劇場版:二階堂千恵と自由ヶ丘利人の宇宙創世記(大嘘)
『わたしは ネオエクスデス
すべての記憶 すべてのそんざい
すべての次元を消し
そして わたしも消えよう
永遠に!!』
電源を落としてしまえばそれだけのテレビゲームのキャラクターの癖に、中々面白いことを言うじゃあないか。私が産まれるよりも前に発売されたゲームであると言う時代背景を考えると、この台詞は中々先進的な物だったに違いない。このなんか無駄に壮大でいて意味不明な感じは嫌いじゃあないね。私の中の邪気眼が反応している。
パパの押し入れからこの国民的人気ゲームの五作目をハードごと発掘してから既に一カ月。ようやく決着の時が来たか! と言う私の気分をBGMと共にストーリーが盛り上げてくれる。
まあ、利人が死んだ目で経験値稼ぎをしてくれたお陰で、主人公達は滅茶苦茶強くなっている。これまでの戦闘は凄く一方的だったし、攻略サイトをスマホのディスプレイに表示している私に隙はない。って言うか、“連続魔”と“ものまね”が強過ぎる。それを理解していても私は一心不乱に“バハムート”を連打させるんだけどさ。
先人の知恵と利人に感謝だ。
ボスのHPはあっと言う間に溶けてなくなり、エンディングを迎える。
「やった! 利人! 私、世界を救ったよ!」
達成感と幸福感に包まれながら、ソファの隣に座っていた利人に抱き付いて共に感動を分かち合う。わざわざその為に呼んだ利人は「おめでとう。レベルを上げた甲斐があったよ」と若干皮肉交じりに私の偉業を称えてくれた。
なんか、鬱陶しそうな表情で私を引き剥がして来るんだけど? 大きく溜息をついているんだけど? その吐息の意味を教えてハニー。
って言うか、利人がレベルを上げたキャラが世界を救ったんだから、自分の子供がオリンピックで金メダルを取ったように喜ぶべきだと私は思うんだけど。
「世界が“無”に帰す所だったんだからね? わかってるの?」
「知らねーよ」
そりゃそうだ。「レベル上げといて」とラスダンまで言ったデータのソフトをハードごと渡された利人がストーリーを知っているわけがない。
教えてあげたい所だけど、私は利人と違って解説好きでもないので説明はしない、
「でもさ」
強引に話を先に進めてしまおう。
「世界を“無”にしたいんなら、自殺すれば早いのに。迷惑な奴だよね」
自殺するラスボスって言うのも斬新で面白いのではないだろうか?
「死んでも世界は続くからな」
「そう? 死んだら何もかも関係なくない?」
私の中で“死”とは“無”に他ならない。私が死んでしまえば、私は当然ながら世界に干渉する術がなくなる。何も感じられないのであれば、それは無だ。その後に世界がどうなろうと関係ない。
そう言うと、利人は首を横に振った。おや? 意外だ。『死こそが唯一の救いである』とか言いだしてもおかしくないと思っていたのに。
そんな酷い評価を知る由もなく、利人は持論を口にする。
「関係あるさ。千恵が死んだら、俺は悲しい」
へぇー。
「どれくらい悲しい?」
「悲しみの涙で新名所ができるな。涙の河が産まれるぞ」
お前は神話の登場人物か。スケールが壮大過ぎる。予想外の悲しみの表現に、千恵はちょっと困惑。
「千恵がいない世界は続く。この世界だってそうだろう? 誰かが死んでも世界は続く。個人的な死は極めてミクロな世界の“無”であって、全体に大きな影響を与えることはない」
しかし言いたいことはもっともだ。自分が死ねば世界が終るなんて考えは、極めて自分本位であり、世界を矮小化させる傲慢な思い込みだ。ラスボスは自殺なんてしない。
でも、じゃあ“無”って何なんだろう?
エクスデスは世界をどうしたかったんだろうか?
