第1章 その4 エイプリルフールお花見頂上合戦!(4)『牙』と『夜』
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2018年、4月1日。あと数日で高校生になる、おれ、山本雅人は。
猛烈に困惑していた。
というのは今夜。おれの従兄弟で幼なじみの沢口充が、初恋という甘く危険な罠(?)に落ちた瞬間を目撃したのだ。
場所は井の頭公園。
ライトアップされた夜桜の下、ちょっとないゴージャスな花見の席。
相手は花見の席のスポンサー(推測)である社長夫妻の、沙織さんという、社長夫人。見た目はまさに年齢不詳の美魔女。えらく若そうだけど、おれたちと同じ年頃の娘さんがいるという。そう聞いて、充は、呆然としたように夫人を見つめて、言った。
「きっときれいなお嬢さんですね」
このせりふの前に、心の中では(あなたに似て)と付けて言ってるな。
ひとときの沈黙の後。
「はははははは!」
社長が、豪快に笑った。
「その通りだよ、娘は、妻によく似ているからね」
充の恋に気づいた様子はない。……年の差ありすぎだもんな。おれだって、いつも顔付き合わせてる腐れ縁だからこそ、充の気持ちの変化がわかったのだ。
「香織と言いますのよ。今年、高校進学ですの」
清楚な色香を振りまく上品美魔女。
へ~。沙織さんっていうのか~。きれいな名前だ……
はっ、いかんいかん。
なんか、おれまで、ぼうっとしてきたぞ。
「なんて呼んだらいいですか?」
畏れを知らない充が果敢に話しかける。
「名字でも名前でもどちらでも構いません。並河です。こちらは夫の泰三で、私は沙織といいますの。娘は香織と」
「かおり、さん……」
ふと前を見れば、テーブルを挟んで向かいの席に座っている、親父までが!
引きつけられたように沙織夫人から視線を外せないでいるじゃないか!
バカ親父!
おれが小さいときにお袋が死んでから、十四年も独身を通してきたくせに!
ちょっと美人が目の前にいると、これかよ!
脛でも蹴ってやりたいが、テーブルが広くて足が届かない。
「おい充」
まわりに聞こえないように、そっと声をかけた。
「親父の酔いを覚まさせたいんだけど、あれ持ってるよな」
と、合図。こいつが、小学生のときに近所の葉月姉ちゃんから「あれ」を貰って以来、気に入って常に持ち歩いて腕を磨いているのだ。
「え、あれ? うん持ってるけど」
驚いたように充は答え、ポケットをさぐって確かめた。
「やってくれ! 親父に一発!」
すると充は、心得たようすで頷く。
「どこ狙う?」
「後ろから背中とか。服の上だから強めで」
「やれやれ」
トイレに行くふりで立ち上がる充。
親父の後ろに回り込んでるのが見える。
屈み込んで、ポケットから取り出した小さな、あるものを手にして、構えて。
バシッ!
「あ痛っ!?」
親父は弾かれたように飛び上がって、腕をさすった。
「どうかしましたか?」
「え、いえ、おかしいな。虫でもぶつかったかな」
きょどる、親父。
やったぜ! 目が覚めたな。
息子の前で美魔女にのぼせるなんて恥ずかしい父親だ。
しかし、このとき事件は起こる。
親父の横に、ふらりと現れた人物がいた。
確かテーブル席についていた女性のひとりだ。
シンプルな明るめグレイのパンツスーツに、桜色のスカーフ。柔らかなウェーブのかかったセミロングヘア。うつむいているので表情までは見えなかった。
そして次の瞬間。
親父は彼女にグーで顔を殴られて、文字通り椅子ごと吹っ飛んだ。
「え? なんで?」
椅子が倒れてさらに桜の根元近くまで飛ばされた親父は、いったい何が起こったのかわからず、すぐには起き上がれないで「なんでなんだ?」と言っている。
「……はる、さんのバカ! 浮気者」
突然、彼女は泣き出した。
酔ってる?
もしや、まさはるって言おうとした?
一瞬のできごとに呆然として誰も動けないでいた、その中で。
「桃枝さん!」
最初に立ち上がったのは、沙織夫人だった。
「大丈夫よ。心配ないわ。安心して」
そっと彼女の背中を抱いてなだめるようにささやき、駆けつけた女性社員二人ほどと、ケータリングの衝立の向こうへ。
「彼女、いつもは酒を過ごすタイプじゃないの。今夜は……いろいろ事情があって。思い出したのね」
おれは、あえて聞かない。人の事情をあれこれ詮索するのは、いやだ。
「あれっ?」
席に戻ってこようとしている充が、ふと、沙織夫人のほうを見て、首をひねる。
「犬がいる。お腹がすいてるのかな。沙織さんが飼ってるんですか? ここにある料理とか、人間の食べ物は、やったらいけないですよね」
「待て充。なんだって? 何がいるって?」
「ここにいるだろ。大きな黒い犬と白い犬」
充は手を伸ばし、自分の膝あたりに何かがいてそれを撫でるようなしぐさをした。
しかし、おれは、目をしばしばと瞬き、目をこする。
何も、見えなかったのだ。
充、おまえ何を撫でてるんだよ!?
「その子たちは人の食べ物は欲しがらないのよ」
沙織夫人は、振り返って、うっとりするような微笑みを浮かべた。
「食べるのは生命なの。充くん、あなたの精気を分け与えてあげて。そうしたら、もっと懐いてくれるわ」
「はい?」
生命? 精気!?
耳を疑う。だけど、充は微塵も疑ってないようで。言われるままに手を差し出している。魔法にかけられたみたいに。
そして、ふっと。
おれにも、見えた。
純白の長い毛をした犬と、真っ黒な犬が。鼻先を充の手にすりつけ、舌をのばしてペロペロしてる。
いやいやいや! これ、犬じゃないだろ! 他の、なんかだよ! ヒョウとかレパードとかいうヤツ。猛獣だよ!
なのに充は。
「かわいいなあ。いいなあ、大きい犬飼いたかったんだ」
「のんきなこと言って……」
呆れる、おれ。
しかしこいつらが、沙織夫人の飼っているペットたちだとすれば「これ犬じゃないだろ、なんかヘンなのだろ」とか言えない。
「かわいいでしょう。《牙》と《夜》と言いますの。少し性質が荒っぽいですけど、守ってくれるのですわ。香織のことも……」
ぴくり。
そのとき、二匹の犬(もういいや、犬で)は、身体を総毛立たせた。
そして音もなく動き出したとき。
「香織に何かあったのですわ」
沙織夫人の、感情を抑えた声に、充は反応した。
すぐに立ち上がって犬を追ったのだ。
「充さん! お願い。あの子を……」
おれもすぐに後を追った。
何がなんだかわからないが、多分、やばい。
この4月1日のエピソード、続いてます。現実のエイプリルフール中に書き上げられると信じていた頃が自分にもありました。長くなる傾向があるっぽいですね。(今頃気づいたのか?)がんばります。