第1章 その21 新高校生活、ちょっとした事件
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4月9日。高校の入学式の後。
新しいクラス、一年三組の教室に入った、おれ、山本雅人である。
従兄弟の沢口充も同じクラスなのは嬉しい。
近所に住んでいるせいもあって生まれた時からよく一緒に遊んでる。というより兄弟みたいなもので、おれの家に入り浸ることが多い。
しかし「なんか食わせて~」と夕食時に突撃してくるのは、いかがなものか。うちは親父と二人暮らしで親父は仕事人間。だもんで食事を作るのはおれだぜ?
しかも自分の家で、妙子おばさん手作りの晩飯をたっぷり食った後で。どんだけ食うんだよ充。それで太らないし身長も低いほうなのだから不思議である。
担任が入ってきて、名簿が読み上げられ、自己紹介もひととおり終わった。
まだ実感は湧かないけど、高校一年生になったんだな。
教室を見回す。
面白そうな自己紹介をしていたヤツ。俳優ばりのイケメン。笑いをとる系。いろいろだ。それに、かわいい女子や……それから、どうしても、どこにいても目がいってしまうのは、さっき校庭の端にあった、大きな八重桜の木の下で出会った彼女。
……伊藤さん。
伊藤杏子さん。
少しずつでも、親しくなれたらいいなあ。
隣の席に居る充は、伊藤杏子さんの隣にいる、並河香織さんという美少女に、すっかり心を奪われていた。
充が女子のことを言うなんて、初めてなのである。
これは、あれか。初恋か?
かくいうおれも、伊藤杏子さんに、一目惚れしたみたいだ。
杏子さんの顔も声も雰囲気も何もかも、好みだ。
好きにならない理由が、ない。
まあね。女の子のことばかり考えてるわけにもいかないのだが。
勉強は、自慢じゃ無いけど苦手である。
はっきり言えば、おれはバカだ。
悩みはつきないのだ!
伊藤杏子さんと並河香織さんは、女子に囲まれていた。
杏子さんは、見た目はアイドルみたいに可愛いのに中身はサバサバしてそうな快活な女の子で、自分から人にも話しかけてるし、すぐ友達がいっぱいできそうだな。
香織さんは、一見、近寄り難いほどの美人さんなのだが、自己紹介で「大きな犬を飼ってます」と言ったのが、話題のきっかけになったみたいで、犬猫、動物好きな女子たちが集まってる。
「え、占いもするの?」
「相性占いとか?」
「恋占いよ、ねえ?」
ひとしきり盛り上がる。
杏子さんが、香織さんが占いをすると話題を振ったのだ。
「わたしよりママが得意なの。だから、わたしも少しだけかじってる」
「タロットとか?」
「いろいろ。タロットもやるけど。ルーンって知ってる? どっちかっていうと、わたしはルーン占いかな」
ふ~ん。
占いかあ。
これも、女子たちの好きな話題だよな。
楽しそうに話してる女子の集団。
目の保養だ。
※
そんなこんなで入学から一週間。
女子達はみんな仲良くて楽しそうだ。
制服姿も、いいよな~。
授業も始まってる。
いまだ何が得意科目かよくわかっていない、おれ。
一つだけ褒められたのは、家庭科だ。
男子も料理をすべしという方針らしく、調理実習があったのである。
調理の手間がきびきびしてて段取りがいい。
と、ほめられたのは、現時点では、おれ一人。
そりゃ、家で毎日やってるから。
これで「だめだ」って言われたら落ち込むよ。
しかし、いいこともあった。
「料理できる男子っていいよね」
と言われているという。
……それ喜んでいいのか?
ところで、ちょっとした出来事があった。
『沢口充、よだれまみれ事件』である。
突然、放課後の校庭に、二頭の大きな犬がやってきたのだ。
一頭は、真っ白。
もう一頭は、真っ黒な毛並み。
どっちも牧羊犬よりでかい。アルプスで救助隊にいるような、見上げるくらい巨大な犬だったのだ。
犬が苦手な生徒もいる。
結構な騒ぎになった。
校庭から校内へ。
犬たちの暴走は誰にも止められなかった。
そして、行き着く先にいたのは、充だった。
「うわ~!」
充が犬に襲われたっ!
おれは慌てて駆け寄った。
犬は好きだ。大きすぎるとどうにもできないが。
二頭は充に飛びかかり、押し倒して、わふわふわふわふと……
充の顔をなめ回していた。
放心している充を、おれと、ガタイのいい宮倉宗一が手伝ってくれて、二人で犬の舌から引きはがしたのである。
充は、ショックを受けたようだった。
なにしろ頭からシャツからズボンから、全身、犬のよだれまみれになっているのだった。
ともかく、無事だ。
五体満足だ。
噛まれたとかじゃなくて、ほっとした。
しかし犬たちは、なおも充めがけて突撃してくる。
「ばふばふ!」
「わふわふ!」
どうなってんだ!?
「ステイ!」
突然、澄み切った声が響いた。
香織さんだった。
すると、二頭の犬は、ぴたっと止まった。
「なんで来たの!? 『牙』、『夜』。車で待ってろって、言ったよね!」
厳しい口調で、犬たちを叱っている。
かなり怒っているな。
声が、いつもと違うのだ。
いつも、というほど知っているわけではないのだが。
教室での香織さんは、控えめでおとなしやかで、クールな印象があったのだ。
犬たちといる、香織さんは。
ちょっとだけ、幼い感じがした。
「待て、ができない子は、今度から、お出かけにも連れていかないからねっ!」
「わふ~ん」
「わふ~ん…」
白犬と黒犬が、あわれっぽく鳴いて訴えた。
「あ! きみ大丈夫!? ごめんね、うちの駄犬が。おかしいな、知らない人にこんなに馴れ馴れしくする犬たちじゃないんだけど。ごめんね?」
「い、いや、だいじょうぶ……だよ」
充は、嬉しそうに笑った。
まだショックが残っている様子ではあったが。
「えっと。きみ、同じクラスだよね。沢口くんだっけ」
「うん、そうだよ。並河香織さん」
「名前、覚えてくれてるの?」
香織さんは、首をちょっぴり傾げて。
「じゃ、おれも覚えなくちゃね。沢口……」
「充です」
「ふ~ん。ミツル? よし、覚えたよ!」
にかっと笑って、朗らかに言ったのだった。
……はい?
『おれ』っ娘ですか香織さん!?
教室では猫被ってましたか!?
特大サイズの猫……。
「あ~、ばれちゃった」
遅れて駆けつけてきたのは、伊藤杏子さんだった。
肩をすくめて、ちょっと笑った。
「香織って、見た目と中身が、ギャップあるんだよね……」




