第1羽 1度死んで、もう1度死にかけた男
この世界は三つの世界でできている。
天使の住む「天界」。
人間の住む「人間界」。
そして悪魔の住む「魔界」。
この3つの世界はそれぞれ別の空間に存在し、決して交わることはなかった。
ーーしかし、物事には必ず、例外が存在するものだ。
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「やばいやばいやばいやばい落ちる落ちる落ちる落ちる……!!!」
その男は木の幹にしがみ付いてがくがくと震えていた。
彼の名は佐藤太郎。現在高校3年生、身長170センチ、体重60キロ。学校の成績はオール4、運動神経は可もなく不可もなく。趣味はジグソーパズル、特技は持久走。最近の悩みは親に志望校のレベルをあげろとプレッシャーをかけられていること。
平均を擬人化したかのようなその男は、先ほど担任との二者面談で「偏差値が足りない」と断言され落ち込みながら一人で下校していたところだった。偏差値どうこうは、四捨五入すればいつも通りのこと。受験生ならば耳にタコができるほど聞かされる言葉だ。
問題はその後。その日の太郎はなんだか朝から元気がなく、少しのことで落ち込む紙メンタルの日だった。二者面談を終えてすっかり意気消沈していた太郎は、信号が赤にもかかわらずスピードを落とすことなく交差点に近づいてくる車に気がつかなかった。
身体にとてつもない衝撃が走り、太郎は意識を失った。そして、次に目覚めた時に見たもの、太郎が知らない世界だった。
「なんなんだよこれぇ……どこなんだよ……なんでこんなことになってんだよぉ!?」
空に形も大きさも様々な島が無数に浮いている。そのうちの一つに、太郎はいた。ぐるりと周りを見渡す限りでは、一番小さな浮島のようで、大きさにして一畳分ほどだ。しかも、その一畳のスペースに木が生えている。掴まっていなければうっかり足を滑らせて落ちてしまいそうだ。
恐る恐る眼下に目をやる。なんとなく想像はしていたが、下には海や大陸といったものは見当たらない。どこまでも果てしなく空が続いていた。
「まじ……? 俺、死んだの……?」
意識を失う直前の出来事と、目の前の光景から察するに、そういうことなのだろうか。太郎は青ざめた。
「え? 俺は死んだばかりなのに、今また死にそうになってるの……?」
そもそも、下には何もないのだから落ちたとしても死ぬことはないのかもしれない。永遠に、落ちていくだけ……。
「それはそれで嫌だ!!」
一人で喚く太郎を、周囲を飛び交う天使達がじろじろと見ている。彼らは一見普通の人間に見えた。服装も神話のような布一枚とかではなく、花柄のワンピースやジーンズ、キャラもののTシャツなど思い思いの服装だ。天使ってそういうものだっけ。
「じろじろ見んなッ! 見世物じゃねぇんだよ! てか見てんなら助けろ!」
絶体絶命のピンチに陥った人間のなんと見苦しいことか。太郎は我ながらとんでもない言い草だと思った。これが人にものを頼む態度か。いやしかし、それくらい太郎には余裕というものがなかった。
その時、太郎の浮島を突風が襲った。真横からの強い風に、浮島はバランスを崩して大きく傾いた。
「あ、」
太郎はその島から振り落とされてしまった。
体が木の葉のように舞い上がり、ゆっくりと落下を始める。太郎のまぶたの裏に、今までの思い出が走馬灯のように駆け巡った。いや、これ本物の走馬灯だ。
先ほどの事故で見れなかった走馬灯をわざわざ見せるためにこんな目に合わせてるなら、神様ってやつはとんだいじわるなんだな。2度目の死。今度こそ死ぬ。
……あーあ、こんなことならもっと遊んでおけばよかった。……いや、違うな。
「……やっぱりもっと、生きたかった……」
先ほどの浮島が遠のいていく。太郎の体は高速で落下し、浮島も見えなくなり、そしてーー
ーー別の浮島にゆっくりと着地した。
太郎は、力強く言い放った。
「なんでやねん!」
え、てかどういうこと?
太郎は確かに落下した。あの浮島の下には島らしい島なんてなかったはずだ。
そういえば、超高速で降下していたのに途中から高速で上昇し始めたような…………?
「……えっと、大丈夫、ですか?」
頭上から可愛らしい声が降ってきた。
見上げると、太郎の学生服の襟を控えめに掴んだ美少女がいた。
金色の長い髪を風に揺らし、美しい水色の大きな瞳が太郎を見つめている。
太郎は、彼女こそが本物の天使だと確信したのであった。