第1章 その27 学校オーナー、沙織夫人の頼みとは?
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全校生徒が健康診断を受けている頃。
沢口充は、学校内に設けられているクリニックの病室にいた。
気がついたらベッドに横たえられていたのだ。
胸の上には、クラスメイトの並河香織にそっくりな少女が乗って、充を押さえつけて、くんくん、ニオイを嗅いでいる。
両脇には巨大な黒い犬と白い犬がいて、鼻をくっつけ、しきりに嗅いだり、頬を舐めたり。
そこへ現れた美女は、おっとりと微笑んで、言った。
「しばらくぶりね、沢口充くん。4月1日のお花見の夜以来ね。わたしのこと覚えているかしら?」
もちろん忘れたことなどなかった。
初恋だったのかもしれないと思っている。
あの夜、こんな綺麗な女性に生まれて初めて会ったのだ。
「わたしは並河沙織。香織の母です」
「ええっっ!?」
これには充も驚いた。
高校一年の香織と、姉妹といっても通りそうなほど、沙織は、若々しく美しい女性である。
そういえばあの花見の夜、高校生になる娘がいて、もうじき来るからと引き留められたのだった。
雅人と充は、大人達に遠慮して、早々に帰ったのだったが。
「ところでわたし、この学校のオーナーなの。八年前から。よろしくね!」
「え、そうなんですか」
充は呆然とする。
驚くことばかりなのだ。
突然、巨大な二頭の白犬と黒犬に襲われて、なめ回されたことも。並河香織にそっくりな美少女ルナに押し倒されていることも、沙織夫人から、ルナの伴侶になってほしいと頼まれたことも。
しかも。
ルナは、香織の中の「乖離」した意識の一つだという。
「この子は『魔女』。わたしと同じ。目覚めたきっかけは、この子が七歳の時に、営利目的で誘拐され、殺されかけたこと。そして殺されかけたせいで、この子は『欠けて』しまった。生きていくのに必要な力がたりない。人というより『精霊』に近い……今も守護精霊さまのくださる特別な『水』で生命をつないでいるの。そのせいで、この子には『人ならざるもの』が見えてしまう」
助けてやってほしいと沙織夫人は頼み込むのだった。
「ミツルっていうのか。おまえのこと気に入ったから」
ルナは、二頭の巨大な犬たちを撫でてやり、屈託なく笑って。
「おれの伴侶にしてやってもいいぞ。大事にして、少しずつ食べるから安心しろ」
美少女の口から出るとは思えないようなことを言う。
「ルナ。およしなさい。彼が驚いているわ。充くん、食べるというのはもののたとえだから。生体エネルギーを、この子にちょっと分けてくれるだけでいいの」
沙織夫人は、娘をたしなめた。
「それに、ルナ。香織にも、彼のことを紹介しないといけないのよ」
「ならだいじょうぶだ。香織は、ミツルのこと気になってる。どこかで会ったことがあるような気がするって」
ルナは頭をぶんぶん振った。
「おれも思い出したんだ。ミツル。おれが小さい頃、助けてくれただろ? 今の、おまえそのままだった。においも、顔も声も」
くすくす、たのしげに。
「おまえのこと、だいすきだよ!」
「……あああ」
充は思わず、深い息をついた。
反則だ。
こんなに愛くるしくて、しかも好いてくれているという。
好きにならない理由が、ない。
「おれもだよ」
胸の上に乗っている『ルナ』に、笑顔で答えた。
少しばかり苦しげに。
「きみのことが、大好きだよ」
それを合図にしたように、二頭の犬たちは、一斉に、また充の顔を舐め回し始めたのだった。
「もう! だめだよ『牙』!『夜』! そんなに舐めたら、ミツルが、減る!」
憤慨する、ルナ。
「あは、あははは」
充はもう笑うしかない。
「じゃあ、おれときみは、両思いだね」
「うん!」
上機嫌でルナは言った。
「おまえは特別だ。許す。香織が表に出ているときでも、おれの名前を呼べば、いつでも、おれが出てやるぞ。おまえの他には、そんなことしないからな!」
「特別……?」
「仲が良いのね」
沙織夫人は、ほっとしたように微笑んだ。
「じゃあ充くん。少し休みなさいね」
白い手で、充の頬を撫でた。
「……そうよ。目覚めたときには、ぜんぶ忘れているわ。あなたと、ルナと、香織たちに、準備が整うときまで……」
やがて充の瞼があらがいようもなく重くなり、閉じていく。
すっかり寝入ってしまうまでに、数秒と、かからなかった。




