ガラス瓶の液体ダイヤモンド
「頭のいい子はいらない」
それは、小学5年生の私に言い放たれた言葉だった。
父はうつ病だった。母がなんと説明したかはっきりと覚えてはいない。ただ、心が疲れてるから休むことが必要だと言ってた気がする。心の病だと教わった。気を使う必要はない、いつも通りでいい、そんなことを言われたが、父が病気だと知った辛さや衝撃は今でも覚えている。
しかし、ありきたりな言葉で言い表すなら、本当の地獄の始まりであり、終わらない苦痛の人生を歩むきっかけにすぎなかった。
夕食後に「家族会議」と言われる長時間の拘束と説教。酒を呑みながら繰り返される話は、いつも同じ顔の知らない私の祖父のこと。
頭を殴られた。
お前にも会わせたかった。
きっとお前も俺のように殴られる。
少なくともそれは、小学生には耐えれないほどの恐怖と苦痛だった。
「泣いても何も解決しない」
言い表せない感情が、胸の中を転がり落ちる。毎日毎晩、「家族会議」は繰り返される。小学校入学から虐めに重なる家庭の重圧。
1つ下の妹は、私より家族に愛されて、友人も多く、運動もできる。私に残されたのは、日々勉強することだった。友人のいないことも幸いして、図書室に通っては本を読み漁る。
ゲームなんてない。家に金がないのだから。
本の中にしか、私の逃げ場所はなかった。家にも、学校にも私の居場所はなかった。
なぜ、姉だから我慢しなければならないんだろう。
1つ年が違うだけで、私は他の子より不幸なのだろう。
死にたかった。
自分の部屋に逃げ込んでは、扉の向こうから両親の言い争う声が聞こえる。
誰も私を助けてくれなかった。
誰も助けてくれないのに、私は家族を守らなければならないと思った。
母を、守らなければ。
妹を、守らなければ。
父の言葉に傷つくのは、私だけでいい。
どうせ、私は
誰にも必要とされないのだから。
自分の心を砕けば、痛みも悲しみも何も抱かなくなる。
感情を捨てれば、また私は強くなれる。
暴力を振るう父に立ち向かう。
刺し違えても、守る意思で。
(大丈夫。人間は案外頑丈だから)
泥酔した父親を押さえるのは楽だった。
小学生の身でありながら、身長は160cm越えていた。
けれど、家族の形は事実上崩壊した。
中学に進学して、一番多忙な部活に入った。部活をしている時が、何もかも忘れることができた。
友人もできた。
なのに、部活内での争いが増えた。飛び交う悪口、何もしていないのに睨まれる。
私は、友人の言葉を聞いていた。練習に打ち込めるように、話を聞いていた。
(なぜ?目標は同じなのに。なぜ、わかってくれないのだろう)
徹底的なのは、部長の言葉だった。
「辞めたいなら、辞めればいい」
この一言で、部活は空中分解した。
泣きながら自宅へ帰り、そのまま保護者会議が開かれる。
教頭先生が仲介に入る事態にまでになった。けれど、何も解決しなかった。
最後の大会にも、外部講師のレッスンにも、私は出なかった。
最後の日のみ出た。
そして、私の部活は幕を閉じた。呆気ない最後だったと、涙が零れ落ちた。
部活は終えても、父は変わらない。高校進学のために、ひたすら勉強しなければならないのだ。
家のために。
家のために。
親戚から両親は馬鹿にされ、見下され、縁を切られ、悪口すら言われている。
(人の悪口しか言えない奴らに負けたくない)
受験勉強の仕方なんかわからない。
数学は苦手。塾に行ける余裕なんてない。
伸びない成績に、落ち込むことが増えた。
そんなある日、一人の女性アーティストの曲に救われる。
頑張れという言葉は1つもなく、ただ隣にいるという歌詞だった。
大丈夫だと、根拠なく感じた私は、やれることから始めることにした。
少しずつ幸せになっている。
少しずつ良くなっている。
だから、大丈夫だと信じた。
高校は無事に合格し、友人とは別の高校になるが、それでもまだ繋がっていられると思った。
私の中学卒業と高校合格の祝いを、近所の店で行うことになった。
けれど、
父は泥酔して、店の客と喧嘩し、祝いを行うことすらなくなった。
自宅の前には、
一台の救急車が。
母は、日本語をうまく理解できないから、私についてきて欲しい、と。
怒りと
絶望と
悲しみが、込み上げる。
「アンタは!どこまで私の邪魔をすれば気がすむんだ!」
悲鳴のようだと心のどこかで感じた。
もう、無くなるまで粉々に心を砕いたと思っていたのに。
救急隊員に押さえられ、母と共に救急車に乗り込む。
(なぜ、なぜ、こんなことに)
本当ならば、祖母や叔父も呼んで今頃ご飯を食べていたのに。
神様はなんて、残酷なことを私に強いるんだろう。
結露した窓を指で線を書いては消して、書いては消して、ぼけた車のランプを遠くに見て。
あぁ、決して私は幸せにはなれないのだと痛感した。
病院に着いて、医師からは薬は出せないので、酒を抜いてから来て下さい、との言葉だった。
