1-4「セちゃんネタかよ」
「普通」
「なんだとぉ!? グアテマラのSHBだぞ!?」
夕方のピークが過ぎ去って、僕はアリオのコーヒー修行を手伝っていた。すらんばーは7時の半ばを過ぎると急激に客足が減る。8時にはほとんどの客がいなくなり、早いと八時半、遅くても9時には店じまいだ。パートも雇っているとはいえ個人経営の小さい店だ。お客さんが気を利かせて早めに帰るということも少なくない。
今日は特にテスト明けの月曜だからか、まだ七時半だというのに客がだれ一人いなかった。
「いやいや等級の違いなんて一般人にはわからないって、そもそも僕ブレンドはあんまり飲まないですし。カフェオレの牛乳選んだ方が合理的じゃね?」
そっちの方が味に直結する気がする。
「身も蓋もないことを言うな、大将に認めてもらうにはコーヒーを極めるしかねぇんだよ」
大将とはもちろん「すらんばー」の店長皆川万里のことだ。その場の勢いでよっ大将と呼んでいたら、気を良くしたのか自称するようになってしまった。
全くなんてことをしてくれたんだ、僕は。
「そういや大将は? 厨房にいるってわけでもなさそうだし」
「町内会だと、おおかた例の店舗出張の件だろうよ」
「あぁ」
あれ恒例化していたのか、なんか悪いことしたな。
「大体、コーヒーの試飲ならメグねぇに頼んでよ。僕より全然詳しいし、厳しいお言葉ももらえるじゃん」
「最近来てくれねぇんだよなぁ」
「確かに、竜我なんか知らない?」
「……なぜ俺に聞く」
執筆作業中のPCから視線を動かさず、こっちの言葉に反応した。集中しているか、少し歯切れが悪い。
「こん中だと一番仲いいじゃん、やっぱ似た者同士だから?」
「心外だ。それと俺達は別に仲がいいというわけではない。単純にお前が嫌われてるだけだ」
「なんだよそれ、ちょっと傷つく」
いやそのことはわかってるけどさ、直視したくない現実ってものもあるわけで。やっぱり昔の仲間に嫌われてるのは僕にとってかなり堪えることなんだよ。
「それより、ドゥーベ。お前書かなくていいのか? 一応、部活動の代わりでここには来ているんだぞ」
「相変わらず、真面目のまっちゃんだな」
「なんだと?」
「いいんだよ、僕はまだ10話ぐらい書き溜めがあるんで。てか竜我だって同じぐらいあるはずじゃん」
「俺は週一掲載だから問題ないが。お前は週二だろう、余裕を持て余してたらすぐになくなるぞ」
「へいへい、てかアリオは?」
「あー、そのことなんだが。またなんかアイデアくれねぇか?」
「またかよ」
アリオの書くペース自体は早い、半日で3話以上書き上げることもある。だが、気分によって連投しているため、詰まると更新が止まってしまうことも多い。
そのたびに俺たちが適当にアイデアをだしている。
「今日のコーヒー代まけるから」
「金とるつもりだったのかよ!? お前の方から頼んできたよね!?」
コーヒーも同じコップに淹れればいいのに次々と新しいものを出すから、テーブルの上にはコップが6つも乗っている。夕食代わりにナポリタンセットも頼んだので、コーヒー代は流石に厳しいんだけど。
「小説神といや、お前らあの噂は知ってるか?」
今は僕たち以外の客がいないため、アリオはシンクに溜まっていた食器を洗い始めている。退屈しのぎかそんな話題を振ってきた。
「噂?」
「俺も詳しくは知らねぇんだけどよ、なんでも自分の書いた小説を現実のものにできる。とかいう」
「……初めて聞いたな」
竜我が顔を覆うように眼鏡を上げながらそうつぶやいた。にしてもアリオは何を意味の分からないことを言っているんだ。
「書籍化ってことか?」
「いや違う、そのままの意味らしいぞ」
「そのまま?」
「うーん、小説のキャラクターが現実に出てくる。ってことじゃねぇか?」
その言葉に一瞬、思考が停止する。だが、僕は脳が余計な考えをはたらかせる前に
「……何それ? オカルトじゃん。どこのだれ情報って話だよ。ソースはよ」
まくし立てるように否定した。
「どこだろ、確かセカンドちゃんねるじゃねぇかな」
「セちゃんネタかよ」
「言ったろ、俺だって詳しくは知らねぇんだ」
「煮え切らないなぁ、ならちょっと調べてみますか」
「やめろ。そんなことは時間の無駄だ」
珍しく少しの乗り気になっていたのに竜我が釘をさす。こんなのよくある与太話じゃないか。いつもなら、勝手にやってろ、暇人。とか言ってきそうなものだが。
僕がそのらしくない態度に疑問を覚えていたら、竜我はアールグレイを口に含みゆっくりと飲み干してから
「……なぁお前ら、最近妙な運営からメールが届かなかったか?」
そう切り出してきた。
「は? 別に来てねぇぞ、書籍化関連の連絡はパソコンに直でくるしな」
「僕も多分来てない」
「一度、確認して見てくれるか? 特にドゥーベ」
「なぜに名指し、通知見逃したりはしてないし。大丈夫、大丈夫」
「ログインするぐらいすぐだろう。確認してくれ」
「……竜我どうした? さっきからやけに突っかかるじゃん。カルシウム足りてないんじゃない牛乳飲もうぜ、牛乳」
「いらんっ!」
僕の冗談に対して、竜我がいきなり立ち上がる。その表情には怒りが見て取れたが、僕とアリオのあっけにとられた顔を見たからだろう。すぐに視線をそらした。
そしてソファに重たげに腰を落とし
「……危ういんだよ、お前は」
吐き出すように呟いた。
「どういう、ことだよ?」
竜我の思わせぶりな態度に聞かずにはいられない。そして少しの間、重苦しい沈黙が流れる。そして
「ドゥーベ、お前あの小説書くのやめろ」
予想だにしない答えが返ってきた。