1-7「出待ちは犯罪です」
ラセット・バーバンクは周囲を大きめの路地で囲われていて、特に店の裏口までの道はレンガ造りの舗装がなされている。そのため路地特有の薄気味悪さは感じない。けど、流石に午後9時過ぎともなると、あつらえられたシックな街灯も相まって霧深いロンドンのような怪しい雰囲気を醸し出していた。
うすぼんやりとした灯りの先に、二つの人影が見える。ひょろ長いスーツ姿の男と、ピンクのパーカーを羽織った、なで肩の少女。
やっぱりか、とは思いつつも、沸々と、僕の身体の内側から使命感とは似ても似つかないものが湧き上がる。それはもちろん怒りでも、義憤でも、英雄願望でもない。
「だからさぁー、ちょっとそこらへんでお茶しようってだけじゃん」
「うーん、でも友達と一緒に帰るって約束をしてますからー」
「僕と遊ぶのそんなに嫌?」
「いや?」
少女はキョトンとした表情で固まる。質問の答えに対して戸惑っているというより、質問の意味が分かっていない、というそれに近かった。
「いや、いや、いや……」
自分の中で反芻するように同じ言葉を、全て違うイントネーションで繰り返す。反響定位みたいなものだ。心のうちに同じものがあれば、反射によってその存在を知覚できる。
「……わかんない、です」
「嫌なの? 嫌じゃないの? どっちよ?」
「わかんないです」
「はっきり、しなよっ! ねぇっ!」
「わかんないです!」
突きつけられる答えはイエスでも、ノーでもなく。当然だ、不明を不定で探して見つかるはずがない。あるいは単純にセンサーが壊れているのか。どちらにせよ、ろくでもない。
そういえば言われたことがあった。
――賽の河原で石を積むのがそんなに楽しい?――
いつ言われたかも、誰に言われたのかも忘れたけど、返した言葉だけは覚えてる。
「……虚しいに決まってんだろ」
いつか崩れ去るものを積み上げる。それに愉悦を感じられるほど、僕は狂うのを許されなかったから。
「はっ?」
「はいはい、どいてー、お兄さん。
出待ちは犯罪です。速やかにご退場していただかないとポリスメンが来ちゃいますよ、走ってきます」
「きみ誰?」
「はい、にわか確定」
「あぁっ!?」
とそんな超越者みたいなことを言ってみたくなる。ダメだな、一週間ぶりに竜我と喧嘩したせいか、まるで自分を制御できてない。まぁ僕は元々クールキャラなんて柄じゃないけどね。
「僕はこいつの仲間だ」
「仲間、お仲間ねぇ。だったらさぁ、僕の邪魔とかしないでくんない? せっかくお友達に楽しいおもいをさせてあげようっていうのにさぁ」
「こいつの“わかんない”ってのは“嫌だ”って意味なんだよ」
「いやいや、いくらお仲間でもさぁあ? 勝手に決めつけるってのはよくないんじゃない?」
「決めつけてんのはそっちだろ……」
サラリーマンにはこの言葉はひどく傲慢に聞こえたのだろう。けど、僕の言っていることは、紛れもないただの事実だ。なぜなら今の久遠は、“負の感情”を感じることができないのだから。
不快な圧力が襲っても脳が受け入れることを拒絶する。だからこその“わからない”。触覚はあっても痛覚は存在しない、いや、焼き切れた。それが久遠の負った欠落。
「……失せろよ、オッサン」
「ひっ……」
あぁ、これは間違いなく八つ当たりだ。
「行くぞ、久遠」
珍しいことに僕は久遠の手を握り、薄暗い路地から喧騒溢れる大通りへと引っ張っていく。僕と久遠と他の5人も、みんな仲間だ。それは4年前から変わってないし、変えていない。
だからこそ、彼女の手を握るのは本当に久しぶりだった。
「……ま、また来てくださいね」
去り際にサラリーマンへ笑顔で手を振る久遠、もちろん彼女には悪気すらも存在してない。