二時間、救急車に乗った結果だった。
食事は、自宅近くのファミレスですませた。
時刻はすでに23時をすぎて、私は絶望と布団に潜った。
妹が、幸せになればそれでいい、と自分を諦めて。
高校に入学すると、そこそこの友人とほぼ帰宅部の部活にして、勉強に打ち込むようになった。好きなものが少し増えた。家が少し静かになった。
今までよりマシになった。
逃げる世界が増えたから、だと思う。
他の家とは違うけれど、家族の形はそれぞれだからと割りきった。
私に幸せは似合わない。
大学だけは、名前が有名なところにしよう。
お金は奨学金でやりくりして、バイトは地元のスーパーで。
それなりに、働けて、たまに美味しい物が食べれればいい。
高望みをした分だけ絶望は深くなるから。
勉強に打ち込めば、成績は伸びていった。
父が精神病院に入院した。
高校2年生になれば、学年10位内に入った。
数学では常に一位を取れるようになった。
センター試験の結果は上々。
国立大は落ちたが、私立の滑り止めには受かった。
都心近くの大学は、綺麗なキャンパスに見たことのないカフェがあった。何よりも、本屋が大きかったことが嬉しかった。ゼミでは良い仲間と知り合った。
個性も成績もタイプもバラバラなのに、互いを受け入れる心地よさがあった。
穏やかな日だったと思う。
けれど、そんな日々も就活が迫り、崩れていった。
12月になって、ようやく就職先が決まった。大学で学んだことを活かせる場所に。
自宅から片道2時間。
毎朝5:30に起きて、帰宅は20:00。
大丈夫、まだやれる。
上司にうつ病を抱えている人がいても。
一番上の人が代わっても。
仕事がすべて雑務でも。
お茶出しでも。
ゴミ出しでも。
掃除でも。
クレームの受付も。
窓口の受付も。
電話対応も。
書類整備も。
メールの確認も。
大丈夫。
まだやれる。
まだがんばれる。
上司の話に付き合って、帰りが22時になっても。
それが、残業代つかなくても。
30件の顧客を抱えても。
まだやれる。
まだがんばれる。
昔ほど辛くない。
昔ほど平和。
同期が辞めても。
友人になった同期と連絡取れなくても。
先輩が転職活動してても。
慣れてる。
父のが酷かったから。
繁殖期の帰りが日付越えても。
誰も掃除を手伝わなくても。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
なんで、あの人は上司の悪口を言うんだろう。
なんで、上司は仕事をしないんだろう。
あぁ、また仕事が終わらない。
定時に帰らないと、上司の話に付き合うことになる。
気付けば、夜が眠れなくなった。
朝の電車が恐ろしい。
乗り換えの電車を待つと、足が線路に引き込まれる。
飛び降りれば楽になるだろうか。
母は、悲しむだろうな。
あぁ、行きたくない。
なんで行かないと行けないんだろう。
嫌だ。死にたくない。
職場の急騰室で隠れて泣く。
行きの電車で涙が零れる。
40度の熱が1週間下がらない。
腹痛と吐き気が止まらない。
職場に殺される。
薬を飲んだら落ち着いた。
けれど、眠気に襲われ仕事ができない。
気付けば、社用車を路肩にぶつけてた。
「大丈夫です」
そう答えていた。
相変わらず、夜は眠れず病院通い。
職場で気付けば眠って、上司に起こされる。
SNSで、気を使ってくれる人が多かった。
辞めてもいい
もう無理しなくていい、と。
診断書を出して、休暇に入った。
初めの1か月は、40度の熱を二度と出した。
日が昇ると眠りに落ちる。
薬の眠気に慣れてしまう。
眠りすぎて、心が沈む。
診断書の枚数が重なる。
薬はどれに変えても眠れない。
言い様のない焦燥感に襲われる。
しなきゃいけないのに、動けない。
何のために頑張ってきたのだろう。
何のために私は生きてるのだろう。
すべてを諦めた私に、何ができるのでしょうか。
それでも、彼女は生きています。
何をするか、何をすべきか、まだ定まっていません。
けれど、少しずつ生きています。
もし今、彼女のように辛い思いをしている方がいるのならば、逃げてください。
立ち直り方は人それぞれで、立ち直れるかどうか悩むかもしれません。
けれど、何よりも先に自分を大事にするところから、始まると思うのです。
あの人もあなたと同じだと、誰かが無責任に言うだろう。
あなたの考えすぎだと、放り投げる人もいるだろう。
誰もが同じ道を通ったと、笑う人がいるだろう。
そんな言葉を飲み込む必要は、ありません。
同じ道や同じ過ち、ましてや同じ人生を繰り返すことはできないのです。
強く生きるのは難しいです。
けれど、強く生きようとすることはできるのです。
人の歩き方に速さがあるように、生き方の速さもそれぞれある。
自分を大切に、息切れしたら一休みして、自分を見つめ直して生きれますように、と。
彼女のように、道端で倒れてしまわないように。
そんな思いを込めて、書きました。