第1章 その32 夕食は楽しいほうがいいね
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ああ、この家は、幸せな家族の家なんだ。
写真を見て実感した、おれ。山本雅人は。
そろそろ帰らなくちゃ、と思った。
いつまでもここに居られたら。だけどおれは、家族じゃないから。
立ち上がって、できるだけ丁寧に、頭を下げた。
「ありがとうございました、伊藤さん。伊藤さんのお母さん。ご厚意に甘えて。すっかり長居してしまって、すみませんでした。おれ、そろそろ帰ります」
「そんな! まさとお兄さん、もう帰っちゃうの?」
杏子さんが引き留める。
桃枝さんも。優しく申し出てくれた。
「山本くん、気にしないでください。杏子も楽しそうだし、いつまで居てくれてもいいのよ。良かったら、夕ご飯を一緒にどうかしら? それとも、夜は、山本くん、お父さんとどこかで待ち合わせして出かける予定でも?」
「いや全然ないです!」
焦った。
「親父との予定なんか、ないですけど、たとえあっても、断固として断ります!」
おれは大まじめで言ったのだけれど。
これは杏子さんと桃枝さんに、超ウケた。
「山本くんたら! おかしいわ」
「あははははは!」
二人ともに腹を抱えて大爆笑。
そんなヘンなこと言ったかな?
「あの、それにお父さんが帰ってきたら、いきなり見知らぬ他人のおれなんかが居たら驚いてしまうじゃないですか」
動転したおれが口にした、次の言葉は。
いきなり、爆弾を投げ込んだみたいだった。
「……ああ、そっか。まさとお兄さんは、知らないはずだものね」
杏子さんが、目を伏せてぼそっと言った。
「え?」
「そこに飾ってある写真ね。あたしの九歳の誕生日に、みんなでディ○ニーランドに出かけて。……お父さんと、さいごに撮ったやつなの」
水の底を覗き込むような、杏子さんの大きな瞳が、みるみる、潤んだ。
「その写真を撮ってすぐ……事故で。死んだの」
おれは頭を強く殴られたような気がした。
なんてバカだ!
なんて無神経!
おれは、おれは。……!!!
「まさと。あたし、平気よ」
とても静かな声で、杏子さんは言った。
「だって、あのとき、まさとは、まさとお兄さんと充くんは、あたしと香織を助けにきてくれた。だから、つらいとき、よく考えたの。きっと、また会えるって。そう考えたら、救われたの。……ありがとう、まさとお兄さん」
そして杏子さんは、ゆっくりと、微笑んだ。
おれは、再び、恋に落ちた。
※
「ところで、山本くん。お寿司と中華と丼とチキンとハンバーガーの、どれがいい?」
「はい?」
「夕食よ。出前を頼もうと思うの」
にっこり笑う、桃枝さん。
ちょっと待て。
「それはとても嬉しいんですけど。あの、冷蔵庫見せてもらっていいですか?」
失礼を承知で、おれは尋ねた。
予想以上だった。
冷蔵庫の中は、ビールとジュースしか入ってなかった!
しかもジャーの中身も、からっぽ。
白い飯さえなかったのだ。
「どしたの、まさとお兄さん。お腹いたいの?」
「……いや、だいじょうぶだ……」
「ごめんなさい。わたしも杏子も、お料理って苦手なの。それに仕事で遅くなりがちで。今日は、たまたま早く終わる日だったから、迎えに行けたのよ」
せめて白いご飯と卵でもあれば、何か作れるんだけどなあ。
がっくり脱力した、おれは。
おとなしく、伊藤さんが出前をとってくれた豪華な寿司を、三人で囲むことにした。
そうだよね。
忙しいお母さんだもんな。
三人の食卓は、楽しかった。
始まったばかりの高校生活の話。クラスの担任の話、香織さんの犬が乱入した話。
おれは、うっかり、悪友で幼なじみの従兄弟、沢口充は。ぜったい香織さんに恋してるって暴露してしまった。
それから、いろいろ。美少女スクールカウンセラーさんと美青年の校医さんがきょうだいだった話とか。
杏子さんの笑顔。
桃枝さんはビールを飲んで豪快に笑った。こんな屈託の無い笑い方もする人だったんだと思ったら、何故だか、ほっとした。
それに寿司は、すっごくうまかったのだ!
たまには、いいな。出前も。
……あれ?
何か忘れてるような気がする……?




