1-5「あの七月は終わるんだ」
予想だにしない答えが返ってきた。
意味が分からない、なぜそんな話になるんだ?
「いや、なんで?」
「どうしてもだ」
「ほんとにらしくないじゃん。そんなくだらない返しを使うとか」
竜我はこういった曖昧な返答をされるのはもちろん、するのも嫌いだったはずだ。
「お前の書き溜め、あと十話だということは時間が巻き戻る直前のはずだ」
さすがブクマしているだけあってしっかり読んでる。そう「FOEVER7」の七月は決して終わらない。もっというと、中学二年次の7月31日と中学一年次の8月1日がつながっているのだ。何度繰り返したとしても、中学2年の8月1日が来ることはない。
どっかのホームコメディのように7人の少年少女が永遠に変わらない日常を繰り返し続ける。それが僕の作品で、そして多分、僕の望んでいる世界なんだろう。
「……確かにそうだけどさ」
「いい加減あの7月を終わらせろ。いつまでも過去にこだわるな」
「いやいや、いつ作品を終わらせるかなんて僕の勝手じゃん」
「見るに堪えないんだよ。お前が自分の小説を、喪失感を紛らわす道具にしているのがな」
「それは……それこそ、僕の……」
勝手だ。という言葉は喫茶店の沈黙に紛れて、のど元から上にいってはくれない。つばと共に飲み込んでしまう、不快感で窒息してしまいそうだった。
「どうせ、読者も大していないんだ。誰にも読んでもらえない作品になんの意味がある?」
「……は? 書籍化も目指せない3000程度が何言ってんの? そういうことはアリオレベルになってからいえよっ!」
「幼稚な反論だな。俺は今、一般論を論じるつもりはない。ドゥーベ、お前と、お前の小説にいっているんだ」
「お前らほんと懲りないな……」
「「アリオには関係ないっ!」」
「ハァ、レン。二階に上がってろ」
ヒートアップしている僕らを見て、アリオがレンちゃんを二階に押しやる。レンちゃんはこくりと頷いて、厨房の奥に消えていった。
「別に僕は誰かに読んでもらうためにあの小説を書いているわけじゃない」
「詭弁だな」
「作者の僕がそう言ってるのに、読者のお前が否定すんのかよ」
「当然だ、俺の意見は常に正しい」
「……開いた口が塞がらねー。相変わらずだな」
自らの主張を絶対のものだと信じているから、他人と意見をぶつけ合うなんて非効率な真似はしない。どんなに言い争っても決して自分の主張を曲げない。笛管竜我という男はそういう人間だ。我の強い人間は多くいるが、こいつのはもはや宗教とかそっちのレベルに到達している。
「いいか? 変わらないものなんて何一つ存在しない」
「わかってるよ、そんなことは」
「泣き虫だった久遠はもう元には戻らん」
「わかってる」
「仲間のためとはいえ、その久遠を利用したお前をメグ姐は絶対に許さないだろう」
「……わかってるって」
「ザルは中学を卒業してから一度もここに来ていない」
「わかってるって言ってるだろっ!」
「それに大体、アルカはもう――」
「竜我っ!」
見かねたアリオが叫ぶ。当然だ。竜我が言おうとしてる言葉は、俺たちの中であまりに重すぎる。直視したくない現実なのに、目を背けられるほど小さくもない。そう、それこそ目線をずらせばすぐに、不自然な空席がそこにはあるのだから。
竜我はアリオの言葉で冷静さを少し取り戻したようだが、それでも
「……死んでるんだぞ」
言葉を飲み込むことはなかった。
僕はほとんど反射的に立ち上がる。
知ってる。あぁ知ってるさ、そんなことは。わからないはずがないだろう。毎朝、起きるたびに実感してるんだよ、あるべき姿が、あってほしい姿がそこにない現実を。
「逃げるな。別れは来る、あの七月は終わるんだ」
「知ってるよ、失ったものが戻らないなんてことは。痛いぐらい」
余りにもいたたまれなくなった僕は、そのまま歩いていき扉に手をかける。壁一枚向こうの夜が、木製の扉からは伝わってきた。
失くしたものは戻らない、それはいい。それはいい、だから――
「だからこそ、あの日々が確かにあったって。証明する何かが欲しいんだ」
笑いあった日々を、過ごした時間を、ほんの少しだけでもこの現実に繋ぎとめておくために。過去は消えてしまいそうなほど朧気で、今は一瞬で崩れ去ってしまうほどに脆いから。
だからこそ僕はいつか終わる物語を、今終わらせないためにだらだらと書き綴っているのだろう。
初夏の晩、特有の身に染みる寒さに浸りながら、僕は「すらんばー」を後にした。
上から二段目の右から二つ目、年季とひびの入った白いプランターの下。そこには家の鍵が隠してある。防犯意識なんてないありきたりな隠し場所。ところどころやたら警戒している場所もあるのに、家の鍵については気を遣わない。それがなんともうちの家族らしい、と僕は勝手に思っている。
錆びついた鍵を差し込んで、ガチャリと鍵を開ける。握りしめたドアノブは当然のごとく冷たかった。
「ただいまー」
僕はそう言いながら、コルクボードに掛けられた玄関にある「ほとり」と書かれた名札。それを赤から白へと裏返した。並んでいる他の3つの名札は全て真っ赤に染まっている。
靴を脱ぎすて電気を付けつつ、二階へと駆け上がった。そうすると目の前入ってくるのは、拙い刺繍で作られた「アルカ」の文字。フェルトで作られたネームプレートの掛けてあるドアは、無感動に僕を見下ろしている。
なんとなく、そうただなんとなく、それを指でなぞった。アの字の角、ほとんど取れかけている。裁縫は苦手じゃない。もとに戻すことはいつでもできる。実行に移すことはここ一年できていないけど。
そのすぐ隣にある部屋のドアを蹴とばし、勉強道具のぎっしり詰まったエナメルを放り込む。カーペットの上を何回転かした後、逆さで止まったのに少しだけ腹が立った。そして、弁当箱を取り出すのを忘れていたことに更に少しイラついた。
らしくない。この程度のことを気にしてしまうとは。本当に、らしくない。
弁当と財布を取り出して階段を駆け降りた。すぐにスマフォを充電カセットに嵌め、ポットのスイッチを入れた。そして白い食器棚から自分用のマグカップを探すが、見当たらない。青い子熊のマグカップ。どうやら食洗機に入れたままだったようだ。定位置に戻すのを忘れてるなんて。
インスタントコーヒーを少し少なめ、砂糖を多めに。あれだけアリオの淹れたブレンドを飲んだにも拘わらず、日々の習慣とは恐ろしい。
そうしてできた甘ったるいと自分でも思うそのカフェオレは、高校生になった僕には、少し、物足りなかった。