第1章 その6 エイプリルフールお花見頂上合戦!(6)桜の道を通って
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桜の香る宵闇に向かっていく二頭の巨大な犬を追って走り出したときは、何も考えていなかった。
沢口充は、先を走る白い獣と、黒い獣のあとを追いかけるだけで、いっぱいいっぱいだった。
純白の毛並みをした『牙』と、漆黒の毛並みをした『夜』。
犬だと思ったのは、二匹が、主人に忠実に従っているのが、伝わってきたからだ。
沙織夫人にではないということも、理由は不明だが、わかった。
その場にいない、もう一人の人物。並河香織に違いないと、確信する。
充は、まだ見たこともない少女のことを思った。
胸が、熱い。ドキドキする。
どうしてだかわからないけど、知ってる。
ジャスミンのような香りのする、艶やかなその黒い髪の、柔らかな手触りを。細くて白い、その手を。
「香織さん」
そっとつぶやいた。
身体の底から、力が湧いてきた。
行く手の闇の中に。
桜の巨木が見えてきた。
白と黒の獣。『牙』と『夜』が、根元に立って、待っている。
そして、二頭の間には、銀色に光り輝く少女がいた。
あれ?
「きみはさっき、公園の入り口で出会った?」
「覚えていたの?」
銀髪の美少女は、微笑んだ。
「きみはだれ? 香織さんと、何かあるのか?」
「あたしは彼女を守る精霊。待っていたわ。『小さい鷹』。香織を助けて。あたしには、ここから先の時空には干渉できないの」
巨木の幹にあいた『うろ』を、示した。
闇色の、あたたかい空間が、そこにある。
「この中を通るのか?」
「そうよ。この二頭が案内してくれる」
白と黒の獣は、美少女に頭をすり寄せた。
「それから、渡しておくものがあるの」
少女は、充の手に、握っていたものを渡した。
「これは」
開いてみる。銀色の光を放つ小石のようなものが、五つ?
「いざというときに弾がないと困る」
「弾って……まさか?」
充はズボンのポケットを探った。
「こいつの?」
取り出したのは、スリングショット。いわゆるパチンコだ。小さい頃に近所のガキ大将だった『ハヅキ』から、弟分だった充が、もらったものだ。それ以来、どこへ行くにもずっと持っていた。さっき雅人の父、雅治に当てたのも、これだ。
だが目の前にいる不思議な美少女が、なぜそのことを知っているのか、まったくわけがわからない。
「使わなくて済むなら、それもまた運命。役に立てれば幸いだけれど。……そんなことよりも」
謎めいた微笑みは、すぐに、切羽詰まった懇願へと変わった。
「お願い、香織を助けて! もしかすると、あんたと一緒に居た、従兄弟の彼も来るかもしれない。間に合えば。 さあ『牙』、『夜』。主を助けるために、お行き! 充。急いで!」
言い終わらないうちに二頭の獣は跳躍して闇の洞に飛び込んだ。銀色の細かい粒子が散って、軌跡を描く。
充はそれを頼りに、後を追った。
あたりはただ、闇。
白い犬と黒い犬の姿が、浮き上がって見える。黒などは闇に紛れ込みそうなものだが、身体を銀色のもやのようなものに覆われているのだ。
気づけば、充の身体も、銀色の粒子に包まれている。
このおかげで、周囲の闇に呑み込まれないでいるような気がした。
どこかで、甲高い悲鳴が聞こえた。
※
おれ、山本雅人は。
困惑している。
子どもの悲鳴が聞こえた気がして走り出したはいいものの。
あたりは真っ暗。
桜の道ってどこだ?
ふっと、花の香りがした。
あ、こっちだ。
わからないが、何かが導いている。
ともかくも全力で走った。
徒競走ならぶっちぎりで一位しか取ったことのない雅人くんだぜ!
真っ暗な中から時々なにかヘンなのが飛びかかってくるんだが、こっちが早く走れば追いつけないようだ。どうなってるんだ!
やがて、走って行くうちに、前方に何かが見えてきた。
白と黒の大きな獣と、小柄な男の子。
なんかおかしい。銀色の粒みたいなのに包まれて、闇の中から浮いて見える。
「充だ! それに犬! もういいや犬で!」
おれは知らず知らず、声に出していた。
「充うーーっっ!」
「まさと!」
振り返った充は、ちょっぴり泣きそうな顔をしてた。
「おう。応援に来たぞ。途中で銀髪の女の子に会ったか? 香織さんっていう子を、おれと充で、助けてくれって言ってた」
「うん。おれも頼まれたよ。香織さんを助ける。こいつらもいるし」
白と黒の二頭の犬が、充にすり寄る。
「スアール。ノーチェ。香織さんは、どこだ?」
「あれ? 充、おまえ今なんて言った? こいつらの名前か?」
「あ、うん。急に、ふっと浮かんできた。それに」
充は、握り込んでいた手のひらを開いて見せた。
手のひらに乗っているのは、銀色に光る、小石だった。
「弾に使えって」
「スリングショットの、ってことだよな?」
妙だな、と。おれと充は顔を見合わせたのだが。
二人とも答えなど持ち合わせていなかった。
「ともかく急ごう。名前は聞き忘れたけど、あの銀髪美少女、だいぶ切羽詰まった顔をしてた」
「精霊だって言ってたよ」
「……RPGみたいな?」
「さあ……」
銀髪美少女は、残念なスピ系なのか、それとも人間じゃない何かなのか。
その答えを考えるのは、ひとまず置いておく。
二頭の犬と共に走り続けていた、おれたちの前に、光が見えてきた
まるでトンネルの出口みたいに見えた。
ラストスパート!
二頭の獣と、おれと充は、闇のトンネルから、勢いよく飛び出した。
そこは、見知らぬ公園だった。
夜の中、巨大な桜が咲いていることだけは同じ。
ただ、入ってきたときの桜の木とは、まるで別の姿をした、満開の桜だった。
「桜の道だって言ってたな。わけわかんねえけど」
「どこでもいいよ」
充は、焦ったように言った。
「早く香織さんのところへ行こう!」
その袖を口でくわえて引っ張る犬たち。
「こいつらが案内してくれそうだぞ!」
気ばかり焦る。
ただ、真っ暗なトンネルを通っていたときよりは、夜桜がライトアップされていて明るいことが、救いだった。
公園に置かれたベンチや桜、屋台、公園の向こう側にあるらしいビル群などが、夜空を背景に、くっきりと見えていた。
そのとき、突然。
おれと充の胸を突いたのは。
「いやだ! おれに触るな!」
切り裂くような、子どもの叫び声だった。
エイプリルフールのエピソード、あと少しです。