手を引いて陰と灯りの境界から彼女を引きずりだす。取り残されたサラリーマンの濁った瞳がやけに目についた。それを振り切るように僕は人込みへと駆けだしていた。
情けは人の為ならず。
この言葉は誤用されることが多々あるが。正しい意味は他人に情けをかければ、周り回って自分にも良いことが起こる、という意味だ。
だったら人に当たる、という行為も周り回って自分に帰って来るはず。
もし、ここでこのサラリーマンとの諍いを穏便に済ませていれば。いつもだったらそんなことは簡単にできた。下手にでつつ、調子よく適当なことをまくし立ててから、強行手段をにおわせる。仲間を護るためだったら僕はなんでもできたし、やってきた。
それが今回に限ってできなかったのは、たまたまタイミングが悪かったからだと思うんだ。そんなことはなんの言い訳にもならないけど。
そうじゃなくても人はここでこうしなければ、なんて荒唐無稽なことを思わずにはいられない。店長がホールに出ていなければ、出迎えにポラリがこなければ、僕が一旦家によるなんて判断をしなければ、竜我が「スランバー」に来なければ、久遠に急なシフトがこなければ。
でも人は未来を見ることなんてできないし、全てのことには理由がある。
こんなことを言うとポラリには夢がないですねとか言われそうだが、事象というのは折り重なっているから偶然に見えるだけで、一つ一つは必然だ。わかっていれば防げたなんてことは結果論でしかない。
だからこれから僕に起こる全ての物語は避けることのできない、それこそ“運命”だったんだ。
▽
妖しい街灯のみが光をもたらす路地裏。そこにはくたびれたダークスーツのサラリーマンが立ち尽くしている。その視線は路地の出口をただただ眺めていた。
「……ふざけんなよ」
吐き出されるような呪詛のような言葉。どこにも行けない愚痴のような呟き。誰も聞いていないし、誰も見ていない。聞かせたい人などおらず、聞きたい人間もいない。それならば何のために発せられたものなのだろうか。
「ふざけんな! ふざけんな! ふざけんなぁっ!
が、ガキが。こ、この俺を見下しやがって。どいつもこいつも、どいつもこいつもどいつもこいつもぉっ!」
狂うように瞳孔が開かれ、瞳が目のなかを走り回る。
「俺に蹴散らされる、雑魚の分際でよぉっ!」
――――ドオォンっ!
拳がコンクリートむき出しの外壁へと強くたたきつけられる。そんなことをすれば通常、拳が砕けるが、砕け散ったのは壁の方だった。無論、男の拳には傷一つない。
「神器顕現――“トランスシャイニー・マジカルステッキ”――」
降りしきるコンクリート片の中で、男はスーツの内ポケットに手を突っ込む。そこからは出てきたのは先端にハート型ルビーの付いた赤いロッド。有り体な言い方をするならば、アニメや漫画に出てくるような少女趣味の魔法ステッキ。そういえる代物とスーツ姿の男という組み合わせは、それそのものが歪に現実を侵食していた。
リアリティからの壊滅的な乖離、痛々しいまでズレは路地裏をある種の異界へと染め上げる。
「はっ、ははは。ハハハッハハハハハッ!!
さぁ、楽しい雑魚狩りの時間だぁ」
歪みはゴリゴリと音を立てて広がっていく。
その広がりは真っ白な画用紙にたらされた一滴の絵具。塗られたものを元に戻す手段はなく、無理に塗り替えようとすれば穴が空くまで色が足されるばかりだろう。
無視することは容易だが、そうすれば際限なく歪みは広がり続けえる。いや、もうすでに誰も無関係ではいられないほどに広がっているのだ。
見たくもないほど醜悪で、逃げたくなるほどおぞましく、聞きたくもないほど気持ちの悪い、現実という名の幻想が。
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