答えを教えてはくれないゲームの電源を落とし(どうせ世界を救う前のシナリオ段階に戻ると思うと、見る気にならない。私が総理大臣なら、エンディング後は必ず平和な世界をプレイできるように義務付ける)、テーブルの上にウエットティッシュで手を拭った後に、利人が持って来た柿の種を二粒口の中に放り込んで考える。
「エクスデスはさ、自分すら存在しない世界を作りたかったわけでしょ?」
「ん? よくわからんが“世界”があるからそれは“無”じゃないんじゃあないか?」
んん? それこそよくわかんないツッコミだ。
「“無の世界”って“世界”があるなら、それは“無”じゃないだろう?」
空っぽの瓶を指さして『これが無です』と指摘された時に感じる違和感と同じだろうか? 空っぽの瓶が“無”だと言われると、確かにそれは首をかしげざるを得ない。入口があって壁があるなら、その中は“無”とは言えないかもしれない。
かと言って、何処まで進んでも壁がない場所は“無”とは程遠い。それは“無限”の世界だ。
「えーっと? じゃあ、世界そのものが“無い”ってどう言う状況なわけ?」
「いや、説明する程の何かがあったら“無”じゃないだろ」
「なるほど」
利人の言葉はやっぱりもっともだった。まさしくその通りなんだろうけど、しかし納得がいかない。って言うか、想像ができない。
「そもそも、この私達が“世界”って呼ぶモノは“何時”の“何処”から“在る”の? 確か、宇宙って永遠不変ってわけじゃあないんでしょ?」
現代人として、私も宇宙が膨張を続けていることは知っている。
しかし誰が気付くんだよ、そんなこと。
「そうだな。アインシュタインですら宇宙は不変だと考えていたが、実際は始まりと終わりがあると言うのが今の見解だ。およそ一三八億年前に始まり、いつか時の果てに終わるようだな」
「アインシュタインでも間違えるんだ。相対性理論の人だったよね?」
現代人として、名前だけは知っている。えーっと、うん。凄い頭が良い人だ。
「そうそう。宇宙と言えば、相対性理論にわざわざ加えた数式が実は間違っていたことは有名だな」
知らないよ。何の数字を足したんだろうか?
「宇宙が膨張していることを否定する数式を足したんだ」
ん?
「それはつまり『相対性理論は実際に正しかったけど、自分にとって都合が悪いから数式を弄った』ってこと?」
「だいたいその通り。アインシュタインは宇宙が膨張するなんてありえないと思っていたんだ。だから、自分の相対性理論に数式を足して、誤りを正した。正確には、正解を誤ったんだけどな」
えぇ……。まあ、でも、テストの見直しをしていると、正解しているのに疑心暗鬼で間違った答えに書き直しちゃうことってあるあるだよね? アインシュタインも人間だったわけだ。
「その後、宇宙が広がっていることがわかり、宇宙に始まりがあったと考えるしかないようなデーターがバンバンと出て来る」
「ずっと疑問なんだけど、どうして宇宙が広がっているなんてわかるわけ? 私は今まで生きて来てそんな風に感じたことないんだけどさ」
「風船に二つの点を書くだろ? で、膨らませると、二つの点の距離はどうなる?」
訊ねながら利人は柿の種のピーナッツだけを口の中に放り込む。ワサビのフレイバーが辛いから家で誰も食べないモノを家に持って来たらしい。勝手な奴め。
対抗するように柿の種を食べながら、頭の中で風船を膨らませる。風船は徐々に膨らんで行き、表面に書かれた二つの点の間の距離は広がって行く。
なるほど。
「つまり、二つの星の距離の変化から、宇宙が広がって行くのがわかったってこと?」
「簡単に言えば、そう言うこと」“簡単”を殊更強調して利人は頷く。
「広がっているとなると、昔はもっと小さかったことになる。それをとことん突き詰めた状態が宇宙の始まりだ。もうこれ以上、小さくしようがないって所から宇宙は始まった」
宇宙の始まりなんて言うと壮大なイメージだけど、実際は凄く小さい場所から始まったと考えると少し面白い。例え宇宙であろうとも、始まりは小さいと思うと、私も頑張らなくてはと気が引き締まる思いだ。
「それで? 小さいってどれくらい小さいわけ?」
「千恵の思うより小さいだろうな」
むむ。何故に私の宇宙観を利人が知っていると言うのだろうか?
「あれでしょ? 素粒子? とかより小っちゃいんでしょ?」
「宇宙――ビッグバン――の始まりである、重力的特異点は相対性理論が正しければ時間や空間と言う概念が通用しないから、“大きさ”がそもそも存在しないって言うのが正解だ」
「宇宙の法則が乱れる!?」
流石、無の化身ネオエクスデス。あのインパクトの大きい台詞はそう言うことだったのか……?
