第1章 その5 エイプリルフールお花見頂上合戦!(5)自称精霊。銀髪美少女
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「香織に何かあったのですわ」
沙織夫人のペット《牙》と《夜》が音もなく動き出す。その後を追って充も飛び出して行った。
「充さん! お願い。あの子を……」
雅人も、すぐに走り出した。二人の少年の姿は、すぐに宵闇に紛れて見えなくなった。
「並河さん、どういうことですか」
しばらくして口を開いたのは、山本雅治。さっき、彼にとっては面識のない女性に殴られて椅子ごと倒れ込んでいたのである。やっと起き上がってみると、息子と甥の沢口充が、白と黒の二頭の獣を追ってどこかへ走り去っていくところだった。
「事情は伺いましたが、大事なお嬢さんの身に何かあったらしいというのに、なぜ、犬たちと息子たちだけを向かわせたのですか。あなた方は、そんなに人数がいらっしゃるのに、なぜ、一人として動こうとなさらないのか?」
テーブルについている十人の社員たちは、かたまったように、身動きもしていない。そして雅治が伴ってきた部下たちも同様の状態だった。
「あえて、動かないようにお願いしていますの」
沙織夫人が、答えた。
「わたしたちには、行く資格がないのです」
並河泰三が、辛そうに、淡々と告げた。
「山本雅治さん。八年前に起きた、ある誘拐事件のことをご存じでしょうか」
「誘拐?」
突然の話題に、雅治は怪訝な表情になる。
「ええ。横浜で。貿易商を営む社長の一人娘が誘拐されたのです。営利目的でした。十億円の身代金を払えば無事に帰すと連絡がきましてね」
(連絡がきましてね、と言ったぞ。自分の体験だということだ……)
雅治の心臓が、ぎゅっと掴まれたように痛んだ。
「借金をしてなんとか身代金を払ったのですが。娘は……わたしたちの、何より大切な……娘は」
思い出した。
十億という高額な身代金。それを難なく支払えた『横浜のN貿易社長』の富豪ぶりと、その事件の結末の悲劇が、話題に上ったものだ。
並河泰三は、感情を抑えた低い声で語った。
「あなたの息子さんと甥御さんは八年前の事件を知らない。だから、わたしたちの大切な娘を救ってくれる可能性がある。そう教えてくれたものが、あったのですよ」
※
すぐに充の後を追って走り出したおれは、不意に違和感を覚えた。
おかしい。
何かが。
いったいここは、どこだ?
井の頭公園ならよく知ってる。おれも充も西荻に住んでて近いから吉祥寺に来ることも多かった。
だけど、こんなに闇が濃かっただろうか。
夜桜がライトアップされている時期だ。
もっとたくさん花見客がいて賑やかで明るいはずだった。なのに、いつの間にかどこを進んでいるのかわからなくなっていた。
静まりかえっているかというと、そうでもない。
ところどころに灯りが見える。
動いている人影……にしては大きかったり四つ足だったり時代劇みたいな着物姿だったりと奇妙だが、ともかく無人ではない。
白犬《牙》と黒犬《夜》(もう犬ってことでいいや)と、充は、どこだ?
めくらめっぽうに走っていたら、ふっと目の前が明るくなった。
見たこともないような美少女が、近づいてきた。
長い銀色の髪が、色白で可愛らしい、卵形の顔をふちどり、肩先を流れ落ちて腰まで届いている。足首までの白いドレスは柔らかい光を宿しているみたいに見えた。
十四、五歳くらいかな。たぶんおれたちと同じ年頃。その瞳は、アクアマリンの色をしていた。
「こんばんは。いい夜ね」
美少女が話しかけてきた。
「こんばんは。そうだ、あの、おれくらいの歳で、もう少し背の低い男の子を見かけなかった? ライオンくらい大きな白い犬と。黒い犬を追いかけてたはずなんだけど」
「それなら見たわ」
美少女が、おれを見た。
闇の中で光る、華やかな白い花みたいだと、思った。
「あなたと、あたしは、本来ならどの時空間でも出会わないはずなの。だから道に迷っても助ける筋合いはないんだけど。あの子を助けてくれるなら、導いてあげる」
「ごめん。何を言ってるかわからないよ」
せっかくの銀髪極上美少女なのに、残念スピ系か?
すると美少女は、真顔になった。
「言い直すわ。香織を助けて」
きっぱりと。おれの目を真っ直ぐに覗き込む。青い瞳が、微かに光った。
「まだ高校生にもなってない今の充だけでは心許ない。味方が必要よ。だから何人か引っ張ってきたけど。あなたも協力してくれたら、充分なお礼はするわ」
すごい美少女だけど、この子が何を言ってるのか、ますますわからない。
「わかんねえ。でも充も香織さんっていう子も助けたい。案内してくれ!」
「素直でいいわね。もう着いているわ。ほら、そこ」
指し示されたのは、巨大な桜の古木、その根元。
「あれおかしいな。井の頭公園にはこんな桜はなかったぞ」
「桜の道よ。こちらとあちら、此岸と彼岸。……と、言うのですってね。確かにここはもとの公園じゃないけど、後で送り届けてあげるから、行ってらっしゃい」
おれは何か大事なことを聞き忘れている気がして、美少女を見やった。
「きみは……」
そのときだった。
甲高い悲鳴が聞こえた。小さい子どものような。
おれは反射的に向きを変え、そっちのほうへダッシュしていた。
理由も何もかも、後でいい。
作品中では、まだエイプリルフールなのです。姉妹編「イリス、アイリス ~異世界転生。「先祖還り」と呼ばれる前世の記憶持ち~」と「リトルホークと黒の魔法使いカルナックの冒険」も、よろしければぜひご一緒に! もうどっちがどっちのスピンオフかわかりませんが。