②
「〝感情単一論〟……確か、ツタさんがオックスフォード大学で提唱しておられましたよね?」
ふと、思い出したように王がそんなことを言う。感情単一論──魔女学の助教授でもある伝継は魔女について研究をしており、魔女には感情がひとつしかないという論文も発表していた。
論拠となるデータの不足を指摘され、魔女の人格を否定しているという反発が人権団体から起きたことでその論文は日の目を見ることなく埋没してしまっているが──もしかしたら論文は正しいのかもしれないと、王は指摘する。
「魔女に成ったら……感情が、ひとつしかなくなる?」
「……まあ、思い当たる節はいくらでもありますね。魔女に人格破綻者が多いのも、感情がひとつしか持てないからなのだとすれば納得いきます──」
そして、とプライドはアイスブルー色の目を蛇のように鋭く細めた。
「やはり魔女は次代に継承させるべきではありません。力を継承すれば感情をひとつしか持てぬ人格破綻者になるというのであれば、次代へ悲劇を繋ぐような真似などせず生前封印を進めていくべきです」
「プライド!」
「……生前封印?」
「あの魔女は母親から力を継承し、そしておかしくなった──間違いございませんね?」
プライドの鋭い眼差しに老婦人は戸惑いながらもその通りだと頷く。母親であるオセロラ・フランソワはその歓びの感情でもつて様々な行為を受け入れ──その寿命を縮め、三十代という若い身にありながら病床に伏せっていた。病床に伏せることさえも歓び、死を迎える寸前に娘であるオーロラ・フランソワに力を継承し──娘もまた、歓びしか持たぬ魔女となった。
そして最悪なことに──娘もまた、歓びでもつてありとあらゆる行為を受け入れるようになり──老婦人が営んでいる花屋で働くようになった時には既に、その身は病と傷とに侵されていた。
「えっ、それって」
「あの子はもう長くないんです。なので次代を決めるべきだと今、自治会で選定が行われています」
「次代に繋げる必要などございません。悲劇の連鎖は何処かで断ち切るべきです──ご婦人。ワタクシたちはあの魔女をこれから封印致します」
その言葉でようやく〝生前封印〟の意味が分かったのか、老婦人はさあっと蒼褪める。
「あ──あの子は確かにどんな苦しみでも歓んで受け入れますけれど!! それはっ──」
「安心なさい。生前封印には従来の封印のような手法は用いません。本人の意思のもと、麻酔を施して棺の中で眠り──そのまま、目覚めることのない眠りについていただくだけです」
従来の封印──暴走魔女の封印にはまず、魔女を抑える必要があることから制圧隊によって魔女が痛めつけられる。四肢をもがれ杭で打ち付けられ鎖で縛られ、身動き取れぬよう熔鉄で固められた上で棺に詰められる。
だが生前封印となれば、暴れる魔女を抑えつける必要はない──ゆえに、人道的な封印であるというのがプライド含む魔女否定派の主張であった。
「ご理解ください。次代へ悲劇を繋げぬためなのです」
「っ……」
母親から継承され、母親と同様に歓びしか持たなくなった魔女。
それを知っているだけに老婦人は反論することができずに唇を噛み締める。
「お待たせしましたぁ!! お花のお茶と、お花をモチーフにしたお菓子をどうぞ~」
老婦人が沈痛そうに唇を噛み締めているにも関わらず、朗らかで歓びに満ちた笑顔を浮かべながら魔女はワゴンを押して戻ってきた。
「あのねぇ、ここのお花たちはわたしが〝成長〟させたものなの! わたし、〝成長の魔女〟だから──わたしが願ったものはみーんなおっきくなるの!」
そう言いながら魔女が触れた、芽も出ておらぬ植木鉢に若緑色の魔法陣が迸る。するとみるみるうちに土の中から芽が出てきて、早送りした映像のようにぐんぐんと成長していき──そうして満開の花を、咲かせた。
「きれいでしょ? さ、たーんとめしあがれ!!」
そう言いながらテーブルの上に魔女が紅茶と茶菓子を並べていくのをオセロットたちは何とも言えぬ複雑そうな顔で見守る。──プライドだけは殺意を隠そうともしない目で睨んでいたが。
──そうして魔女が淹れてくれた紅茶と茶菓子を囲み、制圧隊の面々はしばらく歓談の時間を取ることとなった。プライドは紅茶に口をつけることもせず無言で座っているだけであったが、プライド以外の面々は紅茶や茶菓子をつまみながら魔女や老婦人としばし歓談に耽る。──とは言っても、楽しげに話す魔女の話を聞いているだけのようなものであった。
「──もうよろしいでしょう。魔女、貴方は先ほど生前封印を受け入れると仰いましたね?」
花に囲まれながらのお茶会という心安らぐひと時、それをプライドがいつまでも許すわけもなく──冷ややかな一声が投げかけられたことによってお茶会はあっさりと終わりを迎えた。
──ただひとり、〝花吹雪の魔女〟を除いて。
「ええ!! 歓んで!!」
プライドによって水を差されたお茶会──だがしかし、魔女はそれを気にしない。意に介さない。気にすることができない。ただ満面の笑顔を浮かべて歓ぶだけの魔女にプライドは目を細め、視線を老婦人に向ける。
「よろしいですね?」
「…………本当に、苦しみはないのですか?」