「でも、それが科学者の言う宇宙の始まである“無”なわけだよね?」
「そう言うことだな。大きさはない、でもエネルギーを持つ特異点により宇宙は始まった」
「じゃあ、その前には何があったの? って事にならない? 無じゃないでしょ、それ」
私の質問に、珍しく利人は黙った。目付きの悪い男の瞳が、何かを思い出そうと左右に細かく揺れている。
「結局、その特異点? が存在する空間があったんじゃあないの? 全く何もない空間……いや、空間ですらない“無”って言うのが想像できないんだけど」
「まあ、ぶっちゃけた話し、俺も想像はつかん。エネルギーが現れては消えて、物質として存在しないと考えるしかないらしい。その永遠なのか虚空なのかわからん奇跡の時間は、ビックバンによって終わり、時が始まる」
「いやいや、でも、やっぱりおかしいよ。ビッグバンが起きたってことはさ、“時間”がそれよりも前に在るんじゃあないの?」
流れる時間がなければ、身動きできないことをジョジョ三部から学んだ。ビッグバンが起きたとするのなら、まずは時間が働いていないとおかしくない? そして、時間があるのであれば、それは“無”じゃあない。
「時間はビッグバンと同時に始まったらしいからな」
利人は私の疑問に答える。少々歯切れが悪い。どうやら、利人本人もあんまり詳しくしらないようで、あまり深くつっこむと困るようだ。粗筋だけ知っている本を説明する私みたいに曖昧な答え方だ。
私はこの状態の利人を見ると『勝った!』と言う清々しい気分になる。
まあ、私はただ質問しているだけだし、明らかに虚しい勝利なんだけど。
「まあ、わかった(わかってない)よ。時間はない。でも、さっきビックバン以前の“無”にはエネルギーがあるとか言ってなかった?」
「ああ。言ったな。エネルギーが打ち消し合っている存在しているらしい。その“ゆらぎ”って言われるものがあって、それによって宇宙が産まれた。SBR一〇巻のおまけ漫画で荒木先生も言っていただろ? 真空状態でも突然に素粒子が現れることがあるって。そう言う量子力学的な話しなんだよ、この“無”って言うのは。結局、相対性理論が正しければ物質もエネルギーの一面でもあるしな」
何を言っているんだ、こいつ。日本語喋って欲しい。
「そのエネルギーのゆらぎ? がどうやって宇宙になったわけ? 地球の元とかが入ってたの?」
「誤解を恐れずに言えば、そうだな。この宇宙全てのエネルギーがそこにあったんだとさ。そのエネルギーがビックバンによって解放されると、均等にではなく偏りを持って散らばった。始まりの三分間、超高熱によって素粒子の『クオーク』が化学反応でくっついて陽子や中性子となり、軽い原子である水素とヘリウムの『原子核』が大量に生まれる」
三分って、インスタントラーメンかよ。
「偏って生まれた水素とヘリウムは重力によって更に偏って集まり、太陽のような恒星が誕生する。太陽の殆どは水素とヘリウムだってのは授業で習うか? ついでに言うと、太陽系の質量の九九.九パーセントは太陽が占めているから、宇宙から見れば人間なんてそれこそ“無”みたいなものだな」
「太陽って滅茶苦茶大きいもんね。で? その最初の太陽が、私達の太陽系の太陽なんだね?」
「いや? あれは五〇億年くらい前にできたらしいぞ」
五〇憶年かぁ。古いのか新しいのか判断に困る。あと、どうでも良いけど、誰が計測したんだよ。
「って、うん? あれ?」
「どうした? わからない所があったか?」
「いや、正直全然わかってないけど、これって“無”の話しだよね?」
なんか『劇場版:二階堂千恵と自由ヶ丘利人の宇宙創世記』みたいな会話の流れになってたけど、私が知りたいのはそこじゃあない。エクスデスの望んだ“無”とは何かって話をしていたはずだ。
「何か、話を総合すると、世界は無から始まったみたいな話しばっかしてない?
「なんだ、わかっているじゃあないか。そうだぞ? 宇宙は無から始まった」
「じゃあ、世界が“無”になったとしても、その内にまた“有”が始まるわけ?」
「多分、そうなるだろうな。もしかしたら、主人公たちが敗北した世界の続きが俺達の宇宙なのかもな」
だってさ、エクスデス。
貴方は勝ったとしてもそれは“無”じゃあなくて“無駄”に終わる可能性の方が高そうだよ?
そう言うと、利人は大きく溜息を吐く。
「人のゲームのレベル上げしていた俺の時間の方がよっぽど無駄だよ」
※ 拙作『【ニーチェ】利人と千恵が『善悪の彼岸』を読むようです。【哲学】』にも同じ話が投稿されています。ご了承下さい。
※ あと安藤ナツの気紛れ小説なので、言ってることが不正確だったり間違いだったりするかもです。
人に話す時は自己責任でお願いします。