の失せた顔で唇を引き締める。
「……では、貴方はこう主張するおつもりですかな? 〝生きながらにして苦しみ続ける哀れな魔女を救うべく、その力を自分が継承して解放してあげている〟と」
〝魔女〟というものの闇、それを目の当たりにして混迷の中にいるカレンとは対照的にプライドはいつもと変わらぬ、〝魔女〟への敵意と害意と殺意とに満ちた蛇のような眼差しで言継を睨み据えていた。
「前にも言いませんでしたこと? 継承は痛いの、嫌に決まっておりますわ──いくら優秀なわたくしとて、継承を続ければいつか死にますわ」
だからわたくしをさも魔王か何かのように扱うのはやめてくださる?
そう言って言継は、嘲る。
嗤い──咳き込む。
「ごほっ、けほっ……」
「言継! ──ああ、くそっ。やっぱり連れて来るんじゃなかった!! 無茶しすぎだ!」
「黙りなさいお兄様。──傲慢、貴方がすべきなのは生前封印ではなく、このように魔女を使い潰す事案をなくすことではなくって?」
そう言いながら言継は立ち上がり、プライドへ歩み寄る。伝継が制止しようとするがそれを言継は邪魔、愚兄の二言で跳ね除けた。
そうしてプライドと鼻先がくっつきそうなほどの距離に立ち、まっすぐアイスブルー色の目をねめつけながら言継は嘲笑う。
「魔女を憎むのは結構──けれど、ご老人? 傲慢? 魔女に成った人間がみな、自ら望んで成ったわけではないことを無視しないでいただきたいものですわ」
自らの〝憎悪〟を優先させるために見て見ぬふりすることはこのわたくしが赦しませんわ──憶えておきなさい。そう、続けて言継は嗤い──再び、咳き込んで血を吐き出す。
「…………」
「ごほっ……くふっ、……その老いた脳味噌でよく考えなさいな。オーロラ・フランソワは望んで魔女に成ったわけではない──それは明らかでしたでしょう? そして、魔女として生きている間に人間たちからどういう扱いを受けていたかも。ごほっ……その上で、貴方は彼女を生きながらにして死に続ける永遠の牢獄に封じ込めようとしましたのよ」
人間は死ぬが魔女は死なない。
継承せぬ限り、魔女と成った人間が真なる死を迎えることはない。
不老不死などという人類の憧れからは程遠い、生きながらにして死に続ける生ける屍。
プライドが遂行している〝生前封印〟は、つまりそれを量産しているということなのだ。
「…………」
プライドとて、五十年生きてきた身である──それは言継に言われずとも理解していた。幾人、幾十もの魔女を封印してきた中でも、魔女よりも魔女を取り囲む人間の方が恐ろしいと感じるものはおぞましいほどに多くあった。
けれどプライドは、あえて無視した。見て見ぬふりをした。
魔女への憎悪ゆえに。魔女への怒りゆえに。
「ごほっごほっ!! ──全く、このわたくしに痛みを味わせるだなんて本当に、あの魔女はいい度胸をしておりましたわ」
「…………」
プライドは、目を伏せる。
脳裏に浮かぶは、絶叫を上げながら果て逝く家族の最期。
──もう、無視はできなかった。
【歓びの魔女】