「ありません。麻酔を施して眠りについていただき……動けぬよう拘束させていただきはしますが、眠ったまま地中深くに埋めて封印します」
「…………。……けれど……」
「ちょいといいかね、花屋さん、オーロラ──おや? もしかしてWHOの方々で?」
老婦人が何かを言い掛けたその時、花屋に数人の男と──ひとりのまだあどけない少女が現れて話が中断される。
「会長さん? ……ああ、自治会の会長さんです。こちらはWHO制圧隊の方々で……」
「ああ、オーロラの死期が近いことを知ったんですね? すみません──けれど安心してください、次代の候補が決まりました」
自治会の会長だという壮年の男はそう言って少女の肩を抱き、前に押し出した。少女はあどけなくも美しい顔立ちをしていて──けれど、怯えたように眉尻を下げている。
がたんっと激しい音が響き、オセロットたちは驚いたように背後を振り返る。魔女が──〝花吹雪の魔女〟オーロラ・フランソワが、満面の笑顔で立っていた。勢いよく立ち上がったせいで倒れてしまった椅子を直すこともせず、魔女は笑顔でプライドに話しかける。
「生前封印──わたし、とっても楽しみです!! 今すぐお願いしたいわ! ああ、なんて幸せなの!!」
「おいオーロラ、生前封印って……アレか? 暴走する前に封印するっていうWHOがやっているって噂のアレだよな? あ~……そういうことね、WHOさん……オーロラは生前封印なんざ必要ないですよ」
男は、笑う。
笑う。かの魔女のような嘲笑ではない。かの魔女のような嗤いではない。
薄っぺらく、卑下た笑みを──朗らかな笑い声で誤魔化しながら、笑う。
「この子が次代の魔女になります。オーロラを失うのはとても悲しいですが──封印なんて手間、WHOの皆さんにおかけしはしませんよ。なのでどうかご安心してお引き取りを──……」
「まあ。便利な道具を失わないために必死だとこと」
「!!」「!?」
「魔女!!」
男たちの背後から響いてきた、水晶鈴のように軽やかで透明感のある──嘲りの声。
それにオセロットたちが驚き視線をそちらに向けるのと、プライドが殺気を蛇のような目に滾らせて仕込み杖を抜き手に構えるのはほぼ同時であった。
「ごきげんよう。そして、消えなさいな」
「うわぁっ!?」「ぎゃっ!!」
そこに現れた紫黒色の三つ編みを持つ女──〝大学生の魔女〟にして〝言葉の魔女〟である魔女、葉月言継は不協和音を口にして自治会の面々を吹き飛ばした。
「邪魔ですわ、引っ込んでいなさいな──ああ、貴方はもう帰ってよろしくてよ」
そう言いながら茫然と言継を見上げていた少女の額を軽く小突き、言継は花屋の中で茫然としている制圧隊の面々と老婦人、そして〝花吹雪の魔女〟に視線を向ける。
「安心なさい、〝花吹雪の魔女〟──快楽にしか興味のない雌猫風情が魔女としてこの世にのさばるだなんて恥ですもの。その力はわたくしが貰い受けますわ」
ギィィン、とお約束のような金属音が鳴った。
「──いい加減になさい、葉月」
「それはこちらの台詞ですよ、ラストリアル副長──貴方とて、本当はもう理解していますでしょう?」
仕込み杖とショットガンとが金属音を静かに日々渡らせている中、プライドと伝継の視線も火花を散らす。
「まああっ!! あなた──ああっ、魔女ね? 魔女だわ──ああ、ああ!! 会いたかった──会いたかった!! ああ、今日はすっごく幸せな日だわ!! 素敵、素敵だわ! ねえ魔女さん、紅茶とお菓子があるの? どう?」
「あら、ごめんあそばせ──わたくし、珈琲派ですの。それに貴方と違ってわたくしにはお茶を呑気に飲んでいる暇なんでありませんの」
言継はそう言って嘲り、かつりとヒールを鳴らして魔女に歩み寄る。途端にカレンが立ち上がるが、けれどそれ以上何かするでもなくカレンは顔を蒼褪めさせたまま立ち竦む。
言継は、嘲る。
魔女は、歓ぶ。
そうではない。
言継は、嘲ることしかできない。
魔女は、歓ぶことしかできない。
「…………」
「あら、わたくしの邪魔をするかと思いましたけれど──多少は賢くなりましたのね? そのままそこで見ていなさいな。──オーロラ・フランソワ」
「はい!」
「やめなさい!! 貴様──また力を継承して集めて、何をしようというのです!!」
「魔女さん!!」
言継に向けて懐から取り出したナイフを投擲しようとしたプライドの目の前に、〝花吹雪の魔女〟が躍り出る。満面の笑顔で。歓びに満ちた、幸せそうな笑顔で。
「魔女さん──わたしの力を継承するんですね? ああ、嬉しい──嬉しい!! 幸せ──幸せだわ!! 早く──早く!! ああっ、どんな感じなのかしら? 早く──早く!!」
はやく、と満面の笑顔で強請る魔女は一見すればお菓子をねだる幼子のような愛らしさがある様相であったが──ひたすら早く、を繰り返すその様子はある種、恐怖を感じさせるものでもあった。
プライドは自分と言継の間に割って入り、ひたすら笑顔で早くと強請る魔女を怪訝そうに見下ろす。
「魔女さん、お願い──お願い!! 待ちきれないわ──ああ、早く──早く!!」
ハヤく、と魔女の言葉にかすかな歪みが生ずる。
それにプライドがはっと顔色を変えた直後には既に言継が不協和音を口にしていた。
「■■」
夕陽色の魔法陣が花屋の中を夕焼け色に染め尽くす。




